ある英国貴族

私は「COURRiER JAPON」という雑誌をよく読んでいるのだが、最新号の特集記事を斜め読みしていて、英国の億万長者ランキングの表を何気なく見て驚かされた。
3位に、ウェストミンスター公爵という名があったからだ。
インドやロシア出身の億万長者が多いのは、まあ納得できる。インドは大英帝国の植民地として今も英国とは深い縁があるし、ロシアの新興財閥「オリガルヒ」が、移住者優遇の税制や治安、ステイタスの面から英国に惹かれてくるのも理解できる。
が、この時代に、本物の貴族が億万長者のランキング上位に食い込んでくるというのが、時代錯誤といおうか、さすが英国といおうか、なんともいいがたい気分にさせられる。



日本にも長らく貴族階級が存在していた。
古くは公家、つまり京都の貴族。鎌倉期以降、地方武士団の長たちが武家貴族になったり、封建制が確立した江戸期には大小名が実質的な支配層として国内に君臨した。
これらの貴族は現在、ほとんどが絶滅している。名が残っている家はあるが、実質が残っている家はごく少ない。
明治維新を迎え、新たに生まれた貴族を「華族」といったが、これは倒幕に寄与した顕官と、版籍奉還で大名の位を失う代償としてその位を与えられた人々のこと。
中世以降、一般に日本の貴族と言った場合、まず思い浮かぶのは、戦前まで生き残っていたこの華族階級のことになるだろうか。



華族と英国貴族は、根本的に異なるといっていい。
ともに貴族という、国家が認めた特権階級であることは変わりが無いのだが、その特権がどこに依存しているか、背景がどこにあるかが全く違っている。
日本の華族は、江戸期に完成した特異な封建体制の影を引きずっていたのか、固有の領地をもたない。自分の土地を持っていたとしても、その規模は小さい。華族の経済は国家からの支出から成り立っていた。
一方で、英国貴族は、基本的に自前の広大な領地を背景にしている。王から与えられた土地は、与えられた瞬間からその家の領地であり、土地から生まれる利益が貴族の財政を支える。



江戸期の大名たちと比較した方がわかりやすいかもしれない。
大名たちはそれぞれ領国を与えられていたが、度々転封があったことからもわかる通り、幕府がそれを割り当てていたに過ぎず、戦国期に周辺諸国を刈り取って築いた大封を持つ一部の外様大名以外は、ほとんどが土地の者からすれば余所者の武士団だった。
しかも、大名家が持っていたのは土地に対する支配権であって、所有権では無かった。地生えの大名として代表的な例を挙げれば、薩摩の島津家あたりになるだろうが、専制体制を築いていたとすらいえる島津家ですら、領内の土地全てを自領としていたわけではない。
まして、織豊期に活躍して成り上がった大名たちは、地侍や農民たちの上に乗っかっていただけで、領国を自分のものだと思う意識はあったとしても、この土地全てはオレのものだ、という意識が当主たちにあったかは疑問だ。
そのあたりの機微は、幕末維新期の歴史をちょっと見ればすぐわかる。
それまでの藩を廃止し、領主たちを領国からひきはなしてしまった「版籍奉還」だが、これを引き金に国内で大騒乱が起こった、という事実は無い。
これが他国であれば血を見ずに終わるはずはない。自分たちの土地から引き離されるということは、財産を丸ごと奪われるに等しいはずだからだ。だが、日本の大名たちは、ほとんどがこれを喜んだという。
なぜかといえば、藩の経営など、幕末期にはほとんどの藩が破綻していたからだ。理由は様々だが、最大の理由は、江戸体制の財政が米を主体にしていたことだろう。以前にもこのブログのどこかに書いたが、米を基軸にした幕藩体制は、貨幣経済が膨張し続ける中で相対的に市場の縮小を余儀なくされ、経営が立ち行かなくなっていた。
その経営をしなくてもいい、しかも領地に応じて華族としての金銭が支払われる、というのだから、大名たちはむしろほっとしたらしい。
土地の分配で成り立つはずの「封建制」だが、江戸封建体制が特異といわれるのは、支配権は与えられるが所有権は与えられないという、土地に対する考え方にある。



ちなみに、この項ではあくまで一般論を扱っている。何事にも例外というものはあるので、鵜呑みにしてはいけない。



一方で、英国貴族の「封建制」は、土地の所有権を与えられる。
貴族制度というのはその国その国で異なり、たとえば帝政ロシアの貴族制は「農奴」という土地に固定された奴隷農民を支配することで成り立っているし、ルネサンス期イタリアの都市国家の貴族などは、寸土も持たない商人だったり、商船主だったりする者もいた。
が、基本的にヨーロッパでいう貴族とは、大土地所有者のことであると考えて、概ね間違っていない。
日本のように、大土地所有者が「庄屋」と呼ばれて農民の代表となり、武士階級の支配を肩代わりするような構図は、あまりヨーロッパでは見られない。
英国では大土地所有者が貴族であるという構図がけっこう明白で、たとえば、国内最大の貴族でもある英国王家は、英国最大級の大地主でもある。
王家の跡継ぎである皇太子は、プリンス・オブ・ウェールズの称号を持つが、これは完全な称号であって、別に実質はない。ただ、皇太子が国王の長子である場合についてくる称号がある。「コーンウォール公爵」という、伝統ある貴族家の名だ。*1
現在のコーンウォール公はいわずとしれたチャールズ皇太子だが、主にブリテン島南部に点在する領地からの収入は莫大で、年間1000万ポンド、日本円にして22億円ほどにもなる。総資産がいくらになるかは調べていないが、収益がこれだけ上がるのだから、莫大なものであることは間違いない。



冒頭に紹介したウェストミンスター公は、英国貴族の封建貴族の中で、もっとも富を産む土地を持った貴族。
ウェストミンスター公爵グロスヴェナー家がほぼ現在の領地を手にした頃は、それほど富んだ一族だったわけではないが、立地が良かった。17世紀後半のロンドン郊外にあった公家の土地は、現代のロンドンの中心部、現在のメイフェア、ベルグラヴィア周辺にあたる。英国で最も高額な不動産がある地区、とされているそうだ。
現代でもこの地区を中心に大量の不動産を維持しているウェストミンスター家は、英国で最も裕福な貴族であり、既述の通り英国で3番目の富豪でもある。
どれだけ中心部か、この地区にある街路や建物の名前を列挙すれば、見覚えのあるものが必ずあるだろう。
ボンド・ストリート。ハイド・パーク・コーナー。ピカデリー・サーカス。リージェント・ストリート。サヴィル・ロウ。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ。アメリカ大使館も地区内にある。
公家の総資産は66億ポンドというから、日本円では1兆4000億円ほどか。これが代々続く世襲財産なのだから呆れる。
ビル・ゲイツなど、彼らからすればぽっと出の新興成金に過ぎないし、アメリカを代表するロックフェラー財閥ですら、あるいはぽっと出扱いかもしれない。なにしろ、公家誕生の頃、ヨーロッパではまだフランス革命も起きていない。太陽王ルイ14世の時代、ベルサイユのバラはまだまだ先の話だ。



金融の一大中心地として、また議会制民主主義国の代表格として、英国は現代の世界でも有数の先進国であることは間違いないが、一方で封建貴族が強い力を持つ、不思議な国でもある。
中世からの貴族が表に出ずに国家を陰からあやつっている、という不気味な構図が小説や映画、マンガなどで描かれたりするが、決して根拠の無い話ではないあたりが、英国という国の凄みでもあり、また魅力でもある。

*1:このあたりの貴族制を詳述すると、書いている自分でもよくわからなくなってくる。英国の貴族制度は、それを完全に理解している人間はいないとされるほど難解なのだそうだ。