ガンダムF91

DVDより




また強烈なところを選んでしまった気がする。



前日に続いてのガンダムネタ、しかもよりによってF91
はっきりいって、富野ガンダムの中でも一、二を争う不人気ぶりだろう。テレビシリーズではないから、キャラや世界観に入り込んだコアなファンというのもごく少ない。
さらにいえば、もともとテレビシリーズのプロローグとして作られているという事実から、どうしてもストーリー的に尻切れトンボの観が否めない点も災いしているかもしれない。



先に断っておくが、今回もわからない人間は結構置き去りにする内容。読んでから後悔しないように。
まあ、いつものことだが。



初代ガンダム宇宙世紀0079年から0080年にかけてのほぼ一年間。一年戦争、と呼ばれる由縁だ。
次のテレビシリーズ、「Ζガンダム」が、0087年から0088年にかけてのグリプス戦争、「ΖΖ」が同年のアクシズ戦争。
そのファースト以来のシリーズ完結編となったのが、0093年のシャアの叛乱を描いた劇場版「逆襲のシャア」。
逆襲のシャア」は、初代の主人公アムロとライバルのシャアとの対決からその決着までを描き、ひとつの歴史が終わったとファンに受け止められた。
機動戦士ガンダムF91」は、初代からのシリーズに決別し、同一の世界観ながら、シャアの叛乱から30年を経過した時代を舞台に設定している。
当時の生き残りはもちろんいて当然の時代だが、一切姿は見せない。ジオンのジの字も出てこないし、地球連邦軍にはそれまでのキャラは一人もいない。完全に別シリーズとして製作されている。



それでいて、製作のメインスタッフは、初代ガンダムと一緒になっている。原作・監督は富野由悠季、キャラクターデザインは安彦良和メカニカルデザイン大河原邦男
そのデザインは、もちろんベースとして従来の要素は残しつつ、一新されているといっていい。
キャラクターデザインでは、主人公シーブックは特別影があるわけでもなくまっすぐに育った少年だし、ヒロインのセシリーは凛々しく毅然とした部分と優しさとを兼ね備えた少女だ。主人公に、初代のアムロやΖのカミーユのような鬱屈した感じやナーバスな感じは無いし、ヒロインが絞りにくかったそれまでのガンダムシリーズに対して、今回ははっきりとしたヒロインが設定されている。
メカニカルデザインでは、ジオン系モビルスーツの特徴だったモノアイが姿を消し、敵方のクロスボーン・バンガードモビルスーツ群は、土偶のような目が特徴のデザインになっている。また、主役機のガンダムF91は、一目見て「ガンダムだ」とわかるデザインながら、それまでのガンダム系が直線を意識させるものであったのに対し、はっきりと曲線を意識させるデザインに転換していた。
そのほか、モビルスーツのギミック部分にも多数のアイディアが盛り込まれ、ニュータイプ兵器として隆盛を誇ったファンネルも封印されたことで、いささか超常現象方向に突っ走りつつあったガンダムシリーズを、リアルロボットアニメとして軌道修正するという考えがあったことも想像できる。
ガンダムの伝統をしっかりと受け継ぎながら、はっきりとした意志で過去と決別した、という意図が見えている。



のだが、敵のラスボスが「鉄仮面」というのはちょっといただけない気もする。
仮面の男、というのは、初代のシャア以来ガンダムシリーズのお約束のようになってしまっている。もっとも、それをお約束にしたのはいわゆる「富野ガンダム」以降の作品群で、たとえば「Ζ」では顔を隠しているのはクワトロのサングラスくらいのものだし、「ΖΖ」では敵方にやたら被り物や奇天烈な格好が多かった程度。逆襲のシャアではメガネキャラすらまともに出てこない。
シャア以降*1、仮面をかぶって出てきた初めての敵が鉄仮面、カロッゾ・ロナだった。彼の印象の強さが、あるいはその後の「敵に一人二人仮面かぶらせとけ」的な伝統を作った元凶なのかもしれない。
以後のガンダムシリーズで、なにかしらの仮面をかぶった敵が出てこないシリーズは皆無である。



もっとも、キャラ造形に関しては、鉄仮面は悪しき伝統の元凶とはとても決め付けられない、実に濃い味付けだった。
名門ロナ家に婿として迎えられながら、妻を寝取られ、男としての自信を根こそぎ奪われたあげく、ロナ家の当主であり彼の義父でもあるマイッツァー・ロナに「不要な人類の抹殺」を命じられたことで(あるいはそう思いこむことで)常軌を逸していく男。
脆弱な自らを覆い隠すように肉体を強化し、顔を鉄の仮面で覆い、怨念と狂気によってついには宇宙空間に出ても動けるほどにまで体を機械化し、脳と直接モビルアーマーを接続できるような状態にまでなってしまった男。
周囲の環境への影響を最小限に抑えつつ人類を抹殺するための兵器「バグ」を開発し、「少しずつでも、世界をさっぱりさせんとな」「誰の良心も痛めることがない、いい作戦なんだ。機械による無作為の粛清」とつぶやく男。
実の娘を敵に回し、「お前は悪い子だ。大人のやることに疑いを持つのはよくないな」「つくづく女というものは御しがたいな!」と言い放ち、自らのコンプレックスと捻じ曲がった自尊心を機械に委ねた男。
見事なほどの悪役造形で、ぐうの音も出やしないというやつだ。
自らの情け無さ、恥辱に耐え切れないからこそ、人は巨悪をなす。しかも、その行為が正しいと信じて。そのやり切れなさと残酷さを鉄仮面に代表させているようであり、他のシリーズの敵役とはひと味もふた味も違うキャラクターを表現してみせている。
ここまでやられると、鉄仮面という悪役が必然にすら思えてくるからすごい。



ニュータイプの扱い方も異なっている。
それまでのシリーズで、ニュータイプの能力は物語が収斂しクライマックスを迎える上での最重要のファクターだった。それが、この物語では、ニュータイプ能力はモビルスーツスペースコロニーなどと同じ、作劇上のひとつのガジェットに過ぎないとすら感じられる。
最も大切なのは、人が人とのつながりを信じ、つながりを求め、手に入れていくというごく当たり前のこと。それを一途に表現するのが主人公シーブックであり、彼の真摯な思いがエンディングでセシリーの命を救う。
実は状況は何も良くなっていないままに物語は終わってしまうのだが、確かにそれはハッピーエンドなのだ。ガンダムシリーズではかなり珍しい部類に入る。
ニュータイプという曖昧な概念は、その後のシリーズでも様々に解釈され、様々に悲劇を生んでいくのだが、人が分かり合えるための能力という部分をこうもストレートに表現している物語は皆無。良し悪しは別にして、特筆して良い。



ここまでは他の場でも割りと触れられている話だし、某雑誌の解説記事などでももっと深く切り込んでいたことだから、いわばコンセンサスになっている部分。
が、あまり言及されていない部分で、相当大切なことがある気がするのだが。
それは、この物語では主人公の家族の和解が描かれているという点だ。
これ、多分他のいかなるガンダムシリーズにも存在しなかったところのはずだ。
初代はアムロが母に「なんて情けない子だろう」などと嘆かれて背を向けているし、「Ζ」では家庭は既に崩壊寸前であり、しかもカミーユの眼前で父が醜い裏切りをしたあげくに死んでいったりしている。「ΖΖ」にいたっては親が出てこない。名前すら不明。
その後も、親子関係というと必ず不幸な関係になっている。「逆襲のシャア」で出てくるパラヤ親子は、娘のクェスが父親をそうとは知らずにモビルスーツで打ち落としているし、「V」では母の首が入ったヘルメットを主人公が抱えるという衝撃的なシーンがあったり、父との和解があったような無かったようなで終わっていたり、、「W」では孤児という設定から家族もへったくれもなく、前後するが「G」はもう何がなんだか。「X」は家族のかの字も出てこなかったし、「∀」でも主人公は孤児だった。



この「F91」では、父親は息子を助けるために重傷を負い、瀕死の状態で息子に母を弁護し、「私はお前たちをちゃんと育てたよ」と言い残して死んでいく。父は父として、主人公シーブックと妹リイズに死に顔を見せた。
そして母と再会した兄妹は、わだかまりを持ちつつも一応和解し、さらに物語がクライマックスに向かう中で、心の距離をぐっと縮め、母の母としてのアドバイスと叱咤でシーブックはセシリーを助け出すに至る。
父の死という悲劇はあっても、そこには確かに家族の形があり、しかもその関係性を深めていく描写がなされている。
親子関係になにか恨みでもあるのかと思いたくなるほど、必ず悲劇を迎えていた富野キャラの親子が、初めて和解と前進という姿を見せた、その意味の深さに気付いたのは、実はF91が公開されてずいぶん経ち、DVDが発売されたその日に購入した時だった。
何度かレンタルビデオで見ていたはずなのに、数年ぶりに見直してみて、初めてそのことに気がついた。



鉄仮面という敵役に代表される濃い面々と親子の和解。こんな見所を抱えていながら、F91が不人気だという現実が、私には不思議でならない。
などと偉そうにいえた義理ではまったく無いが、この続編たるべきテレビシリーズの構想を頓挫させた「大人の都合」の関係者は、自らの不明を恥じた方がいい。
かっこよさ、という物を追求したらああなった、という感じの「逆襲のシャア」などより、よほど奥の深い物語がここにあるではないか*2
みすみす名作の予感がする物語を消滅させてしまった関係者は、コンテンツの製作者としての己の才覚や器量の不足を嘆くべきだ、とすら思う。



ちなみに、妹のリイズが母のことを「お母ちゃん」と呼んでいたことに異様にショックを受けてしまった事実は、私の黒歴史である。

*1:キシリアも絶えずマスクをしていたが、登場はシャアの方が先なのでシャア優先。

*2:誤解を招きそうだが、私は逆襲のシャアをゆうに30回は見返し、たいていのセリフを覚えてしまった剛の者である。