法王死去

 私は宗教を持たず、当然のことながらカトリックについて信仰心を持っているわけではない。
 だが、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死については、心から哀悼の意を送りたい。
  彼に履歴については、調べれば簡単にいくらでも出てくるだろうから、興味がある人は自分で納得できるまで調べればいい話だから、私は何もいわない。
 ただ、私が彼をどう捉えていたかだけは書いておきたいと思った。




 彼は、偉大な宗教指導者だった。世界中に信徒を持つ超巨大信仰組織のトップとして君臨し、その歴史と栄光を一身に負いながら、彼は世界中を飛び回り、平和を訴え続けた。
 彼ほど影響力のある人間が、ひたむきに平和を訴え続けたことが、どれほど世界を説得し、時代を変化させていたか。
 平和を口にしながら銃を取る者だけが勝者となる、そんな時代にあって、銃もなく、暴力を否定しながら平和を口にすること、それ自体が奇跡のような存在だった。
 私は歴史的なカトリックの存在を決して快くは思っていない。カトリックがどれほど血なまぐさい歴史を主導してきたかを考えれば、その存在を無批判に受け入れるなどできない相談である。
 それでも、彼が世界中を飛び回って訴え続けた平和の祈りに、私は疑問やひねた見方で茶々を入れる気はない。少し歴史を概観すれば、カトリックが平和を口にするなど何の冗談だ、という気がしないではないが、彼の平和に対する意志と勇気は本物だったと思える。
 本物でなければ、暗殺されかかって重態に陥った後、意識を取り戻した途端に「私は彼を許す」といって暗殺未遂犯を許すことなどできはしないだろうし、イェルサレム訪問やローマのシナゴーグ訪問などという、その意味を知れば知るほど戦慄が走るような歴史的な行動ができるはずもない。
 カトリックの法王がイェルサレムシナゴーグを訪れたのだ。
 地中海の歴史を多少なりとも学んだことがあれば、このことが持つ意味の巨大さに目もくらむような思いを持つだろう。ローマ帝国の時代からついに融合も友好も果たせなかったユダヤムスリムキリスト教が入り乱れる宗教の都に、キリスト教2000年の歴史上初めて、カトリックの「神の代理人」が入る。歴史の都ローマで、歴史的についに邂逅することのなかった教会とシナゴーグの交流。この事は、下手をすれば戦争のきっかけにもなりうるし、世界中にテロの嵐を吹き荒れさせることにもなりかねない大事件だった。
 それを平和裏に成し遂げ、世界に静かな感動を与えたヨハネ・パウロ2世の行動は、世界史的な偉業だったといえた。そう捉えていないのは、世界的な信仰の歴史とその流れに鈍感な日本人くらいのものだ。
 ポーランド出身の彼は、東欧の共産主義体制瓦解に際しても、大きな影響力を発揮した。直接的な関与はもちろん無かったが、精神的な後ろ盾としての力は計り知れないものだった。
 そもそもが、宗教と共産主義とは、完全なる敵対関係にある。なぜなら、共産主義は宗教を否定しているからだ。共産主義の理論的創始者であるマルクスは、「宗教は民衆の阿片である」と表現し、真の民衆社会を実現するためには宗教は敵であると説いた。
 その共産主義が政権をとっているポーランドで、大司教まで務めた宗教家として生きるのは、毎日が緊張と政治闘争の連続だっただろう。教会内部の政治闘争の厳しさも、歴史的に有名なところだ。
 それを潜り抜けて法王になった彼が、最期まで平和主義を貫き、しかもこれ以上に無いほど実践的であった事は、どれほど高く評価しても高すぎるという事は無いとすら思える。
 無批判に彼の行動をすべて賞賛する気は無い。カトリックに対する不信感も、私には拭い切れずに存在するし、今後もそれが失われる事はないだろう。
 ただ、亡くなったヨハネ・パウロ2世の偉大な魂について、それを記しておく事は、私にとって無駄なことではないだろうと思った。