断絶


 人間関係で何かが起きて、自分がどうしようもなく落ち込んだとき、それをどうにかできるのは結局自分の力でしかない。
 なんでも自分だけで解決しようとするのは良くない、というが、それは他者に迷惑がかかる場合、特に仕事のような場合でのこと。完全にプライベートな領域でそれが起きたとき、解決に導いていけるのは本人の意思次第でしかなく、他の人間がして上げられることといえば、愚痴を聞いてやることくらいでしかない。
 愚痴を聞いてもらう相手すらいない場合、落ち込んでいる人間が頼りに出来るのは時間くらいのものだろう。時間だけが、落ち込んだ原因を薄れさせてくれる。
 それでも、時間は立ち直るきっかけまではくれない。それを探すのは本人次第のこと。



 だから今は、ただ時間が過ぎるのを待つ。それしか出来ないだろうし、経験上、ひと月も我慢すれば気分などどうにかなるし、気持ちの整理もつく。それしか出来ない自分に歯がゆさを感じるほど、若くもない。



 今後、私が本音をぶつけられる友人を得るという事は無いだろう。今までがそうだったし、これからそんな幸せが訪れるとは思えない。それは私の性格に起因しているし、誰かのせいにするつもりは無い。そして、その状態を続けることに後悔も無い。するだけ無駄だからだ。昔に戻ることが出来たとしても、私に今と違う道が選べたとは思えない。
 それが寂しいことだと人に指摘されるのも慣れた。彼らに私の考えが分かるはずもないし、彼らの考えを私が理解することもない。ひとそれぞれの正義である。指摘されて腹を立てたり反論したりするのは愚かしいだろう。考え方の土台が違う。



 それでも、本音を相手にぶつけようとしたのは、相手がそれを望んだからだ。そして、相手にそう望まれることを私も望んだ。だから、そのことに後悔は無い。
 その本音が相手にとって無意味なものになった今、もうその相手にかける言葉は無い。私にとって、相手とのコミュニケーションは完全に意味を失った。相手にとってもそうだろう。
 語り合うときに私が発した言葉に嘘は無いし、相手の言葉にも嘘は無かっただろう。単に、今では相手との接点が失われたということだけで、何も過去まですべて否定する必要性は無い。
 相手とのコミュニケーションを忘れる事は無いだろうが、以前と同じような関係を取り戻すことを望むことも無い。ただ、記憶がそこに残っているだけだ。
 友情であれ恋愛であれ家族であれ、私にとって一度失われた関係性を再び得ようとする事はほとんど不可能事である。今度のことで、それを試みる気は無い。仕事などでそれが必要というのならばともかく、そうではないのだから。
 相手がこのブログを読むかどうかは知らないが、読んだところで相手がどうこの文章を受け取ろうが、もはや二人にとって意味のあることではない。関係性の断絶は、相手が選んだことなのだから。