相撲


 私は相撲好きである。あまり人には言わないが。
 若貴ブーム以降の相撲には興味が持てない、という友人がいたり、間延びしたデブ同士のぶつかり合いなんぞに興味は無い、という知人がいたり、相撲というものに否定的な意見を持つ人が周囲には多いのだが、私は好きである。
 好きなものに別に理由など必要は無いのだが、あえて挙げるとすれば、まずは時間。
 相撲の取り組み一つ一つは、大した時間はかからない。長くてもせいぜい2分、多くは10秒とかからずに終わる。その瞬間だけ見ていればいいから、何かをしながら見るのに都合がいい。相撲が行われている時間はたいてい何かと忙しい時間帯だから、目を離していられる時間が長い競技はありがたい。
 平日はもちろん仕事で見られないが、休日にのんびりと見るには、このまったり感と緊張感のバランスが心地良い。
 また、わかりやすさということもある。
 相撲に判定は無い。複雑なルールも無い。独特の様式というものはあるが、見ている側には関係が無い。とにかく、足の裏以外に土が付くか、土俵の外に出るかすれば勝負が付く。この単純明快さが好ましい。
 高度な競技はルールの複雑化によってイコールコンディションを企図したり、意外性の導入を図ったりするが、それが熱狂的な一部観客以外にはわかりにくいものになってしまうと、競技自体の衰退を招く。見ていてルールが分からないものを、誰が見るだろうか。新しいファン層が増えない競技に、新しい競技人口が発生するはずも無い。
 相撲は、競技人口的には苦戦しているかもしれないし、観客も減ってはいるが、これで単純明快なルールでなければ、新しいスポーツが次々に脚光を浴びてきた中で、とっくに滅びていたはずだ。


 好きといっても、それほどマニアックな好きではないから、中入り前から熱心に見るという事はあまりない。いってみれば大相撲のトップリーグである「幕内」の取り組みがほとんどだ。
 見るようになったきっかけは、父親が相撲好きであったこと。
 私が物心付いたとき、もっとも強かったのは千代の富士。言わずと知れた昭和最後の大横綱だ。
 父が好きで見ていたものといえば野球があるが、こちらはどうも好きではない。ゴルフなども後年見るようになったが、私は全く興味が無い。父が見ていて好きになれたのは相撲くらいのものかもしれない。
 それでも、自分からわざわざチャンネルを選んで見るというほどの事は無かった。
 それが、自分から望んで見るように変化したのは、専門学校に入学して家族からはなれ寮生活を始めたのがきっかけだった。
 工学系の専門学校は、課題が多かったり授業時間自体が多かったりして、あまり遊んだりバイトをしていたりする暇は無い。金も無い専門学生は、講義が終わればまっすぐ帰って課題に取り組むかテレビを見るか、ゲームをしたり寮仲間と飲んだりするくらいしかやることがない。
 私も例外ではなく、講義が終わるとまっすぐ寮に帰ってテレビを見ていたのだが、そこで、帰るとちょうど中入り後しばらくした取り組みが行われている相撲に引きこまれた。



 当時は若貴曙全盛後期であり、何かと話題には事欠かない時代ではあったが、それらの取り組みには大して興味は持てなかった。
 私の目を引いたのは、技巧派の力士たちだ。
 近年の技巧派で有名なところというと、少し前なら舞の海技のデパートと呼ばれた超小兵力士で、小錦や曙や超大型力士との対戦ではその健闘ぶりで観客を沸かせた。
 現役でいうと、旭鷲山か。技のデパートモンゴル支店、などと呼ばれる技巧派で、異名が示すとおりのモンゴル出身力士。最近は技巧派ぶりも話題に上らないが、つい先日も「外小股」という珍しい決まり手で勝っていた。
 現在の唯一の横綱朝青龍も、平幕時代などは業師として知られていた。今だって、想像もしないような取り口で相手を圧倒することがある。



 目が肥えてくるに従い、もっと別の見方も出てくる。
 たとえば、引退したばかりの元大関武双山(藤島親方を襲名)。
 彼の相撲は、前進一途の押し相撲。立会いでの変化を嫌い、現役時代、ただの一度たりとも変化せずに正々堂々立ち会ったことで、熱い相撲ファンから絶大な支持を得ていた。
 負傷が多く、その実力や底力が充分に発揮されたとは言いがたいが、弾丸のごとく低い態勢から相手を突き飛ばすその豪快かつ爽快な相撲は、ファンたちに強烈な印象を残した。また、性格も謙虚かつ真摯に相撲に向き合うタイプであり、その点でも支持が篤かった。私も、そんな武双山関の直情的な相撲に惹かれた一人だ。
 武双山関の引き際は鮮やかだったが、一方で、同じ元大関たち、あるいはベテラン力士たちには、自身の限界まで現役を勤め上げて完全燃焼してから引退する者もいる。それらも、ファンの心を熱くする。
 近年で特に有名になったのは、小錦だろうか。
 その体格ゆえに抱えた爆弾、ひざや足首の負傷に常に悩まされ、現役の後半には立つことすらままならない体でありながら、大関陥落後も幕内陥落まで土俵に立ち続けた。その姿はファンからの絶大な人気を産み、土俵の内外で話題を振りまいた。
 玄人好みのするところならば元大関霧島。小兵ながら、筋肉質な独特の体と整った顔立ちで人気があった。大関陥落後も土俵に上がり続け、すばやい取り口と多彩な技、何より相撲に取り組む真摯な姿勢でファンを魅了していた。



 現役で、小錦や霧島と同様の人気を集めているのが、元関脇琴ノ若
 現役最年長であり、娘婿として佐渡ヶ嶽部屋を継承することがほぼ決まっている。
 体が大きく、優しい顔立ちをした力士で、見た目どおり勝負師としてはちょっと迫力に欠ける面が否めない性格ではあるが、長身ゆえの宿命であるひざの故障や、昔から痛めている左肩の影響で期待されている実力を発揮できない中で、人一倍の稽古と相撲に対する情熱で、しぶとく現役を続けてきた。
 体の大きさの割に非力とされる。これはおそらく体質の問題で、それゆえに体格を生かせずにいるのだが、筋肉のよろいをまとえなかったことが怪我の多さに繋がっているということもあるだろう。気が弱いというのも有名な話だが、弟弟子たちへの心配りの細やかさなど、 良い方向に出ている面も多い。そして、相撲に取り組むときの真面目さと素直さを疑う者はどこにもいない。
 花のある力士ではない。顔立ちが整っているから一時期女性人気が高かったが、派手な活躍をするタイプではないし、スキャンダルもこれといって起こしたことがないから、これまであまり脚光を浴びてこなかった。中継で、アナウンサーに「大関になる素質は充分なのですが」とか「もっと活躍できる高い素質を持っているんですが」などといわれ、残念がられるのがいつものことだった。
 そんな彼ももうじき37歳。幕内在位も歴代単独4位、もはや土俵に立っていること自体が評価される存在になった。関節という関節に怪我を抱えている、といってもいい満身創痍ぶりながら、若手に嫌がられる壁のような存在になりたい、と語りつつ今日も土俵に上っている。
 私が琴ノ若のファンになったのは、実は歴史が長い。理由は単純だが。
 私は山形県出身なのだが、琴ノ若も、現役では希少な山形県出身力士だった。NHKの地方ニュースなどで、子供の頃からよく名前を聞いていた。それこそ、入幕の前からだ。
 相撲そのものを見るようになったのは幕内昇進後だが、実に地味な存在だった。体格も顔もいいのに人気が出ないのは、勝ち星に波がないからだろう。勝ち越しても9勝どまり、負け越しても10敗はしない。特に優勝争いにからむことも無ければ、大一番で華々しく勝つことも無い。
 少年がこういう力士を好きになるはずも無く、しばらく彼の存在自体が眼中に無い時代が続くが、社会人になってふと相撲を見ていると、少年の頃と同じ姿で奮闘する彼が画面上に映し出されているではないか。
 正直、感動した。まだ現役最年長などといわれる前のことだが、10年も幕内で頑張り続け、テーピングだらけの体で黙々と土俵に上がり続ける彼の姿に、私は静かな想いに満たされた。
 去年、朝青龍とのアクロバティックな相撲で脚光を浴び、今場所も横綱取りを目指す魁皇を投げの打ち合いで下した。ここまで年をとってから、相撲内容で話題になる取り組みが出来る力士、それが琴ノ若だ。何時引退してもおかしくはないが、その最後まで、私は一ファンとして見守っていきたいと思っている。