哲☆マニア


 表題の奇天烈な名前は、私がチャットというものをしていた頃のHN。
 この名前になるまで、いくつかのHNを使いまわしていたのだが、いたずらが過ぎて人を怒らせたりしているのにも飽きて、固定したHNを作ってネットに根付こうと思い立った。コテハン、というやつだ。
 どんな名前にしようかとつらつら考えていたが浮かばず、なんとなく当時使っていたmsnのチャットルームに入ろうとしたとき、勢いとノリで3秒で決めた。哲、というのは知人の名前から勝手にいただき、マニア、についてはとっさの思いつき。「哲マニア」ではひねりが無いし、と思って、あえてここはださめの線を狙おうと考えて☆を間に入れてみた。
 意外に座りのいい感じがしたから、それからはずっとこの名前で通してきた。
 といっても、長くは無い。私がネット生活を始めたのはせいぜい1年半前というところで、始めるのが遅いにもほどがある。



 私とパソコンのつながり自体はそんなに短くは無い。
 我が家にパソコンが導入されたのは、まだウィンドウズが3.1の時代。父が仕事のために購入した。
 win3.1というのは、最初に立ち上げた段階では起動していない。DOSプロンプトからwin3.1というOSを立ち上げなければならないという、奇妙な代物だった。まずDOSを多少なりとも理解しないと、一歩も先に進めない。
 たとえば3.1に対応していないDOS対応ソフトを立ち上げるときには、環境設定を根こそぎ変えてやる必要があった。そのためには、バッチファイルというものを組む必要があった、はず。このあたり、すでに記憶が定かではない。
 そのままの設定にしておくと、3.1が立ち上げられる環境になっていないから、次に立ち上げたときには再度別のバッチファイルを走らせ、再起動しなければならない。そのためのソフトもあったが、これがまた使いにくかった記憶がある。
 ファイル管理にしても、3.1でやるよりDOSでやった方が早かった。そのためには、プロンプト上で使うコマンドを覚えなければならない。今では完全に頭の中から消えてしまっているが、当時はB6版のノートにメモを取って様々に試行錯誤したものだった。
 購入した本人の父が全くわかっていなかったから、覚えるのも自力だった。まわりに教えてくれるものなどいなかった。当時はまだ、量販店でパソコンを買ったりソフトを選んだりするなどという事は夢のまた夢という時代だから、ワープロソフトの一太郎(バージョン5だったために、5太郎と呼ばれていた)を買うのも通販だったりした。



 実は、それ以前にもパソコンらしきものがうちには存在した。知る人ぞ知る、という存在になってしまったが、MSXだ。正確にはMSX2
 貧しかった私の家庭でよくぞ、と思ったものだが、私の誕生日に親がプレゼントしてくれたものだ。安価ながらホームユースのコンピュータとしては当時賞賛に値するスペックを誇ったシリーズである。現代のパソコンから比べれば呆れるほどのロースペックで、現在無料で店頭に並んでいる携帯よりも遥かにロースペックなのだが、それはコンピュータのハードの進化速度が異常に早いだけのこと。
 家庭での使用を狙った機体ということで、ゲーム機能が強化されていた。特に画面表示については当時のパソコンの先端を走っていたといっていい。まだパソコンをグラフィック型のゲームに利用するという発想も市場の需要も少なかった時代だから、コンピュータといえばオフィス専用機というイメージを打破する256色表示の大型表示に、コンピュータというものそれ自体に憧れを持つ少年たちは胸を躍らせた。
 ただ、問題は、強敵の存在だった。家庭用ゲーム機の草分けにして最初の覇者、ファミリーコンピュータだ。
 もともとMSXというシリーズ*1は、対ファミコン戦略の一環としてビル・ゲイツ率いるマイクロソフトアスキーが提唱したものだった。ホームコンピューティングというものに商機を見出した人々が、家庭用コンピュータというには用途が限られる嫌いのあるファミコンに対し、MSX-DOSというマイクロソフト開発のDOSと互換性のあるOSを搭載し、自分でBASICプログラムを組んで走らせることも可能なコンピュータを、というコンセプトだった。だったと思う。
 当時、パソコン初心者から中級者向けにプログラムを掲載する雑誌があって、なけなしの財布の中身でその雑誌を買ってはそのプログラミングをしていたが、なにしろキーボードというものを使い慣れていないから、ミスタイプでプログラムは走らない、目が疲れ果てて気持ち悪くなる、などの副作用のためあえなく挫折。
 ゲームのための機体という意味では、ファミコンに及ぶはずもなかった。スペックの問題というより、ソフトの問題だ。残念ながら、ソフトという問題では、ソフトハウスの質量という問題がある。わかりやすい操作性、そのひとつに機能を絞り込んだファミコンが低年齢層の支持を得てハードの販売数を伸ばし、その結果、優良なソフトハウスファミコンのソフト開発に力を注いだ。MSXの、利用者自身がプログラムを組んだり拡張したりできる特性は、まだ市場に出すには早かったとも言える。
 私の熱もすぐに冷めてしまい……飽きっぽいだけかもしれないが……結局、コンピュータの知識をつけるというところまではいかなかった。
 が、のちにパソコンというものが家庭に入ったとき、抵抗感が全く無かったのも事実だ。コンピュータというものに対する免疫を付けてくれた、という意味で、私には非常に意義が大きい機体だった。



 だいぶ話がそれたが、本格的なパソコンを我が家が導入したとき、まだパソコン通信というものは一般的なものではなかった。一部のマニアか、オンラインで何らかの作業を行うことが必要な業務に使われるだけだった。転送速度がお粗末で、ろくに情報を送れなかったせいもある。なにしろ、モデムがスーパーアナログもいいところの音声方式だったのだから。もちろん、ADSLはおろか、ISDNすら姿形もなかった。光ファイバーというものが、未来の通信手段としてようやく話題になっていた。
 やがてネット社会が訪れるという事は、少しでもパソコンをいじった経験のある者ならわかっていた。パソコン通信の盛り上がりから、というより、このままの勢いでパソコンのハードが進化していけば、通信速度の問題さえ解決できればそれが必然になるだろう事は、誰の目にも明らかだったからだ。
 だが、現実問題として、当時の私の家のパソコンには通信機能が無い。
 私がこのパソコンのメインの用途としたのは、小説を書くという趣味を支援するためのものだった。
 私は筆圧が強いから、書くにしても指が痛くなって中断してしまうことになる。パソコンが入る前、我が家にはやはり父が仕事のために導入したワープロがあったのだが、小説を書く作業は速やかにワープロからパソコンに移った。
 その、ワープロから入ったという影響が今でも残っている。かな打ちだ。昔はけっこういたのだが、今では非常に希少種らしい。文章だけを入力して行くのには、かな打ちはけっこう便利なのだが、タッチタイピングが難しい上に、ローマ字入力よりキーボード使用の面積が広いために手の疲労が強い。今さらローマ字タイピングをおぼえる気にもならずに未だにかな打ちをしているが、その内に直したほうがいい気もしている。


 私は高校卒業後に3年間の引きこもりを経験し、その最後の半年に原稿用紙換算1800枚の小説を書いた。大したものではなく、今となっては自分で読み返すのも嫌な小説だが、この全編、設定に至るまでパソコンで書いた。
 だが、それ以上の使い方をする必要に迫られなかったため、パソコンの知識というものはほぼ無いに等しかった。DOSの知識も、次第に必要とされない時代になっていた。
 そう、windowsの爆発的普及だ。
 専門学校に入り、卒業し、社会人になる。
 会社でパソコンをいじり始めたとき、めんくらった。
 多少は知識があるはずのパソコンというものに、ついていけなくなっている自分がいたのだ。
 すでに私が就職する頃にはwin98が登場していた。仕事で実際に使うのは95が多かったが、それにしても、3.1とは大違いである。グラフィカルユーザインタフェイス、GUIという概念はすでに3.1にも導入されていたが、いたって幼稚なレベルで、操作性に優れているとはお世辞にもいえなかった。
 98にもなると、まだ操作性ではマックに追いつき追い越せというスローガンがむなしく響く程度ではあるものの、DOSから入った者にとっては驚きの性能を誇った。
 もっとも、数日使えば慣れる。
 仕事での用途はCADだから、そのソフトにさえ習熟できればよかった。あいにく、表計算ワープロもあまり関係なかったため、それを覚えることも無かった。通信環境はまだ整っていなかったから、メーラーなどというものにはお目にかかったことも無いという日々が続いて行く。



 それでも、自分でパソコンを使って遊びたいという欲求は常にあった。小さい頃からコンピュータというものにほのかに憧れを持って成長してきた世代だから、別に役に立とうが立つまいが、持っているだけで幸せになれるという奇妙な感情がある。
 だから、パソコンは入社して最初に支給されたボーナスをはたいて購入した。家が狭いため、ノートという選択肢しか無いと思い込んでいたから、大枚はたいて20万以上するノートパソコンを購入。以降、趣味に必要と考えて小型のレーザープリンタを買ってみたり、パソコンの仕様がROMだったために必要になったCD-Rを外付けで買ってみたりした。
 ただ、通信環境が悪かった。後のADSLの本格普及までは一般的にISDNが主に使われていたが、魅力に乏しかった。それに、金も無い貧乏サラリーマンである。さらに言えば基本的に引きこもり体質だから、小説を書いたりたまにゲームなどを買ってみたりする以外の用途に使う、つまりパソコンの新しい使い道に冒険の足を踏み入れてみようという欲求が、あまり強くなかった。また、読書の時間がなくなるであろう自分、ネットに思いっきりはまってなおさら外に出なくなるであろう自分の姿があまりにも鮮明に見えていて、尻込みしていた部分も大きい。
 その他にも色々理由はあったのだが、まあ、つまり、なかなかネットというものに触れる機会が無かった。



 それが劇的に変わったのは、会社で配置転換の憂き目にあい、営業部に回されたことだった。
 技術部にいた当時は空いているパソコンを早い者勝ちで使うという原始的な使いまわしだったのが、営業部では個人に一台渡されていた。これは作業スペース上の問題で個人の机の上にパソコンを置くしかなかったという事情があったのだが、限度は当然あるにせよ、個人的に使いまわせる通信環境つきのパソコンが支給されていたというのは、私にとっては革命的な出来事だった。
 初めは、残業で一人残っていた夜に、履歴の消し方を入念に覚えてからエロサイトを巡回して回るという程度のものだったが*2、そのうち、チャットというものに出会ってしまった。
 最初は、技術の人間が資料を持ってきてくれないと仕事が出来ない場面に、その社員が現場からいつまでたっても戻ってこず、帰ってきてから資料が出来上がるまでだいぶ時間がかかるということで、待ちぼうけを食わされていたときのことだった。
 最初に入ったのはYAHOOチャット。HNは良く覚えていない。暇つぶしに見ていただけで、会話に加わった記憶も無い。
 だが、荒らしがいたり、それを無視して会話を進める者がいたり、逆に過剰反応して自爆している者がいたり、そこには混沌としながらも中途半端に秩序があるという、未知の世界が広がっていた。
 私がチャットというものにはまり込むのに時間はかからなかった。
 が、いくらなんでも会社でチャットをするのには無理がある。一日中会社の中にいる設計部門の人間ならともかく、外に出ていなければ仕事にならない営業部員である。別に夜家に帰ってからすることがあるわけでも無い独身ものだが、いつまでも会社にいては怪しまれるか怒られるかするに決まっている。
 金は無いがネットにはつなぎたい、さてどうしよう、と考え始めた私の背中を押す事件が、ちょうどその頃起きる。
 ノートパソコンが突然ご臨終。
 その時期、ちょうどmsnチャットで色々といたずらをしていた時期だった。
 そう、まさにパソコンご臨終のやや手前付近で、哲☆マニアという存在がネット上に誕生していた。



 今では小説など全く書かないが、その当時はまだ小説を書いていた。
 今時スタンドアローンのパソコンなど珍しいな、と友人に言われつつも、せっせと小説を打ち込んでいたパソコンが、突如としてただのガラクタと化してしまった。中のデータはある程度バックアップを取っておいたから、それほどのダメージは無かったが、使えなくなってしまったパソコンを前に数日呆然としてしまった。
 一方で、これはもう、新しいパソコンを買ってネットの道を邁進しなさいという神のお告げだな、などという陳腐な台詞が頭の中をぐるぐる旋回していたのも事実だった。
 結局、なけなしの貯金をはたいて、私はパソコンを購入した。
 さっそくADSLを導入し、ネットにつなぎ、以降、毎夜のチャットに熱中する日々が始まった。



 それからの短い間、ものの1年少々の間、よくぞこれほど、というほどに様々な経験をさせてもらった。とくに、人間関係というものについては。
 哲☆マニアという名前で固定したそばから色々な人と出会い、種々の体験をした。
 その時代の知り合いがけっこうこのブログを読んでいたりするのだが、それらの人々には色々と迷惑をかけた。
 実は今もかけている。
 私が、突然「哲☆マニア」という存在そのものを自己否定してしまったからだ。
 好意と善意から、今でも私と接触しようと試みてくれる人も中にはいる。
 その方々には非常に申し訳ないが、私は、哲☆マニアという存在を捨てた。別に、その名前で出会った人々すべてとの関係性を否定する事は無いのだが、とにかく色々とありすぎて、今ではその名前を使うことに抵抗感すらある。
 いろいろ、という中身については書けたものではないから書かないが、その全貌を知っている人間は残念ながら私しかいないし、その半分くらい把握していたものには「哲、巻き込まれすぎ」とからかわれたりしたものだが、それらすべてを今は封じておきたいと思う。
 以前、私は哲☆マニア名義でブログを書いていたが、そのブログも現在放置状態。これは、哲☆マニアという存在を自分で放置している現実があるからで、今後あちらのブログに追記する事は無いだろう。哲☆マニアという名前で何かしらの活動をする気も無い。
 ブログで書いている内容に何か変化があるかというと疑問があるが、少なくとも、哲☆マニアという人間はすでにネット上には存在しない。したがって、哲☆マニアの知り合いとして接触してきてくれる人々には申し訳ないが、今後、たとえばメッセンジャーを立ち上げたとしてもそれはメールチェックのためでしかなく、会話をしようという気は無い。
 一種の引きこもりと考えてもらってもいいが、これは私の一方的にもほどがある処置だから、怒られても嘆かれても、すべて私の責任である。



 私が哲☆マニアだった時期、確かに私は幸せも感じたし、多くの人々と高揚感も共有できた。それは私にとって貴重な記憶だ。
 すべての関わった方々にお礼を述べたい。
 そして、非礼を詫びる。
 哲☆マニアとしての最後のあいさつである。

*1:MSXMSX2MSX2+MSXTurboRの4種類があった。

*2:それに失敗して見事に女子社員にばれ、いたたまれなくなっていた先輩社員の貴重な犠牲のおかげ。