我がささやかなる戦いの記録


キーボード上に青リンゴジュースをぶちまけるという、致命的な事故を起こしてしまった。
これまでもコーヒーの侵略や紅茶の猛攻を耐え忍んできたキーボードだが、今回の事故はそれら小規模事故の比では無かった。
量が多かったということもそうだが、なにより、敵は大量の糖分を含むという凶悪な性質を持っていた。キーボードにとって、これは重大な被害をもたらした。
敵戦力に対し、キーボードの抵抗は緒戦においてしぶといものであった。無抵抗の状態から大量の水分の侵攻を許すという惨状下にありながら、全てのキーが正常に動作するという、奇跡の抵抗を示したのだ。
だが、敵の攻勢は時間を置くことでさらに攻撃力を増すという性質をはらんでいた。敵主戦力は無論水分だが、同等の戦力が内部に潜んでいる。前述の、糖分である。
コーヒーも紅茶もブラック派である点が幸いし、これまでは何とか敵攻勢をしのいでいたキーボードであったが、主戦力たる水分の攻勢が退いた時、残った糖分による第二次攻撃が開始された。
強度の粘性を持つ敵二次戦力の攻勢に、キー達は自由な動きを阻害され、表面においては拭き取り攻撃による完全勝利を得ても、内部構造における敵残存勢力の攻勢には手も脚も出ず、べたつきによるキーレスポンスの著しい障害を呈するに至った。
事ここに至り、司令部は重大な決断を迫られた。
分解清掃は、キーボードの構造上不可能に近い。パンタグラフ型キーボードの構造では、キーの個々を分解しての敵掃討作戦はきわめて困難とせざるを得ない。
司令部は、買い替えという選択肢をも視野に入れ、最終手段に訴えることを決した。
キーボード部分の流水洗浄という、大規模絨毯爆撃である。
精密電子機械に対する流水洗浄など、可耕地に対する毒薬噴霧に匹敵する暴挙であり、米軍によるベトナム戦争における枯葉剤散布をも想起させる言語道断の愚挙と指弾されて然るべきであった。
しかし、ベトナムは米軍の史上稀に見る残虐な攻撃にも耐え抜き、復興してきているではないか。また、原爆投下の憂き目を見た広島・長崎も、数百年は人が住めないとまでいわれた放射能の惨禍を撥ね退け、復興を果たしているではないか。
中古パソコンを扱う人々は、長年の使用で堆積した基盤の埃や汚れを、水洗いで取り除いているとも聞く。要は水分が残った状態で通電したり、電気敵接触が起こる部分に残存不純物がなければ良い話である。
司令部はキーボードを分解し、キーパッド部分を取り外すことで被害を最小限に留めるべく準備を整え、作戦を決行した。
ややぬる目のシャワーで洗浄すること5分。
永遠にも思える時間の中、司令部による流水洗浄という名の絨毯爆撃が丹念に、執拗に、連続的に敵二次戦力に対して加えられた。
流水爆撃の後、司令部はただちに回復作戦に入る。
まずは手による衝撃と振動により可能な限りの水分を飛ばす戦術が実行され、さらにダストブロワーによる不可触部分の離水戦術が採られた。洗浄爆撃以上の執拗さと入念さをもって。
自然乾燥を待っていては不純物が残存する。そのためのブロワーによる攻勢であったが、冬終わりぬとはいえど未だ朝晩の冷えはそれなりに厳しい時期、窓を開け放っての深夜の攻勢に司令部も大きなダメージを受けながら、それでも作戦は断固として遂行された。



結果として、この文章がある。
キーボードは見事な復活を遂げた。
この文章を書いている段階で、不具合は確認されていない。
我が軍は勝利した。
決して褒められた勝利では無い。本来、このような戦いが行わなければならなかった理由などないのだ。全ては司令部の不明から起きた事故が原因であり、この悲劇をくり返さないためにも、司令部には猛省と対策の強化が求められることは論を俟たない。
だが、勝利は勝利として喜び、後世に語り継ぐのも重要なことである。同じ悲劇を受けるであろう、見も知らぬ未来の同志達へのささやかなる教訓として、この戦いの事実がわずかでも役に立てば、我が司令部にとってこれ以上の喜びはない。
戦いはいつも空しいが、だからこそ教訓として活かさねば、犠牲となった魂も浮かばれまい。我々は今日の勝利を明日の戒めとせねばならない。
我々がPC文明の戦士としてあり続ける限り、戦いは已むことを知るまい。我々は戦い続ける宿命にある。であれば、いかなる勝利を収めようとも、明日は敗れ去る運命を背負っているや知れぬ。
勝って兜の緒を締めよ。
戦いは終わってはいないのだから。