陰謀家の恋


タイトルはなにやら派手だが、特別なことを書くわけでもない。
日本史上の陰謀家の代表格、というイメージがある男が、その晩年に恋をしていたという話をたまたま知っただけの話。




日本史の陰謀家というと、誰を思い浮かべるだろうか。 時代が新しい順に適当に挙げていくと、明治期なら大久保利通、江戸期なら幕府開闢の家康、その腹心の本多親子、戦国期なら斉藤道三あたりも入ってくるだろうか。室町期はどうも陰謀も小粒で人物も小さい場合が多いから、とっさに思い浮かばない。義満を陰謀家扱いしていいものかどうか。鎌倉期では北条一門は陰謀家としての才を存分に発揮している。幕府を開いた頼朝も、陰謀家としては一流だったが、妻の政子とその眷属には及ばない面もあったようだ。
それ以前の歴史では、歴史の舞台が主に宮廷だったからか、陰謀らしい陰謀が目白押し。いちいち挙げていくとキリが無いほどだが、では鎌倉以前の歴史上、つまり日本の古代史上最大の陰謀家は誰だっただろうか。
何人か候補を挙げろといわれたとき、たいていその中に入るだろう巨魁がいる。
中臣鎌足、あるいは藤原鎌足
言わずと知れた、大化の改新の中心人物。
中大兄皇子とともに蘇我氏を打倒し、天皇中心の律令国家体制を築き上げた人物。




この鎌足が、晩年、恋をした。
采女」という存在がある。
簡単にいえば天皇の世話をするための女官で、美人であること、処女であることが条件だったらしい。美人云々はともかく、宗教的性格を強く持っていた古代の天皇だから、それに仕える女官には、穢れというものが許されなかったのだろう。
地方豪族の娘から選ばれるこの女たちは、皇族たちですら手を触れられなかった。天皇ただ一人のためだけに存在が許されている。「穢れ」を嫌うという、神道の本質ともいえる思想がそこにはある。
皇族ですらそれだから、もちろん臣下の者たちにとっては高嶺の花というのも馬鹿馬鹿しい存在だった。
鎌足は、大化の改新によって後の天智天皇、中大兄の腹心として栄達を極めた。内臣(うちつおみ)という、律令体制の大臣ではない職(令外官)に就いていたが、これは彼の出身が決して大豪族ではなく、にもかかわらず彼が左大臣あたりになってしまうと、他の大勢力を無用に刺激することにもなりかねないという、政治的配慮から行われた人事。彼が政権の中枢部に座していた事は誰もが認める事実だし、立場はともかく、中大兄が実効支配する朝廷におけるナンバー2が誰か、知らない者はいなかった。
そんな権勢家の彼でも、自由にできないことなどいくらでもあった。彼は所詮人臣に過ぎず、皇太子のまま執政を続けた中大兄の側近から、即位して天智天皇となった主君の腹心に変わっていっても、他の皇族や大豪族たちの前では、儀礼的にではあれ頭を下げ続けていたに違いない。
そんな彼が、50も過ぎてから恋に落ちてしまった。
ちなみに乙巳の変とも呼ばれる大化の改新のさきがけとなったクーデター劇は、彼が31歳の時のこと。
恋の相手は采女の安見児(やすみこ)。




前述の通り、采女に恋をしても、相手が悪すぎる。
皇族どころか、人臣の身である鎌足にとって、采女は、年来の同志である天智帝などよりもよほど雲の上の存在だっただろう。
当時の50代前半は、もういつ死んでも不思議ではない年齢だろう。事実、彼は55歳で死んでいる。采女に恋をした時の鎌足は、死期の数年前ということになる。
彼がどのように采女に恋したかはわからない。記録など残っているはずもないからだ。
だから想像するしかないのだが、そのよすがはある。
結果からいうと、かれは天智帝の好意により、安身児を下賜される。つまり、天皇の手によって恋する安身児を与えられ、恋を成就させた。
想像のよすがというのは、彼がその時のことを詠んだ歌のこと。万葉集に収められている。



 われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり



意訳するのも他愛ない歌だ。
「私はすでに安身児を得た。誰もが欲しても得られないという安身児を手に入れたぞ」
という、寓意も言葉遊びもない、そのまんまの歌。
50にもなった男が、である。
いくら詩文に疎くても、もう少しましな歌い方があろう物を、この老人は力の限り快哉を叫ぶようにして詠んだ。
老境に入り、天智帝の下で大事業を成し遂げてきた男が、こうも手もなく恋に随喜する姿を、現代の私はどう受け止めるべきだろうか。
同時代人たちがどのようにその姿を見ていたかはわからないが、この単純すぎるほどに恋を勝ち取った喜びを詠った歌を、万葉集という選集にわざわざ載せた人間がいる、というあたりに、なんともいえない興趣が漂っているようにも思える。なにも権門の開祖だからという理由でこの歌が載ったわけではあるまい。



歴史を代表するような陰謀家でも、下級役人の時代からひたすら国家の体制を確立させるために陰働きを続けた男でも、こうも他愛ない男を演じてしまう。
恋の力は偉大だ、とでも書いておけば、当たり障りない結論になるだろうか。