小説雑感

 小説を書く人に、小説のどんなところが書いていて面白いのか、と尋ねる人がいる。
 難しい質問ではある。答えようがない。やむにやまれず書いている人にとって、書く事は苦行のようなものだろうし、好きで書いている人にとってみれば、書くことのすべてが楽しいからそうしていると答えざるをえない。
 私は趣味で書いているのだが、何が楽しいと聞かれると、ちょっと返答に困る。
 書くことそのものが楽しい、というのは、確かにある。だが、たいていは次の文章がなかなか書けずにうなっている気がする。
 快調なときは一種の興奮状態に入っているから、それが昂じると麻薬でもやっているのではないかという異常なテンションになったりする。後でそのときに書いていた部分を読み返すと、「なんじゃこりゃ」と首を傾げるようなことを書いている。
 かといって、苦しみぬいて書いたものがいいかというとそうでもなく、苦しんでるなあ、と読み手に露骨に伝わるようなしょうもない文章を書いていたりする。バランスが大事、というところでは、他の趣味や仕事と何ら変わらない。
 小説の展開について考えるのは楽しい。イメージを脳内で遊ばせる、つまり妄想している段階では、実に楽しい。ところが、それを具現化して行く段階で必ずイメージとのずれが生じ、その乖離がひどくなると、もう書きたくもなくなってしまう。筆力というのは、この、イメージと、それを具現化した文章というものの乖離を、どれだけ少なくできるかという力量のことをさしている気がするほどだ。




 私の文章の書き方は、感性で書いていくというものではない。感性で自由に小説が書けるほど才能があったら、土木業界の営業マンなどしてはいない。残念ながら、私の感性など人様にお見せできるほどのものではなく、ディティールを積み重ねて自分が書きたいものをどうにか表現していくという手法に頼らざるを得ない。
 小道具的な要素や伏線、膨大な設定に頼った小説というのは、感性で書く人の小説ほど胸を打たない割に、読むのに根気が要る。
 文章構成力が未熟で発想も十人並みなくせに、知識と度胸だけは豊富というヤングアダルト作家などに多く見られるが、小道具の配置やら裏設定やらにこりすぎて、肝心な主題がぼやけてしまったり、知性化に走りすぎて雑学と論理の羅列のようになってしまったりする小説も多い。こういう小説は、読んでいて疲れるし、読後感も「疲れた」で終わってしまう。胸になにも残らない。
「すごいだろう、勉強してるだろう、君たちにこんなに知識があるかい?」
 と訴えかけでもしたいかのような、ヲタクの悪い部分が全開の小説というものが、特にここ10年くらいの間に増えてきている。
 そういうものを読みたい、という読者もいるのだろうから、それはそれでいいのだが、その手の小説は人間の描写がおざなりだったり紋切り型だったりして、一種の価値観体系の共有であがゆえにお約束こそ命である「萌え」がいまいちしっくり来ない、という私のような古い人間にはついて行きかねる。
 という私も、大して人間のことなど書けないから、人のことがいえた義理ではない。
 それはそうだろう、引きこもりを経験し、今でもまともに人間関係を構築できないとこんなところで吐露しているような人間に、人間が描けるはずがない。
 だから、私の小説は世間に流通している知識を再編集したようなものになってしまう。
 最近書き始めた例の小説は、いわゆる学園物だが、格闘技に関する記述が非常に多くなる。
 その知識は、ほぼすべて付け焼刃。
 私に格闘技の経験は無いし、あるとしても、中学の途中までやっていた剣道くらい。昇段審査の前に引きこもったために初段すら持っていない。
 それ以外にスポーツができるわけでもなく、喧嘩だってそうまともにはしたことがない。ないよ。ないんです。
 だから、頭の中で喧嘩のシーンを色々と考えて行くしかないのだが、肉体感覚としての喧嘩や格闘技を大して知らないから、どうしても想像のよすがとして知識を必要とする。
 だが、ここまで生きてきて格闘技についての知識を求めた経験が無い私には、無責任でいい加減な極私的ブログ小説を書くだけの材料すら持ち合わせがない。
 設定もろくにせずに書き始めてしまったから、今頃になって仕方なく、格闘技やら武道やらについて勉強し始めている。こういうのを泥縄という。
 格闘技だけの話ではない。
 たとえば、渉己や美紀の髪型。
 私は男で、周囲に女がわんさかいるという環境にはおらず、女性の髪型についてまったくといっていいほど知識が無い。どんな容姿でどんな性格の女性がどんな髪形を選び、それを文章で表現するためにはどうすればいいのか、という部分は、私にとって未知の世界。それを教えてくれと頼める女性でもいればいいのだが、あいにく、天下無敵の完全シングル。女友達一人いないときている。
 仕方がないから、これも資料を当たって調べていくしか方法がない。渉己や美紀くらいならまだいいが、これから女性キャラが増えていった時が怖い。
 第1章の1でいきなり歴史ネタが出てしまったが、あれは伏線として出している。と同時に、ガス抜きでもある。つまり、資料もなにも見ないで書ける程度の歴史についての記述は、私にとって息抜きになるということ。
 わたしはそもそも歴史が好きなわけで、好きだからこそ自分の浅学が情けなくてとても歴史を題材にした小説などは書けないのだが、メッテルニッヒだのビスマルクだのという単語を文章の片隅に書けただけで、ちょっと嬉しくなってしまう自分もいる。
 知らない人にとってみれば、あんな単語が出てきても迷惑なだけなのだろうけれど。