男の化粧

kotosys2005-03-09






 仕事が終わって、帰る前にちょっとネットでニュースなどチェックしよう、と思ってブラウザを立ち上げていたら、マツケンサンバⅡの記事があった。何となくクリックして読んでみると、ちょっと気になる記述があったので、ブログを書く気になった。
 というわけで、めずらしく……というより、おそらく初めて、今日のニュースを題材に書いてみる。




Yahoo!ニュースの海外ニュース欄から引用。産経新聞の記事。

 気になったのは、最後の記述。

 白塗りの化粧とゴージャスな衣装で登場する彼について「男性化粧品がメジャーな商品となっているバブル崩壊後の日本を象徴する存在」と分析。ブームの要因について「日本は不況でみんな元気がない。私のパフォーマンスで元気になってもらえれば」という松平の声も紹介している。

 読んだとき、思わず突っ込んでしまった。
「おい、こういう記事書くならもっと勉強しろよ」と。
 書いたのはAFP通信だそうだ。AFP通信というのはフランスの通信社で、ロイター、APと並ぶ三大通信社の一つ、といわれている。記事を検索しようとしたが、途中で諦めた。だってよくわかんないんだもん。
 だから、どんな人が書いたのかはまったくわからないが、日本人という事はないだろうと思う。仮に日本人が書いていたとしたら、その人物に日本を紹介するような文章を書く資格はない。




 ゴージャスな衣装はともかくとして、白塗りは別にバブル崩壊後の日本を象徴などしていない。伝統に忠実なだけだ。
 ちょっと邦画のサイトなどを見てみればすぐにわかることだが、時代劇の基本は白塗り。カラー映画になる前の時代劇を見ると、まず間違いなく主役クラスは白塗り。白黒でもそれとわかる。
 それは、白黒の映画上で顔の形をはっきりと見せるためだ、という奇怪な説を流している輩もいるが、それは事実の断片を捉えているに過ぎない。時代劇以外の映画では、白塗りがはっきりわかるようなメイクなどしていないのだから。
 時代劇で顔を塗るとき、主人公が真っ白な塗りになる。これは、歌舞伎などの伝統から来ている。江戸時代の役者絵を見ると、やはり花形である二枚目役者は白く塗っている。昭和期のブロマイドでも、二枚目俳優は不自然なほど白く塗っているものがたくさんあったそうだ。
 歌舞伎の役者を見てみれば一目瞭然だが、まあよくもここまで、というほど顔を塗っている。人形浄瑠璃でも、人形の顔は白い。雛人形を見ても、顔は白い。



 この白さというのは偶然ではない。
 古来、顔の白さというのは高貴さや善性の象徴だった。
 たとえば、公家。
 戦国時代の武将で、織田信長桶狭間の奇襲によって殺された今川義元。彼は武家貴族として一種の公家化をし、京風の文化を家中に取り入れていたことで知られているが、彼は常に化粧をしていた。織田信長を扱った大河ドラマなどでは必ずといっていいほど出てくる彼だが、総じて、白塗りにお歯黒をした姿で描かれる。
 今でこそ「ギャグかよ」とつっこみたくなる姿だが、公家といえばまず化粧、という常識があったからこそ、義元は化粧を欠かさなかったのだ。
 それより昔、たとえば公家の権力が絶頂を極めた平安時代はどうかといえば、平安前期の著作である「宇津保物語」に記述がある。
 それを見ると、帝が娘の面目を失わせないためと称して若作りするために化粧をしていたり、ある少年が「8つ9つくらいにもなって化粧もしないで外に出ている」という描写をされていたりする。つまり、少年期の後半にもなれば、男も化粧をしていて当然という常識が、平安時代前期の朝廷には存在していたということだ。
 源氏物語にも、光源氏が化粧をしている姿が何度も描かれているし、それについて女たちが憧れの視線で見ていたという描写もある。光源氏といえば絶世の美男子という設定だから、化粧をしようが何をしようがその存在だけで許されてしまうという部分が無いわけでもないが、当時の風俗として男性の化粧というものが一般化していなければ、そもそもそんな描写が生まれるはずがない。




 話が前後してしまうが、今川義元が化粧をしていたというのは、別におしゃれのためではない。
 おしゃれ心からというより、それが公家の礼式になっていたからだ。
 公家という言葉にも注意しなければならないが、公家というのは何も藤原氏に代表される朝廷付きの貴族のみを指す言葉ではない。鎌倉幕府の成立以降、武家の中でも特に位が高いものが出始め、それらは京風の文化を身につけて半ば公家化した。特に京都に本拠を置いた室町幕府成立以降はその流れが強く、武家礼式の中にも化粧が組み込まれていくようになった。
 戦国大名などは、元をたどればどこの馬の骨とも知れない身だけに、文化的な部分においては後手に回っていたが、今川家などは足利一門に連なる名家。室町幕府の成立で功績を挙げて大大名になったという履歴を持つ家であり、まかり間違えば将軍を出すことも可能だったという血筋でもある。
 武家貴族としては、一級の血を持つ家だったといっていい。そういった、公卿の地位にまで上った武家、あるいは足利一門の流れを汲む家のことを公家あるいは高家などといった。
 後に高家という言葉の意味が変わり、江戸時代には古くからの名門武家貴族のことを指すようになったが*1、その中に吉良家というものがある。忠臣蔵で仇討ちされてしまう、あの吉良家だ。
 吉良家は今川家と同時に生まれた家で、歴史は当然古いし、室町期の武家貴族の礼式をよく心得ていた。江戸幕府は礼式を彼ら高家の伝えるものに従わせ、江戸期の武家礼式は室町期の武家礼式に習うものとなっていた。
 吉良家と同時に生まれ、武家としての勢威では遥かに吉良家を上回った今川家だから、その礼式が崩れたものであったとは考えにくい。
 織田信長に滅ぼされる以前の今川家*2は、武家礼式の見本のような存在だったと考えていい。
 その当主である義元が、化粧をして出歩くのは、むしろ当然だったといっていい。公家化して軟弱になったから織田信長などに滅ぼされるのだ、という文脈で理解されることが多い彼だが、そうではない。彼の悲劇は、織田信長の天才に死に物狂いの奇手を打たれ、それに対応できなかったという点にある。暗殺劇というものは、最初の一回に成功率が集中する。その最初の一回で信長が勝ってしまったからこその義元の死であり、桶狭間で失敗していれば、織田勢など卵の殻を踏みつけるような容易さで今川の軍勢に押し潰されていたはずだ。
 まあ、今川家のことはどうでもいいのだが。
 つまり、武家であっても、貴族階級ともなれば、化粧くらいして当然という風俗があったということ。
 そういえば、最近ケーブルテレビで「太平記」という大河ドラマの再放送をしているのを見たが、真田広之演じる足利尊氏の若かりしころの場面で、片岡鶴太郎が演じる幕府の執権、北条高時も、薄化粧をしてへらへら笑っていた。



 そういう伝統があることを理解して、はじめてマツケンサンバⅡの衣装や化粧が理解できる。
 白いどうらんを塗る、という行為は、昔からの時代劇の伝統に基づくもので、べつに現代、男性化粧品の売れ行きが好調だから、とかいう理由ではない。世の男性が化粧しようがしまいが、マツケンは白塗りでなければならない。なぜなら、時代劇スターのレビューなのだから。
 衣装の派手さも当然。なにしろレビューでの主役はマツケンマツケンが派手にならずに誰が派手になるというのか。豪華絢爛な舞台で観客を酔わせるのがレビューというものの王道なのだ。その舞台の中心であるマツケンが豪華絢爛なのは、どう考えたって当たり前の話だ。
 いってみれば、松平健がやっている事は、マツケンという存在を作って時代劇の歴史、あるいは日本の演劇史というものの戯画(カリカチュア)を提示しつつ、それを記号として活用することで観客との一体感を生み出し、盛り上がりを作り出しているものと考えられる。
 同じことをしていたのは、志村けんのバカ殿様シリーズ。あれはコントだが、根は同じだろう。つまり、殿と呼ばれるような人は化粧していて当然で、今からみればそれは笑いになってしまうという記号だ。符丁、といってもいい。
 その符丁がのっけから提示されているから、マツケンというキャラクターを見たとき、誰もが「これは日本人だけがわかるノリと勢いの産物だ」と理解でき、この曲を聞いているときは突っ込み無用で楽しくしてていればいい、と無意識に判断できる。
 一種の舞台装置だ。




 マツケンサンバⅡがここまで売れるというのもなんだが(いや、私も買ったわけだが…)、少なくとも、男性化粧品が売れる現状と、売れる理由とがまったく別問題だという事を、例の記事を書いた記者に教えてあげたいものだ。

*1:高家は基本的に職務として儀典職にあったため、高家イコール儀典職と考えても間違いではない。

*2:もっとも、家自体は明治時代まで生き残っていたらしい。