お茶

 そうそう毎日書くネタがあるわけでもなく、今日は何も書きたいことが無い。
 頼朝について中途半端になっているが、本の一冊でも読んでもう少し勉強し直してから書こうかと考えたり、でも書いても誰も読みゃしないんだからほっといてもいいかな、と思ったりしている。
 かといって、時事ネタを書くのはあまり好きではない。偉そうに上からの視線で時事ネタを斬っていると、後で自分で読み返して恥ずかしくなる。
 会話ではない、この独白形式にならざるをえないブログというものの、最大の弱点はここにあると思う。話題が自分の中でしか発展しないから……コメントを通じて議論したりは出来ても、だ……書きたいものが無いと止まってしまう。
 左側にあるカレンダーを見てもらえばわかるとおり、わたしは毎日ブログを書いているわけではない。これはたいていの場合、別に書くネタも無いままに一日が過ぎてしまった日だ。用事があって書けなかったというのは半分以下。
 日記をつけるという習慣が無いから、今日あったことを書くという行為に慣れていない。身の回りに何かちょっとした事件でもあると、それをテーマとして小論文のようなものを書いてしまう。淡々と日々をつづる、ということが、どうもできないらしい。事件といっても、せいぜい高いところに登らされた、とか、仕事でちょっと長い距離のドライブをした、という程度のささやか過ぎることなのだが。
 それに、書けるネタと書けないネタというものがある。あまりプライベートな領域のことを具体的にネットでさらしても仕方が無いし、仕事のことも詳しく書くのは差しさわりがありすぎる。



 ちょうどお湯が沸いたから、お茶でも飲みながらそれについて書いてみる。
 基本的に私はお茶の類を好んで飲む。
 季節によって、浮気をする飲み物は違ってくる。今の時期は、やはり保温性が高いような、あるいはカロリーが高そうなものに流れる。ついさっきまでマグカップの中にあったのはコーンクリームスープ。夕飯を食べる習慣が無いので、これが夕飯代わりといえなくもない。
 夕飯を、いつも食べないわけではない。食べたり食べなかったり、半々というところか。特別体を使う仕事をしているわけではないので、疲れていなければあまり食べない。夏場など、体力が落ちる時期には毎日欠かさず食べる。今の時期、夕飯を食べるのは三日に一回ほどだろうか。今週はまだ夕飯と呼べるようなものは口にしていない。といっても火曜日か。
 一食に食べる量が人より多いから、一日の摂取カロリー総量はそう変わらないと思う。そろそろ量を減らしていかないと、年齢的に太り始めるところだから注意しなければいけない。もともと体が強いほうではないから、太るのも病的なものになりかねない。
 それはともかく。



 お茶類と一口にいっても裾野は広大。
 私が最初に好きになったお茶の類といえば、紅茶。
 小学生くらいまでは、甘いものばかり好んで紅茶になど見向きもしなかったが、中学生くらいになって紅茶を好むようになった。高校生になると、毎日のように某メーカーのティーバッグから入れた紅茶を飲んでいた。
 紅茶好き、と自称できるようになったのは、やはり砂糖を入れた紅茶を飲まなくなった辺りだろうか。何も加えず、沸騰しているお湯をそのまま注いで入れる紅茶の、香りと渋みとほのか過ぎるほどほのかな甘み、このバランスの妙に目覚めて以来、紅茶一辺倒になった。
 社会人になったあたりからはアールグレイ一本。様々に紅茶を試してみたが、常に飲み物関係をしまってある引き出しに存在しているのは、アールグレイだけ。
 アールグレイの語源は、19世紀のイギリスで首相も務めたチャールズ・グレイ伯爵(二世)に由来する。彼は紅茶好きとしても有名で、それが昂じて懇意の茶商にその昔中国で彼自身が仕入れた茶葉に香りをつける知識を教え、作らせたのがアールグレイだったという話が残されている。単に、彼の茶好きが有名だったからそれにあやかった、という説もある。アール、というのは、英語で伯爵。
 あまり自己主張が強くないセイロン茶などに、ベルガモットという果実から抽出した精油で香りをつけたのがこのお茶。ベルガモットは地中海産のミカン科の柑橘類だが、生ではとても食べられたものではないそうだ。
 もともと、紅茶に柑橘類の絞り汁を加えたり、果実そのものを加えたりという飲み方は一般的だったが、茶そのものに香りを加え、茶の渋みや香りを生かして飲むというこの方法は画期的だった。ただ、普通の果実でこれをしてもあまりうまく行かなかったようで、生き残っている代表的なものというと、やはりアールグレイくらいしか思い浮かばない。
 紅茶といえば、日本で一般的な水を使って入れると、たとえば本場英国仕込みのテクニックで入れようものなら、渋みが強くて大変なことになる。それは、日本の水が軟水だからだ。軟水で紅茶を入れると、欧州で一般的な硬水に比べ、色が薄くなる傾向があるそうだ。あちらの写真などで示される色を参考にして日本で紅茶を入れると、味としては渋みが勝った下品なものになる。まあ、渋い方が好きという人もいるから、それは好みの問題ではある。



 紅茶ほどはまった記憶は無いが、なぜかいつも飲んでいるものといえば緑茶。
 これは、ペットボトルのお茶の普及が大きい。
 私はお茶に渋みが無いのは許せないたちだから、茶のうまみ優先で渋みを抜いたという系統のペットボトルはあまり買わない。もっともオーソドックスで、バランスが取れていると思われる、伊○園の呼ばれているような気がするお茶を好んで飲んでいた。近頃は、自動販売機では売れないという特殊な形状の、竹をイメージしたようなデザインのペットボトルも良く買う*1
 家ではペットボトルを飲まないから、お茶は自分で入れることになるが、特にこだわりも無いから、ごく当たり前のようにティーバッグを使っている。20袋入りの煎茶で、冬の時期は減りが遅い。
 実家では父が玄米茶党で、そのせいか玄米茶以外の緑茶はあまり見かけなかったのだが、私はあまり玄米茶が好きではない。なぜといわれても困るが。また、高級な緑茶など口にする環境で育っていないから、味の優劣だの豆知識だのは全くインストールされていない。残念。



 烏龍茶もたまに飲む。
 烏龍茶にもこだわりはない。冬場はあまり飲まず、夏場にがばがばと水分を摂ろうとするときには飲んだりする。
 花粉症などのアレルギー症候群に対する体質改善効果などが取りざたされて、一時は店頭から消えるほどの人気を誇った烏龍茶もある。凍頂烏龍茶という種類のお茶だ。
 凍頂烏龍茶は台湾産の茶だが、もとは本土の苗木から始まっている。台湾原産というわけではない。
 育つ地域が違えば土や水の質が違ってくるから、茶の木や葉の質が変わるのは当然のことだが、凍頂烏龍茶の場合、収穫して以降の加工にも違いがある。中国茶として一般的な鉄観音茶などより醗酵度が低く、焙煎も弱いのが特徴で、淹れてみると色が薄い。金色といっていいその色のお茶は、香りも鉄観音茶などよりも優しく、渋みの少ないくせの無い味になっている。
 好みからいえば鉄観音茶なのだが、たまに飲むと凍頂烏龍茶が感動的に美味しく感じたりする。なぜだろう。



 このブログのプロフィールでも書いているが、なんといっても私はジャスミン茶中毒。お茶の中で、ジャスミン茶が自分的ナンバーワン。
 ジャスミン茶は、釜炒り緑茶と呼ばれる中国独特の製法で作られた緑茶に、ジャスミンの花の香りをつけたお茶。
 釜炒りの緑茶の味わいは、そもそも日本の緑茶とは異なる。そこに、茉莉花の香りをつけたことで、他に比較対象の無いお茶が生まれる。
 着香してあるお茶という意味ではアールグレイと同じで、私はそういうお茶がどうも好きらしいが、どちらも最近では普通にスーパーなどで売られているのがうれしい。高校生くらいまでは、つまりバブルが崩壊する前後くらいまでは、あまりその辺の店頭で見かけられるものではなかった。流通革命万歳。
 高いジャスミン茶をうまく淹れたりすると、他の飲み物が一生飲めなくなるのでは無いかというほど感動させられる。口に入れるもので滅多に心が動くことがないという、美食家の要素がかけらもないつまらない男だが、その昔、おごりで入った某中華料理店で(高級でしたなあ)飲んだ一杯のジャスミン茶に、お茶というものはこんなにも美味しいものなのかと開眼させられてしまった。
 日本茶と普通の紅茶しか飲んだことが無い、という人々には、あまりアールグレイジャスミン茶も好まれない。くせがある、という。
 味そのもののくせというより、茶以外の香りのする茶というものに馴染まないからだろう。玄米茶などは茶以外の香りが移っているが、米食民族が米の香りに馴染んでいないはずがない。花の香りがするお茶という時点で、なにか異質なものが身体に入り込んだような気がして、甘味よりは苦味に近い香りがするから、口に合わないというところらしい。
 ところが、私の口にはジャストフィット。ジャスミン茶無しにはもはや生きていけないのではないかというほど、生活に入り込み、定着しきっている。私の口はジャスミン茶がデフォルトに設定されていて、他のお茶は「浮気」でしかない。
 まあ、あまり人には勧めないが。
 なにしろ、ジャスミン茶も、アールグレイも、人に勧めて「おいしい」といってもらったためしがないからだ。
 この手のお茶が好きになるような人は、人に勧められる前に自分で発見しているということだろう。自分がそうであるように。だから、あまり人には勧めないことにしている。

*1:別に商品名隠す必要は無いか。宣伝バナーつけてるわけでもないし。おーいお茶と伊右衛門