談合


前の職場はアパートから歩いて6分という立地だった。
職を変えても住所は変えていないから……というより金が無くて引っ越せないから、うろうろしているとうっかり元同僚と行き会うことがある。
つい先日も、地元の駅に着いて駅前のラーメン屋で腹を満たした帰り道、塾帰りの息子を迎えに来たという元上司と行き会った。
「うちは相変わらずだよ」
恬淡としているその元上司は、以前某東南アジアへ海外旅行に行った際に、現地人から現地人に間違われたという伝説を持つ顔を崩すこともなく言った。


測量設計業界という、土木業界の中に含まれるあまり広くもない業界で働いていた当時、私は技術職から営業職に転属を命じられ、不本意ながらも職務遂行のため談合に加わっていた。
福島県知事とその実弟が主導した汚職事件で、未だに談合体質が改善されていない実態をさらけ出した土木業界だが、これでも私が営業職に回った当時から比べれば、ものの数年でだいぶ風景が変わっている。
以前のこの業界では、まずほぼ全てといっていい物件が談合で業者に配分されていた。競争原理が無いわけではなく、いうほど談合でぼろもうけができていたわけでもなく、そのあたりは社員たちの給料の安さを見ればすぐわかるのだが、それでも談合体質があればこそ生き残っていけた業界であるという現実があった。
公共事業への支出が抑制されるようになったバブル崩壊以後、業界はひたすら縮小傾向にある。民間需要がある建築業界ならともかく、社会基盤整備という、目先の採算では計れない利益を追求するために行われる事業では、公共の資金が投入されなければ、投入される資金が増加する見込みは皆無に近い。
そういった中でパイの奪い合いをしていれば、当然ながら過当競争がおき、ダンピング、つまり不当廉売的な低価格受注が行われ、品質の低下が避けられなくなってくる。


役所の人間が主導して業者間の調整を行い、入札価格を低下させずに受発注が行われる談合を「官製談合」というが、この官製談合の多くは、地元企業を、ダンピング覚悟で攻勢をかけてくる他地域の企業から守ろうという意思の現れだったり、品質低下を恐れ、あえて違法行為を行ってでも確実な技術力を持つ企業を使おうとする意思の現われだったりする。あるいは、数年にわたって行われる工事などで、役所独特の予算制度が邪魔をして単年度契約しか結べない場合に、同一の企業あるいは技術者に業務を担当させるために行われる場合も多い。
この場合、今回の福島県の事件のように、行政トップたちに多額の金が渡ったりする事はなく、業界の規模が小さい分野だと、談合を主導した役所の担当者でさえコーヒー一杯おごってもらえなかったりする。つまり、仕事の質を維持するために行っている必要悪という考え方だから、談合が社会悪だと覚悟しての行為だけに、あえて贈収賄という罪状を自ら付け加えるようなことはしない場合が多い。
自らの良心をそれでわずかでも慰めているという考え方も出来るし、薄給である下っ端の地方公務員ですら哀れみを感じるほど安い給料でこき使われている、各業会の技術者たちへの憐憫の情や同族意識が働いた結果という面も無いわけでは無いだろう。


談合というものを、私は社会悪として断罪するのは当然だと思うし、後世に引き継いでいくべき財産だなどと考えているわけではない。正当な競争が働かないような業界は潰れてしまえばいい、と談合に加わっていた当時から思っていたし、今でもその考えは変わらない。
だからこそ、なのだが、談合に変わるシステムをきちんと作らなければ、業界ががたがたになり、社会基盤整備に致命的欠陥を生み出すことになる。
談合が起きるのは、談合を防ぐ仕組みが出来ていないからだという考え方は、もちろん正しいのだが、それだけだと考えるのは愚劣である。
犯罪が起きるのは警察力が足りないからだと考えるのに似て、その大元を潰していくためにはどうすればいいかという、犯罪予防の考え方が欠けてしまっている。
談合に対する罰を強化し、取締りの仕組みを作ることで談合の消滅を目指すのは正しいことだが、談合を続けていくメリットより、談合をしないでいるメリットの方が大きければ、自然に談合は減少していくだろう。談合のデメリットが罰則以外には無いという現状が、談合の撲滅を目指す社会の流れを阻害している。
罰則を強化すれば談合は縮小するだろうと考えるのは、罰則を強化すれば少年犯罪が減少するだろうと考えているのと同じ事のように、私には思える。いくら罰則が厳しくなろうと、その分陰にこもり潜在化していくだけのことで、少年犯罪が消滅していくことはないだろうし、社会全体が少年犯罪阻止のために教育の根本から見直していかない限り、どんなに取り締まったところで、悪事を犯すガキは罪を犯し続けるのだ。


それでも、罰則の強化などが意味のない行為かといえば、そんな事は無い。実際、談合の数はじりじりと減り続けている。ダンピングが横行しひどい状態になっているところも散見されるが、たとえば指名業者を公表しない、また入札会場無しで入札が行えるため業者間での横の連絡が取りにくい (連絡網を使って取れないこともないが) 電子入札制度を導入するなどの対策が、少しずつ業界を変えている面も、確かにある。
また、業界関係者がいうほど、ダンピングの横行による技術単価の低下で品質低下が起こる、という現象も、起こってはいない。しょせん、だれた仕事をする奴は、金があろうがなかろうがだれた仕事をするものだし、逆もまた然りということなのだろう。もちろん、素晴らしい仕事をするにはそれなりの資金というものが必要で、それを無視した低価格受発注をしていれば、いずれ間違いなく総合的な技術力の低下は避けられなくなるだろうが、それも経営努力や新技術の開発という知恵の部分で補いうる可能性が、いつの時代でも見出せるものだろう。
肝心なのは、価格とそれに見合った技術を提供できるという一定の評価基準を作ることが重要なのであって、闇雲に低価格化を推し進めればいいというものでもないし、逆に低価格化を抑えればそれでいいというものでも無い。
常識的に考えて妥当な線というものがあるだろうし、その線引きが出来る評価体系を作っていけばいい話で、その上でなお談合を行うというのであれば、社会悪として切り捨ててもいいが、それが出来ないうちにぎゃあぎゃあ喚いても、社会は不利益をこうむるばかりである。
臭いものに蓋をするばかりではなく、評価体系作りという面倒で難しい問題にきちんと立ち向かっていく度量と努力が、社会に求められている。
もちろん、社会は今回の福島県での問題などは論外の事件として断罪すべきであり、私もこの事件に同情すべき面は一切見出せない。
ただ、業界の談合体質をただ叩いていればいいというものでは無いということだけは、はっきりといえる。