タイ政変


タイの軍事クーデターが話題になっている。
自国の首相が変わる時期に他国のネタを引っ張ってきてもしかたがないのだが、安倍晋三のことなどこれからいくらでも触れる機会があるだろうから、二度と書くこともないだろう、タイの政変について少し考えてみる方が、やっていて楽しい。
楽しがる事件でもないわけだが。
ただ、以前チャットなどをやっていた時期、日本語を学んでいるタイ人と親しくなったことがあり、その影響で多少タイについて調べたりもしたから、もともとタイには親近感がある。
すくなくとも、選挙前の資金集めのパーティに会社の営業付き合いで借り出され、その時に流れで握手してしまった安倍晋三より、毎日のようにあいさつを交わしていた友人がいる国の事件の方が、今のところ私にとって興味深いのは事実だ。



今回の軍事クーデターはほぼ無血で終結しそうである。
いつの頃だったか、軍の力を背景に強権に走る首相と、対峙する民主化指導者らとの抗争が激化したとき、双方が国王の不興を買って結局土下座して泣きを入れたという事件もあったが、タイという国、実はクーデターはそれほど珍しくも無い。
東南アジアでは最も民主主義が成熟した国のひとつとされているタイだが、つい15年ほど前までは事実上の軍政下にあった国でもある。軍政の国で、立憲君主制で、という特異な国だったのだが、国王の権威が日本では想像もつかないほど高いため、軍政もそれほど苛烈なものではなかったようだ。隣国ミャンマー軍事独裁政権とは異なり、民衆の尊崇を集める国王の意向を無視して独裁政権を維持できる勢力は少なく、そういったものが現れても、その内に別勢力が国王の示唆を受けてクーデータを起こし、打倒してしまうこともあった。



ラーマ9世プミポン・アドゥンヤデート王、というこの人物が非常に興味深い。
立憲君主制の国のタイでは国王に統治権は無いのだが、そのわりに、国を揺るがす大事件を起こしている二大勢力のリーダーたちを玉座の前にひざまずかせ、一晩説教して事態を収めてしまうという偉業を成し遂げたりしている。
ついさっきまで血で血を洗うような抗争を繰り広げていた両陣営のリーダーを御前に呼びつける、それが出来るだけでも大したものだが、あまつさえ、いい大人を玉座の前に正座させて夜を徹しての大説教、食らった連中も泣きに泣いての詫び入れ騒動、というこの図の滑稽さ、凄み、楽しさはどうだろう。
立場や歴史の持つ権威だけで、それが出来るはずもない。僧歴も持つ穏やかな人物像で知られる王だが、穏やかなだけの人物が、一人で国内の騒乱を収めてしまうほどの権威を発揮できるはずも無い。ある種の人格的な威力、迫力というものが、プミポン国王には備わっているのだろう。



今回の騒動で喜劇の主役になってしまっているタクシン首相は、不正資金疑惑で一気に政治不信を増大させたことで下院の解散を余儀なくされたが、その選挙で大勝を収めた。この4月のことだ。
それは野党が選挙そのものに反発して白票が積み上げられた結果であり、国民の信を問うた選挙としてはあまり意義があるものとはいえなかったが、勝ちは勝ちであり、タクシン首相も勝利を宣言すると、そのまま首相の座に居座ろうとした。
が、勝利の余韻にひたったままで国王に謁見した彼は、その日の内に退陣を表明。
何が起きたかは推測でしか語れないそうだが、まあ、タクシンがこのまま首相に座に固執していては、治まるものも治まるまいと考えた国王が、国内政治の安定化のために彼に自主的な退陣を求めたのだろう、という辺りが正解らしい。
退陣表明周辺で流された彼の映像は、いかにも憔悴しきっていて、選挙時の彼の剛腹な態度とはうって変わっていた。調子に乗って暴れていた小僧が、親父に怒鳴られてしょげ返っているようだ、などと書くといくらなんでも酷いたとえではあるが、そんな感じに見えて私は笑ってしまった覚えがある。



ただ、退陣後の彼のやり方は良くなかった。
副首相が首相権限を代行し、次期政権までのつなぎ役を果たすという建前の元、退陣したはずのタクシンが院政をしいたのだ。
院政、というのは語弊があるかもしれない。実質的にはタクシンが以前同様の権力を握り、国政を動かしていたからだ。であればこそ、今回のようなことも起きた。タクシンが首相として外遊に出たからこそ、その隙をついてのクーデターが起きたといえる。
どう好意的に見ても、タクシンのやられっぷりは見事というほかなく、その間抜けっぷりは歴史的なものに思える。



タクシンがいない隙にクーデターを起こす、という絵を描いたのが誰かはわからないが、それが最も国内を乱さずに政治の正常化をもたらす手段だ、とタイ国民自身が考えているからこそ、この穏やかな軍事クーデターが成立しているのは間違いない。
このクーデターの素案が国王に提示され、国王がそれを承認したのではないか、という推測も諸外国筋では流れているようだが、タイの人々はそういうことはあまり考えないようだ。不敬に当たる考えだから、あえて考えないようにしているのだろう。
国内の安定を望む現実主義のマキアヴェッリズムから考えれば、今回のクーデターは、軍部の独走を排除できさえすれば非常に効率がいい。機能不全に陥っている政界を、一時的な強権発動で一極化し、混乱を収束させた上で民主政治に速やかに移行する、その手段としては効率がいい。
もちろん法に基づかない行為だから弾劾されて然るべきではあるが、政治とは結果である。目的が正しく達成され、結果として国民の福祉につながるのであれば、あらゆる手段は正当化されるのが政治だ。
ただ、軍によるクーデターという手段はあまりにも強すぎる劇薬であり、たいていの場合上手くいかない。結果に結びつかない場合が多いから、手段としては忌避される。
ただし、その軍を抑えられる力を持つ権威がある場合は、その限りでは無い。今回のタイの政変では、その権威は厳然として存在する。プミポン国王だ。
高齢になり、現在では公務を減らして半ば隠退生活を送っている国王だが、その絶大な権威は、軍の独走を決して許さない。軍部もそれを充分すぎるほど知っているから、国王に対する絶対的な尊崇を表明するため、銃に国王のシンボルカラーである黄色のリボンをつけたり、幹部連も事あるごとに国王への敬意と速やかな民主体制への移行を表明している。



国王が亡くなったら、国王個人のカリスマと、デリケートな政治姿勢とが生み出している絶妙なバランスで成り立つこの不思議な体制は、確実に崩れるだろう。
そうなったときに、タイという国がどう変化していくのか、外から見ていられる日本人としては非常に興味深いが、これも不敬に当たる考え方だろうか。
とりあえずは現在の軍事政権がどれだけ速やかに権限の移譲を達成できるか、その受け皿となる民主勢力がどれだけ上手く政権運営できるか、それを見ていくことになるが、国内の混乱にいい加減うんざりしている国民たちは、どのように事態を眺めているのだろうか。
久しぶりにタイの友人に連絡を取ってみようか、と思ったりもする夜だった。