頼朝その1 歴史が生みだすもの


 源頼朝、というと、イメージが暗い。
 この辺は歴史の常で、現実主義者は印象が暗くて人気が無い。徳川家康などもそうだし、大久保利通などもそうだろう。
 私は自分に現実を直視してやるべきことを断行する、という強さがまるで備わっていないからか、そういう人物に対して無条件に好感を持ってしまうところがあるから、残念といえば残念。彼らのライバルと呼ばれる人々は、家康なら秀吉、大久保なら西郷、どちらも人気が物凄い人物だが、私は文句なしに家康や大久保を選ぶ。
 海外に話を求めても同じ。カエサルアウグストゥス、二代でローマ帝国を築いたこの二人のどちらが好きかと問われれば、人間としてはカエサルのほうが好きになれそうだが、歴史上の人物としてはアウグストゥスに好感を持っている。戦下手で、美男子として評判だったにもかかわらず艶聞とはあまり縁がなく、なんら派手なことをしたわけでも無い、何が楽しみで生きていたのか分からないという人物だが、その政治手法や成し遂げたことをたどっていくとぞくぞくする。
 史記の世界で言えば、秦末漢初の項羽劉邦韓信などより、同じ時代を生きた張良や蕭何の方に興味がある。三国志にすっかり押されてしまって日本では影が薄い史記だが、立ったキャラの宝庫はむしろ史記の方だと思うが。
 単なるマイナー好きだ、と言われればそれまでな気もする。



 話がそれたが、頼朝。
 言わずと知れた鎌倉幕府の開設者だが、義経との関係、あるいは尼将軍北条政子とその一統との関係で、どうも人気が無い。実の弟を陥れた謀略家、妻のしりに敷かれた末にその実家に幕府を乗っ取られた情け無い男、というネガティブイメージが強い。
 確かにその通りだが、それは見る目が狭すぎる。
 彼は、独りの人間である前に政治家でいなければならなかった。そうでなければ彼の理想はかなわなかったし、それ以前に命すら危うかった。
 大河で義経が始まったが、私はその原作を読んでいない。頼朝がどのように描かれるかは分からないが、私は名戦術家より名政治家のほうがよっぽど人を幸せに出来ると思っているから、義経などよりよほど頼朝を高く評価している。ドラマにはなりにくいかもしれないが、頼朝の人生をたどっていくと、日本の歴史の本質すら見えてくる。それは頼朝がいかに後代の日本に強い影響を与えたかを証明している。



 頼朝の人生はけっこう良く知られている。平治の乱平氏に敗れた源氏の嫡子として辛酸を舐め、のち、平氏打倒を目指し挙兵。緒戦にこそ破れるものの、再起し富士川の合戦に勝利。義経ら弟たちを大将とした軍を派遣し平氏を追い詰める一方、後白河法皇木曽義仲との争いにも勝利、叛した義経を討伐する勢いを駆って奥州藤原氏も滅亡させ、日本を統一。史上初めて武家政権を成立させた。
 だが、彼が何を成し遂げたかをきちんと理解できている人間はあまり多く無い。本離れが進んで歴史そのものに触れる人間が少ないとか、そういうことではなく*1
 政治家の事績を知るには、まず時代背景というものを知らなければならない。時代背景を理解する、それは人がどのようにして生きて行こうとしていたかを知るということだから、つまらないことではないのだが、少なくとも学校で習う歴史のような教わり方をしていては頭に入らない。想像力を働かせる余地が無いからだ。
 頼朝が生まれた当時の日本は、土地を京の貴族が握る状態だった。土地の所有権が貴族にあったのだ。
 実際に土地を耕し、農作物を作るのはもちろん農民。奈良から平安朝の長い時間を経て、農地は確実に拡大し、それとともに大規模な土地を実効的に支配する階級が現れた。武士の原型である。
 多くの農民を従えて大規模に農業を営み、近隣の同じような連中との土地や水のための戦いに勝つために武装するようになった人々、それが次第に武士という階級になっていく。
 武士とは、その発祥は軍人というより、農場主だったのだ。
 だが、土地の所有権は京の公家たちが握っている。



 米を作るには、まず水がいる。
 水は高いところから低いところに流れる。高低差があった方が水を流しやすいのは当たり前で、まだ鉄というものが普及していなかった古代、地面を深く掘るための道具がなかったから、ちょっと溝を掘ればすぐ水が流れてくれるくらいの落差がある土地が、まず、米の産地になった。つまり、山のふもとである。
 米というのは、現代ですら単位面積当たりの人口支持力が最も高いとされている作物。つまり、狭い面積で多くの人間を食わせて行くのにとても適している。だから、米を産する国の人口は稠密たりうる。
 山間部で米が作られて、次第に農場主階級が生まれていった時代、平野部ではまだ原始が続いていた。開墾するだけの技術がなく、水がうまく利用できず、米など作りようがなかったからだ。後に豊かな穀倉地帯となる平野部は、一面の原野、あるいは湿地帯だった。
 それが、平安時代ごろになると、次第に平野部にも田が広がるようになった。それは鉄のおかげだ、という。地面を深く掘るために必要な鉄が普及するようになり、平らな土地でも水が流せるようになった。乾いた土地に潤いを与えることが出来るようになり、また、湿った土地から悪水を追い出すことが出来るようになった。
 大地と格闘し、水に抗い、人々は必死で水田を作った。少しでも生活を安定させるために。富というにはあまりにささやかな、飢えない生活、というものを手に入れるために。
 そうして開墾されていった水田も、結局公家を肥やすだけだった。
 本来、日本の土地は天皇があまねく所有する公のものだったはずなのだが、そんなものは完全に消滅し、公家や寺社が押さえる荘園という形が一般的になっていた。貴族階級が土地を掌握し、彼らの意思ひとつで、土地問題はどうとでも動いてしまう状態が長く続いた。
 京から遠く離れた田舎で、必死になって大地と戦った結果拓かれた土地も、すべて貴族のもの。そこで土地を耕している人々がどんなに頑張っても、貴族の気まぐれひとつでいつ取り上げられるかもしれない。かといって、貴族が自分たちを守ってくれるわけでもない。
 自分たちの存在など目にも入らない、そんな貴族たちに豪勢な暮らしをさせ続けるために働くのが馬鹿馬鹿しく感じられるのは人間として当然だし、かといって容易に状況を変えることができないのも人の世の常だ。
 苦労して、血も汗も流しながら一族みんなで働いて、雑木林や湿地を切り開いて作った田んぼが、顔も見たことが無い連中の気まぐれひとつで他人のものになる。そんな不安の中、自然と闘いながらどうにか収穫できた作物も、貴族たちの収奪の対象物でしかない。
 なぜ自分たちで作った田んぼを、自分たちのために耕せないのか。



 人々は、この土地問題をどうにかしてくれる存在を願った。
 特に問題だったのは、相続。土地を耕していた者が死んだとき、その後を誰が引き継ぐか。
 また、土地や水を巡っての争いに、公平な決着をつける存在も必要だった。戦いあい、殺しあうような争いをしたところで、べつに豊作が来るわけでも腹が膨れるわけでもない。農作業が出来ずに田が荒れるのが関の山である。
 それを貴族に求めるのは無理があった。いつだって、既得権者が、下にいる者の生活を心配することなど無い。金持ちに貧乏人の気持ちはわからない。持てる者に持たない者の苦しみは理解できない。
 そういったときに現れたのが、平氏と源氏。武家の棟梁、という存在だ。
 彼らはまず、貴族相手に農場主たちの訴えを伝える役割を持った。中央との関わりを持っていた彼らは次第に地方の武士たちを従える存在に成長し、中央の支配が弱まり治安が低下した地方で大きな力を持つようになる。
 そんな彼らに人々が望んだのは、公平な裁判と公正な税制。何より、平和に過ごせる世の中。
 その彼らの中でまず頭を抜け出したのが平家だったが、彼らはまだ貴族支配の中世を引きずりすぎていて、武士たちの失望を買った。平氏の棟梁、平清盛は、海外交易に目をつけたり公共事業に似た発想の事業を起こすなど、時代の変革に熱心ではあったが、肝心な問題が見えていなかった節がある。
 そこで人々が目を向けたのが、その平氏に一度は滅ぼされた源氏の嫡男、頼朝である。



 彼は、時代の中に飛び込んだときから、人々の願いを受けていた。才能や素質以前の問題として、彼には人々の願いを叶えるための生き方しか出来なかったのだ
 仮に彼が平氏に反抗し農場主たち=武士とその郎党が安心して暮らせる世を作るために働く、その役割を拒否したとすれば、彼は騒乱の中に死んでいた。
 仮に彼が平氏のように旧来の土地支配の価値観を打破できないでいれば、人々の期待を裏切ったとして殺されていた。
 彼は、新しい時代を産まざるを得なかったのだ。彼が時代を作ったというより、時代が彼を作り上げたのだ。
 歴史はたまにこういう人物を作り出す。歴史が、まるで次の歴史を生み出すために人を作り上げるかのような、こういう人物像が出現するから、歴史は面白い。

*1:そんなのはいつの時代でも同じ。最近の若者は本も読まなくなって、となげく大人に限って、若いころに本など読んだためしがなかったりする。若い時に本を読んでいた人は、自分の周囲が読んでいなかったことを知っているから、今さらあまりそういう事は言わない。