ピアソラ

kotosys2005-02-26





 気分があまり上向きでない時に、ピアソラなどを聞くものではないということを、改めて知る。
 気分が下がる、ということではないが、内省的になってしまう。
 



 ピアソラというアーティストは、未だに知る人ぞ知るという存在であることが不思議な人物。タンゴの作曲家・演奏家としては、間違いなくもっとも人気のある人間だったろうし、タンゴ人気が割りと根強い日本では、CM曲に使われたり、ドラマの中で流れたりと結構人の耳にも馴染んでいるはずだが、クラシックの作曲家同様、あまり人の知識の中には入らないようだ。
 一番有名な曲というと、チェリストヨーヨー・マが弾き、ウィスキーか何かの宣伝で使われていた「リベルタンゴ」あたりか。代表曲、と、一番有名な曲、というのは往々にして異なるが、リベルタンゴピアソラの代表曲といっていい。代表曲が多い人だけに、異論は多そうだが。



 アストル・バンタレオン・ピアソラは、彼の親たちと同じイタリア系移民が多く暮らすアルゼンチンのマル・デル・プラタという街で生まれた。ピアッツォーラ、とイタリアならば発音するはずなのだが、アルゼンチンではピアソラと発音するのだろうか。あるいは英語読みだろうか。言語に詳しくないのでそこまではわからない。
 マル・デル・プラタは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから程近い……といっても車で半日かかるらしいが、避暑地としては大都市ブエノスアイレスから最も近い土地だそうで、いわばブエノスアイレス都市圏の中にある街だった。
 アルゼンチンはもちろん南米の国で、もとはスペインの植民地だったから、公用語スペイン語。もっとも、イタリア系の移民が多かったことから、スペイン語もイタリアなまりが強いらしい。世界でもっとも使われている言語はスペイン語だが*1、その中でもっとも華やかで妖艶な言葉だとされているのだという。よくわからないが、日本人が京都弁を聞いてはっとするような、あんな感じなのだろうか。違うか。違うだろうな。イタリア語とスペイン語は、お互い元をたどればラテン語。親和性は高いから、馴染みやすい言葉なのだろう。
 ブエノスアイレスという都市は、南米随一の都市だという。何が、というのではなく、都市としての機能がもっとも整っている都市、ということだ。
 これには歴史が関係しているのだが、本題とは関係ないから省く。
 この都市には、イタリア系移民やスペイン系はもちろん、ドイツ系やユダヤ系も多く住み、「都市があれば必ず住み着く」といわれる中華系ももちろん住んでいる。まさしく人種の坩堝といえるが、原住民族たるインディオはあまりいない。南米の他の国では良く見かけるインディオと白人の混血、メスティーソも、ほとんど見かけない。
 殺されたからだ。
 アルゼンチンという国ができあがる過程で、先住民は皆殺しにされた。ブエノスアイレスが発展して行く過程で、その周囲に広がる大地パンパスはひたすら収奪の対象としてのみ存在していたし、ブエノスアイレスという都市自体、ヨーロッパを脱出することでしか生きられなかったヨーロッパ人の恨みを晴らすかのように「南米のパリ」と呼ばれるほどに洗練された外観を持つよう建設されていった。アルゼンチンという国に、国土に対する愛情というものが育つ土壌はなかったといえる。
 生まれ育った地に対する愛情というものは誰しもが持つ感情だし、国に対する愛情もそう。だが、先住民が祖先から営々と受け継いだその地に対する想い、歴史を殺しつくしてしまったブエノスアイレスは、そのようなものを持つ資格を失った。パンパにはなれず、かといってヨーロッパにもなりきれない。その鬱屈が内圧を高め、精神錯乱的な、あるいは躁鬱的な悲劇を人々に内在させ、時に顕現させる。
 それがブエノスアイレスという街だ。



 ピアソラは幼い時に家族でニューヨークに移住している。だからといってアメリカンにはならず、彼はバンドネオンという楽器に出会うことでブエノスアイレス人(あえてアルゼンチン人とはいわない)のアイデンティティを獲得している*2
 青年になった彼は帰国し、ラジオでタンゴと出会い、その強烈な魅力に惹かれるままに2年後には演奏家となるべくブエノスアイレスに出ている。18歳の時だという。
 時は第二次世界大戦下。アルゼンチンは南アメリカ、つまり大戦に無関係な土地だったから、食料資源の一大供給国として活況を呈していた。経済の繁栄は文化の爛熟をもたらす。音楽の分野では、タンゴが栄華を誇るようになっていた。
 彼はこの時代のタンゴの世界を生き、タンゴを、そしてブエノスアイレスの内在せる悲劇というものをその身に刻みつける。
 次第に音楽性を高めた彼は、才能のある者がいずれぶつかる壁に衝突する。
 タンゴという音楽が隆盛を極めたとき、どんな音楽にも訪れることだが、過度の様式化が起こっていた。正統、とされるもの以外は異端であり、音楽家として仕事にならなくなる。といっても音楽性が高まることで自己実現が難しくなっていく現実は耐え難いもので、既存の枠組みでは満足しきれなくなった音楽家がどこを目指すかといえば、新たなる道を模索するか、枠組みをぶち壊すか、である。
 はじめ、ピアソラは自分の新たなる可能性を模索する方向に歩んだ。クラシック界への転向だ。
 ブエノスアイレスからパリへ留学した彼は、ナディア・ブーランジェという教師と出会う。父、妹も作曲家として大成したというブーランジェ家の長女ナディアは、あるいは家族の中でもっとも有名かもしれない。彼女自身は有名な曲を書いたりしたわけではないが、幾人もの作曲家や指揮者を育てて世に送り出した名音楽教育者として、あるいは当時では今以上に珍しかった女性指揮者として、よく知られた人物。
 この辺りの話はファンなら誰でも知っているのだが、ブーランジェは、クラシックの勉強をしながらもどこか浮かない顔をしているピアソラを捕まえて、彼がアルゼンチンで書いていた曲を強制的に演奏させる。ピアソラは仕方なく、自身が作曲したピアノ曲を弾いた。タンゴ、「トリオンファル」。
 その当時の、クラシックの作曲を学んでいるピアソラが作った曲と、以前タンゴの世界でもがいていた頃のピアソラが作った曲。ブーランジェには、どちらが人の心を打つ曲であるか、深く考えるまでもない自明のことに思えた。ピアソラには天使から与えられた才能があり、その天使はクラシックをつかさどる天使ではない、と。
 ブーランジェは、ピアソラに、彼の血はクラシックのために流れているのではないということを示唆する。ピアソラ自身もそれが理解できたようで、以後、迷いを振り切り、自分自身のタンゴを作る活動に邁進する。



 邁進したが、挫折する。
 先ほども述べたが、一度完成した音楽の様式を崩すのは、容易なことではない。それが伝統と呼ばれるようになってしまえば絶望的とすらいえる。音楽に限った話ではなく、それは芸術というものを凡人が営んで行く上での不可避な現実である。ごく稀に生まれる天才だけが独力で地平を切り開くが、凡人はそれを様式化でもしなければ飲みこんで消化する事はできないし、それができなければ音楽は死んでしまう。
 そもそもタンゴというのは、リズムの切り方や音の構成などにだいぶ癖があって、たとえば正統的なクラシックを専門にしている奏者にとっては非常にとっつきにくい音楽。ジャズほど即興性があるわけではなく、もっと様式化してはいるものの、がちがちに譜面だけを追うような音楽では決してない。弾く者によって、あるいは楽団によって、タンゴはその色合いを大きく変え、その度合いはクラシックなどとは比べ物にならない。
 それに、タンゴは音楽が独自に存在しているものではない。男女が対になり踊る、その横では楽器が歌い、あるいは歌手が人生を語り、詩の朗読が行われたりする一種の総合芸術だ。場末のバーから産まれた、ブエノスアイレスの民衆のための芸術。
 その微妙な感覚の中で成立し、衰退の道をたどり始めていたタンゴの世界に、ピアソラは爆弾を放り込んだようなものだった。
 現在、多くのジャズミュージシャンがリスペクトを表明し、クラシック奏者がオマージュし、聴衆を魅了するピアソラの音楽は、既存のタンゴから自由だった。かといって、ブエノスアイレスに内在する精神破綻的な感情が欠けているわけではなく、その自由なスタイルと矛盾せずに共存している。
 帰国したピアソラの音楽は、受け入れられなかった。そんなものはタンゴではない、と黙殺され、ジャズでもなくクラシックでもない音楽は、くずのような扱いを受ける。元々余所者を排撃する姿勢が強いブエノスアイレスだから、ピアソラの挫折感は強かっただろう。
 踊るための音楽ではなく、聴くための音楽としてタンゴを再生させようとしたピアソラの音楽は、様式化し伝統化したタンゴの世界にとって、受け入れられるものではなかったのだ。
 衰退の道をたどり始めたものは、音楽に限った話ではないが、新しいものを拒絶する。そして、新しいものを拒絶しきったときに、衰退は目に見えるようになる。逆に拒絶から受け入れる方向に転進したとき、その分野は再生する。新しい血を受け入れることで変質してしまうこともあるが、かえってその純度が高まり、より高い次元に、より高い地平に、広い世界に、足を踏み入れて行くこともある。
 挫折したピアソラが、逃げ出すようにしてアメリカへ渡り、そして再び帰ってきたとき、タンゴという小さな音楽世界は、その外にある広い世界の音楽へと広がって行くようになる。



 ピアソラは作曲家としての扱いを受けるが、彼自身はどう考えていたのだろう。
 彼は自身を演奏家として考えていただろう。
 彼は世界一のバンドネオン奏者でもあった。自作の曲ばかりでなく、昔のタンゴの曲を弾いたりもしている。自分のバンドを持ち、世界のあちこちを回って演奏していた。
 彼の才能が、作曲において遺憾なく発揮されていたのは確かだが、タンゴの自由さは、作曲家がどんなに頑張ってみたところで、演奏者がへぼではどうにもならないという現実を産む。
 技術的にどれほどすぐれていても、テクニックではごまかしきれない精神性というものが音楽にはある。クラシックだって、どんなに超絶技巧を誇っていても、なぜか胸に迫るものがないばかりに消えて行く若い奏者が掃いて捨てるほどいる。
 彼の演奏は問答無用の強さをもって聞く者の胸に迫ってくる。そう、彼とクラシックの作曲家たちとの最大の違いは、彼が自身で弾いた音源が数多く残されていて、私たちがそれを耳にできるというところにある。譜面だけでは決して再現できない彼の演奏が、その気になれば何十曲でも聞ける。
 ピアソラと彼のバンドが奏でる旋律は、音源が古くてノイズが混じっていようが、モノラル録音で多少ひずんでいようが、そんなものは関係ないとばかりに聞く者の身体を揺さぶる。心だけではない。私に、音楽を聞いて「胴が震える」という感覚を与えてくれる音楽は、そう多くない。ピアソラの音楽はその数少ないうちの一つだ。
 すべてがいい曲という気はないし、好き嫌いというものもある。万人が聞いて万人が快く感じる音楽でもない。同じような形式で書かれたところがたくさんあったり、良くも悪くもピアソラの音だと瞬時に判別できてしまう独特のにおいのようなものもある。
 タンゴという音楽様式自体がそうであるように、ピアソラの音楽も、理論付けが出来るような音楽ではない。たとえばクラシックには精緻な理論があり、それが自家中毒を起こし、あるいは自己撞着を起こして現代音楽という鬼子を生む結果に至っているが、タンゴにはそのようなものが無い。様式はあるが、その様式だって理論付けがあるわけではない。日本の演歌に詳細な理論などなくとも伝統と様式があるように、タンゴにも、それを産んだ土地に染み付いた怨念のようなものがこめられていて、変に蒸留されたあげく凡人にはその楽しみ方も分からないほどに純化してしまったクラシックとは全く違う音楽として存在している*3
 そのような音楽を嫌う向きもある。テンポが一定でないとダメ、とか、そもそも発表から1ヶ月以上経った音など古くて聞けない、というつわものもいる*4
 だが、これを知らずに音楽好きを気取られると、張り倒したくなるのも事実。好きになれとはいわないが、せめて聞いてから死ね、といいたくなる。



 ピアソラ以外の演奏者が出している音源も多数ある。有名どころではクラシックのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルが出している一連のシリーズ。あるいは指揮者のダニエル・バレンボイムが出したアルバム。チェリストヨーヨー・マが演奏したもの。ジャズ奏者が自分のCDの中に1曲入れてみたり、日本人にもバンドネオン奏者が生まれてピアソラのCDを製作したりしている。
 その中でピアソラ本人の演奏並に私を感動させたものがあるかと聞かれると、首を振らざるをえない。
 根本的に違う、といったほうがいいか。
 たとえばクレーメルが若手音楽家たちを集めて編成した楽団クレメラータ・バルティカが作った「TANGO BALLET」というアルバムなどは、タンゴとして聞くものではない。一種のクラシックとして聞くべきもので、その事に気付くまではあまり好きになれない音だった。気付いてしまえば楽しみ方がわかって、今では愛聴版のひとつになっているのだが。
 ある若手の日本人バンドネオン奏者が出しているアルバムを聞いたが、少なくともピアソラの曲に関する限りは、完成度の高さは認めるものの、迫力の点でまったく勝負にならないと感じた。ピアノ線の上を裸足で綱渡りしながら弾くような緊張感、あるいは観客と命と命を張っての勝負に挑むかのような強烈な意志の力が感じられない。
 ごく弱い音のつながりの中にすら、ピアソラの演奏には高い緊張と感情がぴりぴりと感じられる。クラシックの世界では「ピアニッシモを弾けるようになって一人前」という言葉があるそうだが、そればかりの話ではあるまい。
 ちなみに私が今お気に入りのピアソラの曲は、ポリドールから出ている「LOS GRANDES EXITOS DE ASTOR PIAZZOLLA(POCP-1712というベストアルバムに収められている「PREPARENSE」「LIBERTANGO(ライブ音源)」の2曲。他もいいんだけど。

*1:中国語が2番目で英語は3番目だそうだ。ただし、調べたわけではないので間違っているかもしれない。古い記憶だし。

*2:バンドネオン自体はドイツ生まれのようだが、タンゴに欠くべからざる楽器として定着しつつあった。

*3:タンゴにも理論はある、とする者もいるが、それこそ異端だろう。何でもかんでも理論化すれば解決すると思うのは思い上がりもはなはだしい行為だ。音楽を、なぜ人が美しいと感じるか、それをすら理論化できていない現実をどうにかする方が先だろうと思うのだが。

*4:昔、妹がそうだった。今でもそうなのかどうかは知らない。