笑わば笑え

誰か背中を押してください。好きな人にメールを送りたいんですが、今までは用件がある時以外は送ったことがありません。
「お盆休み実家へ帰ってのんびりしてるの?」て内容で送るつもりですが、なんとも思ってない子からメールで休み中に突然こんなメールが届くとどう思うでしょうか。返事がなかったら一日ブルーだなーと思ったりで、なかなか送信ボタンが押せません。


背中、押すというより蹴っ飛ばしたい。
いいから押せって。
押さなきゃなにもはじまんないだろ?

なんとも思ってないって誰が決めた? 自分で思ってるだけだろ?
これから、その人にとって気になる相手になればいいんだろ?
送らなきゃそれもありえないんだぞ?

というわけで早く送れ。
みんな応援してるじゃないか。

近所のお兄さん風味。
おじさんとは表現できない潔くないところがお茶目な30代。



恋などというものからすっかり遠ざかっているおかげで、こういうドキドキ感の漂う経験の記憶も薄れがちになっている。
私がこういう悩みを共有していたような時期、つまり学生時代、まだメールは無かった。ポケベル全盛期だ。
田舎の内気で貧乏な高校生にポケベルなどという通信手段が必要であるはずもなく、私には一切無縁のものだったが、2つ下の妹は確か使っていたはずだ。
携帯電話が無かったわけではないが、まだまだ巨大で、ポケットに収まるような代物ではなく、価格も正気のものとは思えない高さだった。デジタル携帯が登場し、メール機能が出る前の話でもある。
ではメール機能を果たすものが他に無かったかというとそうでもない。
授業中に生徒たちが手渡しでつないでいく、ノートやレポート用紙の切れ端。



放課後、別に用事があるわけでもないのに教室でだらだらして、同じようにだらだらしている連中とだらだら会話。
気になっている子がその中にいるだけで、その時間が宝物のようだった。
視線が合わせられなくて、別の奴とばかり話をしてみたり、たまに言葉を交わす時も急にかんだりどもったり。それでも、同じ時間を過ごせていることがうれしかった。
授業中に回ってきたメモは、他の奴のメモならその場で処分するのに、その子のメモだけはかばんの奥にしまいこんで、絶対に捨てなかった。文字までが愛おしかった。
逆に自分からメモを送る時は、何枚も何枚も書いては丸め、書いてはちぎり、完成する頃には授業が終わっていたりした。「何で返事回さないんだよー」と休み時間に責められるのが、奇妙にうれしかったりしたのは内緒だ。



そういう時期もあったのだよ。