相撲3


 東の関脇、若の里
 付け出しデビューの上位力士が多い中、若の里は中学卒業とともに大相撲の世界に飛び込んだ正統派。同じように下積みから上がってきた栃東ほどではないにしろ、若の里十両や幕下で優勝を積んできた力士。三賞の受賞も多く、3年前ほどから大関候補と言われながら、なかなか関脇から上に達することが出来ずにいる。
 写真を見ると分かるが、若の里の身体は筋肉質。肩が盛り上がり、腕にも油断した重量力士のようなたるんだ肉が無い。そういう体つきを固太りというが、その外見にたがわず怪力の持ち主とされ、突いてもよし、組んでも良しの好力士だと評価される。
 彼の昇進が遅れているのはひざの負傷が原因だという。もっとも、大関昇進がかかった場所でかならず負け越したり10勝に届かなかったりする彼の勝負弱さにも原因があるだろう。他の上位力士との組み合わせで昇進を逃す番付の不運もあった。
 実は、彼のことをあまり私はよく知らない。注目していなかった、というレベルではなく、ほとんどその存在が目に入っていなかった。
 なぜだろう、と自問しても解答がうまく導き出せない。確かにそれほど花のある力士ではないかもしれないが、関脇に定着して数年立つ実力者なのに。
 たぶん、上位力士と当たった時に、たとえば優勝レースをひた走る相手を倒して場所の行方を左右する、というような場面がそれほど多くなかったからかもしれない。いずれにしろ、私にとっては書くのが非常に難しい関取ではある。



 西の大関千代大海
 三度の優勝歴を持つ実力者。大関昇進以降は怪我のせいもあって精彩を欠く時期もあったが、節目節目できっちり結果を出してきた。もっとも、ここ数場所は朝青龍にいいようにしてやられ、相撲ファンのため息の元となっている面も否定は出来ない。
 彼のエピソードは実に個性的。というより、いっそたいしたものである。
 よく知られている話だが、彼は中学時代、九州でも有数の不良としてその名を知られていた。様々な伝説、たとえば20人を越える高校生の集団を一人で叩き潰しただとか、年齢を偽って出場した某実践空手団体の九州大会成人の部で3位入賞を果たしただとか、そういったもののほとんどは事実であるらしい。記録に残らない、喧嘩の相手の数などは誇張があるにしても。
 千代の富士に憧れて入門した九重部屋で、師匠となった当の九重親方(千代の富士)は、金髪にそりこみの気合系ヤンキーの姿を見て驚いたという。中学卒業後にとび職についていた千代大海だが、一度グレ倒した人間がそう簡単に世間に馴染むはずもなく、不良仲間と暴れまわる日々が続いていた、その末の入門だった。
 入門については、これまた有名な話がある。息子の生活の荒みっぷりに業を煮やした母親が、彼に包丁を向けて「お前を刺して私も死ぬ」と言い放ったという。稀代のヤンキー龍二(本名)も、決して母親を憎んだり嫌っていたりしたわけではなかったそうで、ここは親孝行するためにも更生する必要がある、と考えた末、土俵上なら誰に文句を言われることも無く喧嘩が出来るじゃないか……と考えたかどうか、とにかく角界への道を選んだ。
 それ以降の活躍ぶりはここに書くまでも無いが、彼の相撲は、好調な時に出るツッパリの嵐に代表される、まさしく喧嘩相撲。見ていて爽快なほどに突きまくり、前進し、突き飛ばす。元ヤンがあれくらい気持ちよくガンを飛ばしながら相手を圧倒してくれると、見ていてこちらも気分がいいくらいだ。
 ところが彼の身に染み付いた悪い癖がある。引き癖だ。致命的なほどに、特に調子が悪いときなど、彼は引く。しかもそれが下手だったりするから目も当てられない。勝ち星を見て行くと、なんと3分の1近くが引き技の末の勝ち星。彼には強烈なツッパリがあるからまだしも引きが有効になったりして勝てているが、見苦しいにもほどがある、と見ていて吐き捨てたくなることがある。
 バリバリの元ヤンキーらしい気合と根性で前進する相撲を取り続ければ、彼だって横綱の器である。調子に乗ったり奈落の底へ落ちたりするのはそろそろ終わりにして、師匠を見習って相手を飲み込む迫力と凄まじい闘志で土俵をつとめて欲しい。
 どちらかというと、生真面目な力士よりも、悪童振りを存分に発揮するタイプの力士の方が私は好みなので、彼にはまだまだ精進して欲しい。最強のヤンキーと呼ばれた男なのだから、角界で目指すところは天下に決まっているではないか。



 東の大関魁皇
 5回の優勝を誇る角界の実力者。言わずと知れた人気者で、横綱候補として幾度も期待をかけられたが、その度に壁に当たってはね返されてきた。三役と平幕を行ったりきたりする期間が長かったが、大関になってからは4度の優勝を果たすなど、大関としての役目は果たしている。
 彼の特徴はなんといってもその怪力。小手投げで幾人もの力士の腕を破壊したといわれるその力は、一般的な握力計では計測不可能。右上手一本で相手を土俵下まで投げ飛ばす姿には驚かされたことがある。立会いに突っかけて行くタイプではないが、無理に相手が懐に入ろうものなら、かいなで相手をねじりこむようにして追っ付け寄り切ってしまう馬力もある。
 だがそれも好調な時の話。持病の腰痛で体調が冴えなかったりすると、手も無く平幕に転がされたり、脚の踏ん張りが利かずにするすると土俵を割ってしまったりする。その好不調の波の激しさが、彼の相撲人生を浮き沈みの激しいものにしている。
 また、気の優しい性格が災いしてか、プレッシャーのかかる場所で実力が発揮できない歯がゆさもある。横綱になる力士の条件として、なんといっても大きいのがここ一番での精神的な強さだが、魁皇には土俵人生がかかるほどの重圧に耐え切れない繊細さがある。そこが、彼の人気の秘密でもあるのだろうが。
 非常に人気の高い力士で、性格の明るさからか、笑顔がとてもいい男である。気は優しくて力持ち、を地で行く。立会いで右をしっかり踏み込んで上手を取れば出てくるあの強烈な投げと、一転して踏み込みに失敗した時に簡単に負けてしまうもろさとが対照的で、確かに見ていて飽きない相撲を取る関取ではある。
 最近では徐々に肉体に衰えも見え始めているが、反面、精神的には強くなってきている……と思いきや、今場所での大崩れ。さすが魁皇、悲運の大関っぷりをこれでもかとばかりに見せつけてくれるものだと皮肉の一つも出ようというものだが、彼の場合、とにかく腰の持病がつらいところだ。腰が安定しない分身体のあちこちに負担がかかり、今回も肩を痛めての休場となった。
 和製横綱を求める周囲のプレッシャーが彼を苦しめている部分はあるのだろうが、稽古熱心で弟弟子たちの面倒見もいい彼の姿は、相撲界の財産であるといっていい。無用な引きなど見せず、これからも魁皇らしい豪快な相撲を見せて欲しい。



 そして横綱朝青龍
 モンゴル出身力士としてはじめて関脇に上り、話題になったのも今は昔。今や平成の大横綱と称され、向かうところ敵無しの現役最強力士である。
 優勝、すでに9回。今場所の優勝も既に見えてきて、10回目の制覇も夢ではない。調子が悪いとしきりに口にしていてこれなのだから始末に終えない。もっとも、絶好調の場所ではポカをすることもあるから、多少調子が悪いほうが落ち着いて相撲を取れていいのかもしれない。それも、あふれんばかりの才能の証明といえるだろう。才能が無ければ、調子の悪さと敗北は同義語なのだから。
 彼はその存在が物議をかもす。とにかく、相撲界の間尺に合わないらしい。左手で懸賞金を受け取る、横綱審議委員会のけいこ総見をたびたび欠席する、勝った土俵での不遜なしぐさ、泥酔しての大暴れ事件、などなど。数え上げればきりが無い。
 そういう朝青龍が、実のところ好きだという相撲ファンは案外多い。ナベツネが「今度問題を起こしたら引退勧告だ」と口にした時も、多くの人間が「老人の妄言だ」と一笑に付した。好き嫌いの別れる力士だが、少なくともナベツネよりは人気があるようだ。
 彼の取り口は多彩。立会いの突進は無いが、相手が変わっても慌てずにさばき、相手が突進してくればその勢いを下半身の粘りと巧みな上半身の使い方で受け止め、その間に回しを取るなり突っ張りに出るなりして圧倒する。平幕から三役に上がった頃には奇手も見られたが、横綱になった頃には右四つ主体の相撲を確立。技は多いが、これは彼が狙っての事というより、相手の弱点に素早く入り込んでの鮮やかな取り口の証明だろう。
 とにかく、彼の身体能力には目を見張るものがある。それを見事に目の当たりにさせてくれたのが、平成16年名古屋場所中日の琴ノ若戦。その取り組みの中で、朝青龍琴ノ若の左上手投げを受けてひっくり返ったかに見えたが、琴ノ若のまわしをつかんだまま死に体というには美しいほどの角度でブリッジ。結局同体取り直しという結果になったが、その判定の是非はともかく、朝青龍という力士がいかにずば抜けた身体能力の持ち主であるかを、見事に世間に知らしめた一番だった。
 私は、朝青龍のファンである。
 強いから、という理由も当然あるが、あの気性の激しさが良い。土俵に上がるまでの間、らんらんと敵手をにらみつける表情。土俵上時間になると大きく左に身体をねじり上げるあのしぐさ、カメラに向かって投げつける眼光。同じく気性が荒い千代大海とは違い、少しも虚勢が感じられない。24歳にして、威厳らしきものまで身についてきた。
 まだまだやっている事はやんちゃ坊主で、横綱の責任を一人で背負う男とは思えない幼稚な言動もあるが、それすらも実力で忘れさせてしまう彼の輝きに、今の相撲界は完全に圧倒されている。
 今後、若手が伸びてきて彼の地位を脅かすことがあるかもしれない。白鵬琴欧州などの有望外国人力士たちも、次々に彼の後背を狙うようになってきた。だが、彼は大きな怪我さえせずにいれば、まだまだこれから絶対的な強さを見せてくれるだろう。あの鋭い眼光を超える眼差しは、今の相撲界には見当たらないのだから。