強盗致傷被害者に

強盗致傷被害に遭ってしまった。


久しぶりの公開記事でこんな発表も何なのだが、近況報告を求める声が意外に大きいので、ざっとしたところを記録しておこうと思う。


事件自体はなにやら新聞にも小さく載ったらしいが、残念ながら私は一切新聞を購読しておらず、実物は見ていない。それほど大きな事件ではないし、ちょうど同じ日に中国人夫婦が相次いで死体で発見されるという事件がすぐ近くで起きていたから、大した扱いではなかっただろう。見た方から聞いた話では、被害者の私の氏名は載っていなかったらしい。

事件発生は6月22日午後10時頃。
被害者は私一人。
加害者は2名、どちらも若い男性。
被害現場は川口市内の自宅から歩いてすぐの交差点。住宅街のど真ん中というところ。
被害は私の負傷(全治1カ月)と、現金・カード類・デジカメなどが入ったバッグ。
翌日に被疑者1名が逮捕、残る1名は現在も逃走中。
逮捕された被疑者は日系ブラジル三世。名前はわかっているが、こういうところに載せていいものかどうかわからないので伏せておく。


会社帰りに被害に遭った。
会社の半期決算が終わった直後の時期で、間近に迫ったイベントの担当を任されていた私は、想像していたよりは早く退社し、事務所がある大宮で夕食を採った後、まっすぐ帰宅していた。
私はいつも音楽プレーヤーを聞きながら通勤しているため、このときもドリームシアターというブログレッシヴメタルバンドの曲を聴きながら、道の左隅を歩いていた。
帰路の最後の交差点に差し掛かろうという時に、反対側から2名の若い男性が歩いてくるのが見えた。車通りも少ない道なので、端っこに寄った歩き方はしていなかった。その時点では当然ながら自分に関係ある人間になるとは思ってもいないから、気にもしていない。
位置関係でいうと、交差点を挟んで道の同じ側を私と被疑者たちが歩いていた。私にとって左側、向こうにとって右側。
そのまま歩いていると、被疑者のうち一人がこちらに寄ってくるのが見えた。なにしろ街灯もろくに無いような暗い道なのだが、自動販売機が交差点の外側に並んでいるため、この様子はよく見えていた。
知り合いでもない人間がこちらに寄ってくる意味もわからないから、私はとりあえずそのまま歩き続ける。
そのうち距離が縮まると、道の端っこを歩いている私に近づいてきた被疑者は、正面から私の肩を抱くような姿勢でとりついてきた。
普通に考えればあり得ない状況で、私はここではじめて相手の顔をはっきりと見た。私より若干背は低いが、体つきはがっちりしていて、髪は短く、顔立ちなどは日本人には見えなかった。東洋系というより、ラテン系に見えた。
この時点で被疑者が私に何かを言っていたのかもしれないが、イヤホンをつけている私に聞こえるはずもなく、立ち止まったまま見も知らぬ男に抱きつかれて喜ぶような性癖も持っていないので、私はそれを振り払うようにして横を通り過ぎた。


自分で音楽を聴いているとはいえ耳が封じられ、それまで経験したことがないような異常な状況に立ち至ったこの時点で、どうしてここまで危機感が出てきていなかったのか、今なら疑問にも思う。
交差点を左に曲がり、癖でそのまま左わきからのぞくように後ろを確認すると、二人組は明らかにこちらに迫ろうとしている。
走ってでも逃げだすか、あるいは大声をあげるべき場面で、私はあろうことか再び正面を向いてしまった。無視して歩き、そのまま家に入ってしまえばいい、とでも思っていたのか。
自分が身長175センチ70キロ弱の若い男性ということで、まさか人に襲われることがあるとは考えていなかったこともある。相手が喧嘩上等で歩いてでもいない限りは、だが。
直後、私の首筋に後ろから衝撃。
逮捕された被疑者の供述によると、このとき私は後ろから首を叩かれたらしい。
それ以降の記憶はあまりはっきりせず、気がついたら病院で寝ていたという感じなのだが、断片的な記憶をつなぎ合わせていくと、首筋の衝撃とともに覚えているのは、犯人の顔だ。
二人組だったはずなのだが、私に殴りかかった被疑者しか顔を覚えていない。記憶もはっきりしないから、わからないうちに別の一人からも攻撃されていたのかもしれないが、よくわからない。
とにかく、殴られながらも犯人の顔は見る場面があったようで、はっきりと覚えていた。
殴られつつ抵抗しながら、声を出さないと、と思ったのは覚えている。実際に声が出ていたかどうかは分からない。
痛みは、正直、感じている余裕がなかったのではないかと思う。少なくとも記憶の中には無い。
というより、そもそも殴られた記憶が曖昧。
最初の首への一撃は覚えているのだが、その後何をされたか定かでない。混乱してもいただろうし、初撃で意識が軽く飛んでいたのかもしれない。


その後の記憶は断片的。
あおむけに倒れていたのは覚えている。また、目を開いて周りを見た記憶がない。すでに目の周りが腫れて開かなかったのか、眉間などの出血のせいで目を開けても物が見えなかったのか。
男性の声が倒れている私に向いていて、住所や名前を聞かれたのを覚えている。また、同じ人だと思うのだが、やけに冷静かつ専門用語を用いての説明(誰に対してかはわからない)を聞いた。
後で聞いた話では、偶然被害直後の現場を、帰宅途中の警視庁勤務の警官が通りかかり、通報者の女性たちとともに対応してくれていたのだという。
次に覚えているのは救急車。ストレッチャーに乗せられる際、「協力しようにも体動かしたくないしなあ」などと思っていたら、意外に簡単に乗せられてしまい、「さすがプロやなあ」とのんきに考えていた。
こういうとき、意外に本人はのんびりしたものの考え方をするものらしい。
その後もとぎれとぎれに意識が戻っていて、記憶があるのは、救急隊員が搬送先の病院を探している声。電話で探しているらしいのだが、次々に断られていて、そのたびに同じ説明を繰り返し、苛立っているらしい様子だった。「おお、これが噂のたらいまわしかあ」と、ちょっと感激してしまった。
このあたり、体が動きもしないくせに変に落ち着いていて、この程度なら死ぬこともないだろうし、ちょっとくらい治療が遅れてもどうということはないだろう、などと考えていた。
その後の記憶はあまりなく、ということは多分意識を失っていたのだろうと思われる。


収容されたのはなぜか板橋区帝京大学医学部付属病院。川口市内やその周辺の病院にすべて断られたに違いない。まあ、それほど遠くはなかったから、別に文句はないのだが。
怪我は、鼻骨の骨折と、眼窩底骨折。鼻骨は軽く砕けた感じ、眼窩底は数か所ひびが入った程度。ほか、眉間に大きな裂傷があったが、縫うほどではなかったようで、軟膏をべたっと塗った後にばんそうこうを貼るという、おおざっぱな応急処置が為されていた。
顔中が腫れ、変色もしていたが、入院加療が必要という状況ではなかったため、深夜に搬送されてきた私は、その日の午前中には退院。
搬送され、ERで治療を受けた後、警察から事情を聴かれたりもしたのだが、それもよく覚えていない。後で調書を見たのだが、この時点でかなりべらべらと受け答えはしているようで、唇や上あごが腫れていてしゃべりにくかったはずなんだがなあ、と我ながら感心する。
身寄りはないか聞かれ、一人暮らしであること、実家が遠いことを告げ、JR蕨駅近くに親戚がいることも告げていた。おかげでその親戚は深夜の3時過ぎに警察からの連絡を受け、私のためにきりきり舞いさせられる羽目に陥った。
申し訳ありませんでした。いずれこのご恩は必ずお返しいたします。
退院するとそのままパトカーに乗せられた。なんとその時点で既に被疑者が1名確保済みで、私に至急いわゆる面通しをさせる必要があり、警察側はいらいらしながら私の退院を待っていたらしい。
私が乗り、病院の駐車場を出ると、早速サイレンを鳴らして爆走開始。
サイレン鳴らして走るパトカーに乗るのも初めてだが、何に驚いたといって、その速度。凄まじい速度で国道を北上していくその景色の速さに驚くと同時に、怪我人乗せてるんだからもっと手加減せえ、という感想もあった。言わなかったが。


今はどうかというと、骨折の方は問題なし。鼻骨は少々痛かったが形成外科で施術し形を維持したし、他の骨折は経過を見る以外にやることもない程度のもの。
眉間の傷ははっきりと残ってしまったが、いずれ目立たなくはなるだろう。
顔の目から下、上唇から上にしびれがある。これは顔面の神経からきているもので、やや長い時間が必要らしい。感覚が全く無いというものでもないから、日常生活で困ることもない。
ただ、上あごの腫れからきているのか、物をかむのが痛くて、固いものが食べられない状態が続いている。おかゆやゼリー系の食品ばかり食べている。肉が食いたい……。
会社は休んでいて、22日に病院に行った後、復帰ということになりそうだ。
困っているのは、被害品の大半がまだ発見されていないということ。
たまたま印鑑もバッグに入れていたため、お金に関することが全て宙に浮いている状態なのが困る。