高所恐怖

 仕事で、マンションの屋上に登ることになった。
 営業職の私だが、都合次第では技術職のように現場に出ることもある。今日は、客先との付き合いで引き受けた仕事の下準備のため、工事中の構造物を様々な角度からデジカメで撮影することになっていた。
 様々な、のひとつに、上から、というものもあった。幸いその構造物の近くには高層マンションがあり、その上から撮ればクリアできる。
 多くのマンションの屋上がそうであるように、登ることになった二つのマンションは、どちらも普段から人が登れるような構造ではなく、フェンスすらないふきっさらし。最上階の廊下に脚立を立て、天井にある細い穴から上に出ると、せいぜい40cm程度の壁が上にせり出しただけの空間が広がっている。
 先に登ったマンションは9階建て。東京近郊を流れる某川の河川敷に臨むそのマンションの屋上からは、鉄道橋や対岸の街並みが見渡せる。河川敷には冬枯れの芝や散歩をする人々、釣竿の林立する姿などが見え、その向こうには都心にいたるビルの群れ。上下線あわせて6本が走る鉄道橋にはひっきりなしに電車の長い胴体が行き来し、その上空をヘリがのんびりと通り過ぎて行く。
 風景をさえぎる無粋な壁もフェンスも無く、無風に近い恵まれた天候のおかげもあって、眺望はなにものにも邪魔されていない。



 だが、タイトルから想像はつくと思うが、私は高所恐怖症。眺望を楽しむ余裕などというものが存在するはずもなく、屋上のふち2mから先に足を進めることすらできはしなかった。
 構造物は残念ながらマンションに近接していて、際までよらなければ撮影などできない。
 無 理 で す 。
 無 理 で す 。
 あ り え ま せ ん 。
 だって近付けないんだから。
 まあ、デジカメはこの仕事の直接の担当営業である上司が持っていたから、ほぼ自動的に上司が撮影を始めていて助かったのだが、万一「お前撮れ」といわれていたら、土下座してでも勘弁願っただろう。
 高所恐怖症の人間の性癖として、自分が高い場所にいるわけでもないのに、他人が高いところにいる姿を見るだけですくみあがってみせるという技を繰り出すことがある。
 今日の私もそうで、上司や客先の担当が屋上の端に歩いて行くだけで、その姿を見ている私がすくんでしまった。頭を屋上からはみ出させて遥かな下を撮り続ける上司の姿を見ていられず、かといって視線をずらせば恐怖の絶景。やむなく、防水工が施された銀色の床面を見つめる羽目になった。
 そのマンションでの撮影が終わっても、拷問のごとき仕事は終わらない。その道向かいの11階建てマンションが待ち受けていた。
 こちらは築20年近いマンションで、近頃改修工事が終わったようだった。というのも、登っていった先の屋上の防水工がきれいだったからだ。なにしろそこしか見ていなかった私がいうのだから間違いない。
 さらに、このマンションの屋上、端の壁が先ほどのマンションよりさらに低い。30cmほどもないように見えた。
 さすがに上司たちも初めは怖がっていたが、どうもすぐに慣れたか、あるいは仕事への義務感が勝ったか、身を乗り出すようにしての撮影作業に入った。
 その姿を見たらまた恐怖の発作に襲われるから、あえて見ないようにしていたが、まったく、高所恐怖症の人間にとってあの度胸は尊敬に値する。鳶の人々などは私にとってヒーローだ。送電線維持管理の仕事をしている人々などは私にとって神か悪魔に等しい。などとあほなことをグルグルと考えながら、ひたすらじっとして作業が終わるのを待った。



 よほど高いところに慣れきっているか、高いということへの恐怖心が欠けてでもいない限り、だれでも高いところに対する恐怖心は持っている。経験上それが、生存の危機に直結することを知っているからだ。
 たいていの恐怖心は後天的に刷り込まれるもので、高所恐怖もその例外ではない。恐怖は、多くが経験や想像力によって生じる。トラウマになるほどの恐怖体験をした場合、そのことに想像が及ぶだけで体がすくんで動かなくなる。
 高い場所にいる、ということは、それだけの重力ポテンシャルを得ている、ということ。重力が働いている方向、つまり低いところへとまっすぐに向かうとき、物体はだいたい1Gの重力加速度を得ている。物体の速度とは相対的なものであり、二つの対象があって初めて説明できる。物体に1Gの重力加速度がついているとき、低い場所にある大地が地球の重心方向に対し静止していれば、物体は衝突する時点での大地との相対速度に重量をかけた逆向きの重力加速度を受けることになり、充分な強度が無ければそれに耐えられずに形を維持できなくなる。
 人間の場合、それが充分な高さからの落下であれば容易に死ぬし、2mくらいのことならよほど運が悪くなければ死ぬ事はないのものの、よほど運が良くなければけがをする。
 おおかたの人間には記憶する能力があり、特に痛かった思いやその恐怖は良く覚えるもの。だから、人間は幼いうちに適当な高さからの落下を経験し、そのことで恐怖を知り、高いところから落ちてはいけないのだと脳にきっちりと刷り込む。
 その刷り込まれた記憶に対する反応が激越になると、高所恐怖症とからかわれることになる。



 そういえば、高層マンションが普及し始めたバブル期前、そこで生まれ育った子供たちが高いところに対する恐怖心を持ち合わせず、そのことが原因と見られるとした転落事故が相次いで問題になったことがあった。普段から見ている高いところからの景色に慣れきってしまい、そこから落ちることがどういうことかという知識も想像力も養われないうちにベランダなどから身を乗り出して遊び、誤って転落した、という事故だったと思う。
 あの話はどこにいってしまったのだろう。
 高層マンションなど、当時よりよほど増えているはずだ。かといって、ベランダや外廊下のスペースが完全に覆われたマンションなどそうそうお目にはかかれない。何らかの事故が続いていてもよさそうなものだが、そういう話も聞かない。事故の記事などを私が目にしていないだけかもしれないが、誤って落下したという話題で最近聞いたのはクボヅカくらいのものだ。
 どうでもいい話だが、何となく思い出してしまったので。



 私が高所恐怖症を自覚したのは、時期は良く覚えていないが、まだ小学生にもなっていないころだったと思う。
 一家そろって、母の実家へ遊びに行ったときのこと。
 母の実家はさほどの山の中ではないが、少し車を走らせればすぐに1,000m級の山々に続く山道に繋がるという土地柄。川の最上流部に近く、そういった地帯にはご他聞にもれずダムがある。
 父は職業が土木技師であるせいもあってかダムが好きで、当時私が住んでいた新潟県湯之谷村にある奥只見ダムにも、よく家族でドライブがてら遊びに行っていた。
 母の実家に来ていたその時も、私は父に連れられてダムに行くことになった。家族一同一緒だったと思うが、母方の祖父母がいたかは記憶に無い。
 そこで、私は今でも背筋が凍るような体験をした。
 ダムの上にある道を歩いて、その先にある広場のような場所に行こうとしていた私は、父に呼び止められる。立ち止まった私を父は抱き上げ、笑いながら歩き出した。
 その先にあったのは、ダムの吐水部。満水時に水を排出するための施設で、ロックフィルダムというなだらかな形状を持ったそのダムの中で、唯一直角に近い角度を持つ。
 父は、私を抱いたままそこに近寄ると、ひょいと私の体を無造作に柵の外に出した。
 50m以下ということはないという遥か下に、渇水のためにむき出しのコンクリートが見えているその部分で、柵の外には問答無用の空虚。
 頼んでもいないのにこのいたずらをされたことが、私の高所恐怖症の始まりだった。余計なことをしてくれたものである。この一事だけで、私は父を恨むことが出来そうだ。



 以来、私の高所恐怖症は治る兆しがない。そうひどいほうではない、と自分では思っているのだが、仕事に支障をきたすようでは困ったものだ。
 高所恐怖症の人間というのは不思議なもので、しょーもないところで発作を起こして震えが走る。
 たとえば、片側一車線の道路があって、線路を越えるための陸橋(オーバーパス)になっていたとしよう。その橋を渡る道は、直前まで斜めに進入して行く。そうなると当然視界の中に橋の全景が入ってくる。
 華奢なのだ。その姿が。
 それを見た瞬間、衝撃が走る。
 なに、おれ、あれ渡るわけ。まあがっつくなよ、落ち着いていこうぜ。あれ、車で渡る代物なのか? 自動車なんつー鋼鉄のかたまりが渡っていい代物なのか?
 などという考えが前頭葉に渦巻き、視床下部に根源的な恐怖感がとぐろを巻き始める。
 アクセルを踏む足が不自然にゆるみ、ハンドルを握る手に汗がにじむ。にじむどころか流れることすらある。それでも慣性の法則に従い車は進む。
 後には車がつかえているから、とにかく進まなければならない。意を決して走っていくと、橋に対しまっすぐな位置関係になって前景は見えなくなる。その代わり、車は橋にさしかかる。
 渡り始めると、当然車は上昇する。出来るだけまわりの風景など見ないように、ひたすら前の路面だけを見つめて進んで行く。
 まあ、それだけの話なのだが、渡り終えるまでに感じる恐怖はほとんど非日常の世界。なまじのホラー映画では、あそこまで恐怖を感じたり、冷や汗をかいたりはしない。
 難儀な性癖を持ってしまったものだ。