地中海


 現代ヨーロッパの文明の基本となったのは、言うまでもなくギリシア・ローマ文明。グレコ・ローマン文明ともいう。
 現代の覇権国家であるアメリカ合衆国は、他の旧殖民国家と同様、ヨーロッパ文明とは切っても切り離せない関係にある。アメリカの現体制の支配層を形成するのは、ヨーロッパが産んだキリスト教原理主義。もっとも、アメリカの原理主義者たちは、ヨーロッパの堕落した宗教を軽蔑しきっているのだが。
 そのアメリカの属国といわれて久しい日本は、比較的ギリシア・ローマ文明の影響を受けずに*1文化を築いてきたが、明治維新以降の文明開化は、脱亜入欧の言葉を借りるまでもなく完全に西欧文明の影響下にあった。
 その西欧文明の淵源たるギリシア・ローマ文明とは、もっと範囲を広げて地中海文明と呼んでもいい。エジプトからトルコにいたる東地中海の文明から受けた影響を無視してギリシア・ローマ文明を語る事は出来ないからだ。
 西は大西洋、東はユーフラテス川、北は北海、南はサハラ砂漠にまで渡る一大世界帝国を築いたローマ。そのローマを文化的には乗っ取っていたと評されるギリシア。その文明を生んだ地中海。
 多種多様な民族が行き来し、様々な衝突の歴史を生んできたこの海を、ヨーロッパ人は今も憧れの対象として見ている。北国の人間が地中海の太陽に憧れる、ただそれだけではない。過去の偉大な文明が育まれ、栄華を誇った土地を訪ねることは、ヨーロッパ人にとって、自分たちが生きる文明社会のルーツをたどる旅でもあるのだ。
 その感情は日本人には理解しにくい。
 日本という島国は、他国から影響を受けることがそれほど密ではなかった。相互模倣の末に文明を築き上げた、という経験が無い。一方的に文明の余喘を受け入れたり、侵略したり、という、どちらに向かうにせよ基本的に一方通行だった歴史がある。日本人にとって、自らの文明の淵源を中国などに求めるのは、ある意味知性化の故であり、根っこでは所詮他国の文明という意識がある。
 一方で、ヨーロッパ諸国の人間にとって、ギリシア・ローマ文明は共有財産である。フランスなどは「我こそはローマ帝国の正当なる継承者」と自称したりするが、自国の文明だ、などと主張したりはしない。ギリシア・ローマ文明研究にかけてはナンバーワンを自他共に認めるイギリスも、そんな主張などするはずもない*2
 日本人がたとえば中華文明に触れる時に感じる思いと、ヨーロッパ人が地中海文明に触れるときに感じる思いとは、イコールではない。日本人が地中海文明に触れるときには、そのことを考える必要もある。
 地中海文明を知る、という事は、ヨーロッパ人の思想体系や文明の基礎を知ることでもある。ヨーロッパ人の教養の、もっとも基礎的な部分に触れるということでもある。



 と、ここまではヨーロッパの立場から地中海文明というものに触れてきたが、地中海世界とはヨーロッパの占有物ではない。
 東地中海で、中世から文明の覇者となってきたのは、イスラムである。
 イスラムは、あるいはギリシア・ローマ文明の正当なる後継者を名乗る資格があるかもしれない。
 ローマ帝国の後期、キリスト教が国教化された影響か、ギリシア・ローマ文明はキリスト教のものという印象がどうしても強いが、それはキリスト教をもって文明の要諦をなすヨーロッパ諸国に、現代の日本が多大な影響を受けているからに過ぎない。ローマ帝国は確かにキリスト教に乗っ取られた形となったが、キリスト教はその文明を一度は完全に否定した。
 イスラムは、キリスト教諸国が中世の闇に沈んでいる中、一度は滅び去ろうとしていた文明の哲学を学び、医学を復興し、技術を利用した。消滅しかけていた多くの文献を現代に残したのは、聖書以外の書物を異端として排撃したキリスト教ではなく、先人の偉大な記憶として保護し活かしてきたイスラム文明だ。
 近代以降、というより産業革命以降、キリスト教文明が一気にイスラム勢力の攻勢を排除し、世界の覇者となった。そのせいで、近代になって世界に出た日本は、その歴史を西洋の視点からのみ学ぶことになってしまった。
 一方向から見る歴史は、所詮一面から見ただけの厚みの無い歴史に過ぎない。厚みは、別の方向から見ないとわかりはしないものだ。
 別に宗教で色分けをして歴史を学ぶ、あるいはそれに触れていく必然性などありはしないが、地中海世界がある時期この二つにユダヤを加えた三つの宗教によって分けられていた事は確かで、ユダヤは排他性が強すぎるために他の文明を観察するに優れているとはいえないため、歴史を眺めるのに適当ではないにしても、キリスト教だけではなくイスラム世界からも地中海文明を見つめる事は重要である。



 といって、私はイスラムというものに造詣が深いわけでは、全く無い。
 というより、ほとんどイスラムを知らない。
 高校卒業後、大学受験どころか社会生活そのものから脱落してしまい、引きこもりを経験した私には、歴史を高等機関で学んだ経験が無い。ちなみに高校では世界史を学ぶことすらなかった。
 それでも趣味嗜好で歴史に触れる機会はあり、自分なりに学んできた。ただ、大学という教育機関で学ぶという事は、学ぶための思考体系を体に叩き込むということでもある。その経験が無いから、私の学習には系統立てた知識の集積や、文献を選ぶ力というものが欠けている。
 初めは小説から、次に啓蒙書的な本に移り、歴史に触れてきたが、専門的な本は開けただけで気が滅入る程度の歴史好きであるに過ぎない。
 その私にとり、小説の数は数えるほど、書籍の数でも圧倒的にキリスト教世界に及ばないイスラムを学ぶというのは、かなり難しいことだった。世間のイメージも、原理主義極右派のテロリズムなどで血にまみれているせいか、イスラムという言葉に対してあまり好ましいものを持っていないようだ。
 だが、地中海世界に多少触れていると、イスラムは絶対に切り離せない文明世界であり、その影響はキリスト教世界にも色濃く残っている。
 近年、「ローマ人の物語」の影響か、古代ローマに関する文章を目にする機会が増えた。その著者、塩野七生は、もともとルネサンス時代のイタリアを取り上げてきた小説家だ。
 彼女はその物語群の中で、イスラムをよく描いている。そもそもルネサンスという運動にとって、イスラムの影響が大きかったということもあるが、地中海世界の真ん中にあるといっていいイタリアにとって、ルネサンス期にイスラムの影響を否定する事は不可能なほど、その力は大きかった。国家間の外交にしろ、その延長線上にある戦争にしろ、あるいは通商上のライバルとしても、また文化の影響力にしても。



 別にイスラムから見た地中海世界を知りたい、と熱望しているわけではない。ただ、一方向からの歴史ばかりではつまらなかろう、と思っている。
 以前開いていて、今は放棄してしまったブログの中で、私は古代ローマについて触れたことがあった。古代ローマ帝国の皇帝たちの中で、私が三人好きな皇帝を上げろといわれれば必ずその中に入るティベリウスについて、結構しつこく書いた。
 ティベリウスが生きた時代、まだイスラムは影も形もなかったのだが、それをいうならキリスト教だって、後代の栄光を感じさせるような規模ではない。首都ローマでは、人の話題にものぼらなかったはずだ。宗教的価値観など、決して永遠でも無いし、ましてこの世の初めからあったわけではない。
 だが、宗教が世界を形作っている現実を無視するわけにもいかない。ティベリウスの時代を基準にして現代を考えるわけにもいかないし、世界宗教誕生以降の歴史を宗教抜きで考えることなど不可能だ。唯物論の誤りは、まずこの視点を否定したところにある、とさえ私は思っている。
 宗教べったり、あるいは宗教を基礎として歴史を考えたり見ていったりする必要は無いにしても、それをひとつの重大な要素として見つめる事は必要だ。そして、宗教をひとつの触媒として歴史を見つめる事は、宗教が血の現実を生む大きな要因になってしまっている現代の病巣を知るために、きっと有用であるはずだ。
 地中海世界を知る事は、それ以外の世界で起きている世界の痛みを知る、ひとつの近道である。現代史だけを学んでいてはなかなか見えてこないことが、豊穣すぎるほど豊穣な歴史の中から抽出できるはずだ。

*1:もちろん、全くというわけではない。仏像ひとつを取ってみても、ギリシア生まれのヘレニズム文化が無ければ誕生しなかったはずなのだから。

*2:ドイツを揶揄するとき、ローマ帝国の版図に入っていなかったとして野蛮扱いする事はあるが。もっとも、イギリスだって怪しいものではある。