洗脳

洗脳を、自分の心の悩みの解決に使いたいと考えています。
洗脳とは、不眠、飢えなどの物理的強制により、判断力を失った状態で、相手を操る手法だそうです。
これを、自分自身の洗脳はできないかと考えたのです。
不眠・飢えの状態に自分を追い込んだ上で、自分にプラスになる自己催眠をかける。
実際にこのような方法は可能ですか?

宗教の修行の基本はそれです。
日本では仏教の各宗派にそのような修行があります。
ですが、必ず導師がいて成立するのが現実です。


そのような自己暗示のかけ方をする際、意識は平常からは遠い状態にあります。
世間一般の常識などから突き抜けた状態にある場合が多く、一種の精神異常の状態です。
栄養失調や精神緊張の過負荷などが原因で脳内の内分泌系が乱れているのが原因とされます。
その状況下で自分が悟りを開いた、あるいは自分を変えることができた、と考えてしまうと、精神異常時の思考を正しいと思ったまま日常社会に戻ることになります。
そうなると一種の超人化現象が起き、事の善悪の判断基準が世間と乖離し、非常に危険な思想を持つことになる場合が多いのです。
それを防ぐため、道を踏み外すことの無いように、導師がついて修行中の弟子を導いていきます。
独力でそれができるのは一種の天才で、たいていの人は失敗するのが現実のようです。
ですから、あまりお勧めできる方法では無い、というのが私の答えです。

この項も、思いつくままにだらだらと書き連ねて行くことにする。だから特に結論もない。



禅の修業でもそうだし、密教の修行でもそうだが、修行を受けている人間は、脳化学的にも精神医学的にも変性状態下にある。
変性状態下にある脳に一定の作用を働きかけることによって、常態では為しがたい意識の変革を起こそうというのがそういった宗教の修行であり、その結果がいわゆる「宗教体験」である。
別に仏教に限ったことではなく、一部のキリスト教修道院では日常的に似たような修行が行われているし、そういった修行をさせたら質量ともに随一というヒンドゥー教などは、どんな拷問だよと突っ込みたくなるほど多種多彩な修行がある。イスラムの知識が薄いから断言はできないが、たしかイスラムの聖職者も相当厳しい修行を経験していたはず。



この変性状態を、苦しい修行無しで手に入れられないか、と考えて生み出されたわけではないのだろうが、結果としてそのように使われているのが麻薬だ。
密教の中には、思いっきり麻薬の力を利用する部分も、実際にある。大麻だったりハシッシだったりするのだが、もちろん現在は禁止されている。
世界の宗教を見渡してみると、麻薬の力でトランス状態に陥ることで、様々な宗教体験をしたり、周囲の人間をもトランス状態に陥らせてみたりするものは少なくない。というより、麻薬無しで成立した宗教を数えた方が早い。



意識が混乱した中で神を見る、という宗教思想を否定し唾棄するような宗教が覇権を握ると、変性状態の精神こそ神性の現出であるとする宗教を「頑迷な迷信」「蒙昧な邪教」として弾圧することになる。中世キリスト教会の異教徒狩りなどはその典型だろう。
それでいて中世キリスト教会も変性意識下の修行を神を見るための行為として日常的に行っていたわけだが、これはキリスト教会の哲学に則って行われているから、むしろ精励すべし、となる。都合や立場というもので、いくらでも人間は自分たちをごまかせる。



特に修行をしたり麻薬を使ったりしなくても、人間はけっこう簡単に変性状態に陥る。
やたら仕事が忙しくなって睡眠不足が重なったりすると、天使が見えたとか何とか言い出す人がいるが、たいていは冗談。ただ、無いか、というと、そうでもないだろう。
病気にかかった場合にもよくあることだし、スポーツで限界点を超えた先にある領域を「ゾーン」といったりするが、これも変性状態の一種。ちょっと寝不足になるとハイになったりするが、これも変性状態の軽いものだ。
科学者が突然宗教がかった発言をしだしたら、まず間違いなく研究の過程で過度のストレスにさらされた結果、変性状態に陥り、あらぬ物を見てしまったのだろう。なまじ頭が良いものだから、自分なりに知性化で解消しようとしてしまい、妙なことになる。
よく一流の科学者が敬虔な宗教家だったりするのは、そういった領域に踏み込んだ時に自分を律するものが無いと困る、という必要に迫られたものなのではないか、と思ったりもする。
著名な科学者が、晩年宗教にこったり、心霊主義に走ったりすることがある。有名なのはニュートンエジソンといったところか。彼らなどは、どうも変性状態下で様々な物を見てしまったのが原因でそうなったのではないかという気がする。



脳内での化学的な安定状態が崩れることで起きるのが変性状態だから、ホルモンバランスがより崩れやすい女性の方が、そういった体験をしやすい。
アニミズムの古代社会のシャーマンが女性で占められている場合が多いのもそのせいだろう。男性が神官を務めていても、神の声を聞く役は女性だったり、男性がやる場合には積極的に麻薬が使われたりする。
現代でも、理性的な哲学よりも感覚的な宗教に親和性を感じる度合いでは、女性の方が多いようだ。ジェンダー論ではなく、これはもっと生理学的な部分に論拠を求めた方がいいと思う。
宗教の、意識の変容という概念に、より直感的に入っていけるのは、変容に似た経験をする機会がより多い女性だ、といわれれば、思わず納得しそうになる。
これはどちらの性が愚劣だとかいうしょうもない議論とは全く次元が違う話だろう。どちらが優れているという話でもない。意識の変容という概念に、どちらがより親和性が高いかという話だ。



変性状態に陥らなくても、洗脳はできる。
要は相手を自分の論に同調させればいいのだから、理性的に、かつ継続的に論理を与えることで、相手が持っていた考え方をくつがえしてしまうことは可能である。
ただ、これはひどく手間がかかるし、歩留まりも、つまり成功率もあまり良くない。コスト的に引き合いが取れない。まして自分が持っている論が穴だらけだったり幼稚だったりしたら、論破や恭順など望むだけ無駄。
となると、強制的に相手の脳をかき乱し、こちらの論理を刷り込んでやるという手法をとるのが適切になる。善悪や人権を一切無視して、という前提だが。
日本で洗脳を語る際に有名なのが、「総括」というもの。活動について反省したり評価付けしたりすることを差す一般名詞だが、これがひたすら自己批判を繰り返させ、精神的苦痛を与えることを目的とするようになると、とたんに陰惨になり、犯罪的になっていく。
特に有名なのは、往時の学生運動で地下に潜った人々が、政治信条のずれや組織への反発などを修正し押さえ込む手法として使ったもの。暴力を伴うことも多く、虐殺された者もいた。
一方、営利企業が、ワンマン社長の神格化とともに総括を多用するという現象も見られた。企業でありながら宗教団体のような様相を呈したその手の企業は、バブル前かバブル崩壊とともにあらかた消滅してしまった。原因は簡単で、多様化という生物にも組織にも必要不可欠な要素を自ら捨て去ってしまったため、変化に対応できず自滅してしまったのだ。
洗脳は決して万能ではないし、洗脳を利用して組織を運営しようとしてもいずれ自壊するという、良い証拠でもある。



教育とはすべからく洗脳であり、あらゆる情報が極小の影響を人間に与え続けている以上、人間は生きている間中、常に洗脳されている。
そういう話もあるが、そこまで立ち入るとつまらない原理主義論争になってしまうので割愛。
ただ、私は全く教育を受けなかったり(学校教育という狭い意味ではない)、その社会に合ったしつけを受けていない人間というのは、禽獣だと思っている。人間も、理性無しに育てば禽獣だろう。言葉も知性も、本能ではない。与えなければ根付かないのだ。
程度の問題だろうか。教育と洗脳の境目がどこにあるか、調べれば定義は出てくるのだろうが、今日はちょっと調べるだけの気力も鋭気もない。
つまらない文章を書いているくらいなら寝てしまったほうがいいだろうか。