ボルケンシュタイン案

ボルケンシュタイン案を一通り文章でまとめるならどのような感じになりますか?お願いいたします。


EUのサービス指令のことでしょうか?
それとも、サービス指令の採択前の原案のことでしょうか?

多分、ボルケンシュタイン案といった場合、このどちらかだと思いますので、原案としてのボルケンシュタイン案、と捉えてみます。

ボルケンシュタイン案は、EUアメリカやアジアの新興地域に負けない、世界一競争力のある地域とするために、サービス提供の自由に関する法的・行政的障害を除去し、EU域内市場のサービス自由化を達成することを目的としています。
労働者の域内での自由移動に対する、ひとつの拡大政策です。

問題になったのは、「母国法主義」といわれる部分。
つまり、サービス提供者の母国法に従っていれば、受入国側の労働基準を下回る条件でのサービス提供も認められ、社会的ダンピングの容認につながってしまう、と危惧された部分です。
週50時間労働が認められていて、最低賃金が3ユーロの国の人がいたとして、週35時間労働まで認められている最低賃金10ユーロの国で働いたら、受け入れている国の経営者はどちらの国の人を雇い入れるか、ということ。
当然、安くて長時間働ける他国の人を雇い入れますよね。
これが、受け入れ側の労働条件の切り下げなどにつながる、危険なソーシャル・ダンピングの法制化である、として、EU域内で労働不安が起きたり、フランスでは欧州憲法条約が否決されるなどの大きな影響が出ました。
結果として母国法主義の部分は削除され、サービス提供者の権利保護を主な内容とする「サービス提供の自由」条項に差し替えられました。


日本ではあまりEUの事件が取り上げられることがない。
アメリカに比べ、政治的にも日本から遠く感じられるのか、ボルケンシュタイン案といってわかる人間がどれほどいるか、こころもとない。
という私自身、ボルケンシュタインという名に聞き覚えがあったわけでもなく、たまたま知恵袋をのぞいていて、妙な名前があるな、と思って調べてみただけに過ぎない。


このボルケンシュタイン案の原案部分、けっこう過激に思える。
日本に無理やり当てはめて考えるのは危険なのだが、その危険を冒してみると、たとえば中国人の孫くん(25)がいるとして、彼は日本で働こうとしていたとする。
ボルケンシュタイン原案によれば、サービス提供者(この場合中国人の孫くん(25))は母国法に従って働けばいいのだから、日本の労働基準法に則って労働する必要性がない。
中国の労基法に当たる法律がどうなっているかは知らないが、日本より労働者の権利を保護しているとは考えにくいから(労働者の国なんだが)、最低賃金も労働時間も日本の基準を大幅に逸脱する労働が可能になったりする。
そういう労働者がいたら、無条件で雇いたくなるのが経営者のさが。これは非難には値しない。最大の経営努力をして株主や社員に最大の見返りを提供するのが経営者の仕事なのだから。
当然、同程度の労働力を提供している日本人なら、職にあぶれる。
職にあぶれるなら、多少安い賃金や多少長い労働時間にも耐えなければ食っていけなくなる。
平均賃金はどんどん安くなり、労働時間はさらに増大する。
これが、文中で使っている「ソーシャル・ダンピング」の正体。社会全体が、採算度外視とも見えるような低コスト体質に陥って行くこと。
孫くん(25)に悪気はない。労働に関する限り、母国法に従っていいというルールが存在していれば、そのルールに従って働くのが当然だ。
だが、その孫くん(25)の労働が、日本の社会の首を絞めていくことになる。



ただし、ここで考えなければいけないのは、EUはどんどん統合への動きを強め、労働に関する国別の法規も、次々に共通のものにして行く努力をしているということだ。
今すぐというわけにはいかないにしても、経済格差が次第に埋まっていけば、いずれある程度の水準での共通化がなされるだろう。そうなれば、母国法主義云々という議論は過去のものとなる。
それがEUの悲願でもある。
そしてここが、日本に当てはめて考えると危険と私が書いた理由でもある。
日本に、アジア諸国と法規を共通化して行く素地があるだろうか。
あるいは、日本の法規に共通化して行こうと努力してくれるアジアの国があるだろうか。



EUが、アメリカ建国や共産国家樹立に並ぶ、人類社会の壮大な実験といわれる所以は、過去にあまりにも多くの歴史的対立を産み、現代でも民族主義や宗教の問題を抱えながら、その域内で、民族的自立を尊重しつつも、共通の通貨、共通の憲法を作り、共通の未来を築き上げようとするその姿勢にある。
ただひとつのスーパーパワーとなったアメリカ、地域的にはすでにスーパーパワーとなりつつある新興アジア諸国アメリカの傘から脱して中道左派の大きなうねりの中で経済的自立を目指す南アメリカなどに対抗するには、ヨーロッパの個々の国の国力は小さすぎる。その認識から出発したEUだが、きしみや不協和音が伝えられながらも、着実にその土台は固められつつある。
別に日本にEUに負けるななどというエールを送るつもりは無いが、もう少し、EUという存在に目を向けても、バチはあたらないのではないかと思う。