皇室への敬意


 頼朝を中心につらつらと書いてきた。
 少し寄り道する。
 日本の歴史の特異性を示す例としてよく挙げられるのが、世界最古といわれる天皇家の存在。
 万世一系といい、神代の昔から血を残してきたとされる皇室。神代からというのはともかくとして、信頼できる資料が残されている範囲でも1400年以上血筋を絶やさずに続いてきた家というのは、世界的に見ても珍しい。ましてそれが国でもっとも尊崇される家として続いて来たとなると、ほぼ例は無い。
 その間、権力体制は幾度も交代劇を経てきたが、天皇家を潰したり、自らが取って代わろうとした者はなかった。少なくとも公式には。
 常に、権力者たちは天皇家を権威として認めてきた。権威が権力を握ったりしないように厳しく監視したり制限をかけたりする事は多々あったし、明日の食事を心配しなければならない悲惨な暮らしをしていた天皇だっていないわけではない。それでも、天皇家の血筋を絶やしたり、庶人の地位に落とそうとしたりする者は現れなかった。
 権力が入れ替わるときに、その時点で最高の権威を持っている存在を生かしたままにしておく、という事例は、歴史上あまり多くない*1。権威とは権力の正当性を裏打ちするために存在し、たいていの場合、権力を奪取した者にとって当時の権威というものはあからさまに邪魔か、あるいは非常に危険な存在になる。以前の権威を否定し、新たな権威を作り出すことによって自分の権力を正当化するというのが、大方の歴史の流れ。
 生かしたままにしておく事は少ないといったが、これは文字通りの意味ではない。旧政権側の人間を厚く遇し、一族を代々貴族として扱ったという歴史もある。だが、この場合、旧権威は飼い殺しにされ、実質的な権威を失い、単なる歴史的存在になって終わる。権威という実態のないものは完全に殺されてしまう。
 天皇家は違った。
 多くの時代で権力など無かった天皇家、あるいは権威すら忘れ去られかけたこともある天皇家だが、ついに現代にまで生き残った。
 権力を持たなかったのがいい、という。つまり、権力者として君臨していなかったから、次の権力者に倒されることもなかった。権力から独立した権威として存在したから、次の権力者の正当性を保証する権威としてうまく利用されることで生き残りを図れた、という考え方だ。
 理屈は通っているが、その不思議な権威がなぜ生まれたのかという説明が無い考え方でもある。



 これは別に私の意見ではなく、色々と本を読んできた中で、その著者たちの考え方が何となく寄り集まって出来上がったものだが、天皇家が生き残れた理由とは、天皇という存在が日本的現実の中にぴったりと収まるサイズのフィクションだったからではないか、と考えている。



 権威とは、他のものを服従させる威力、と辞書的に説明される。
 一方で権力とは、他人を強制し服従させる力、とされる。
 具体性のある力を権力といい、もっと精神的なものを権威という。
 力だけでは人間の心まで支配できないし、力無しでは人間を実効的に支配する事は出来ない。その意味で権威と権力は決して切り離して考える事は出来ない性質のもの。歴史の中の「力」の顕れ方を、具象と抽象で表したともいえる。
 権威と権力を同一人物、あるいは同一組織でまかなう必要は無い。例を挙げると、宗教と政府の関わりだ。
 古典古代の終焉から始まる中世から近世のヨーロッパでは長らく、権威の源である宗教と、現実に権力を握る政府とが、いがみ合い衝突をくり返しながらも歴史を牽引してきた。大国の王は、キリスト教会から王冠を受けるという伝統をもって自らの権力の正当性を得てきたし、権力の庇護を受けたり自らの権威が発する利益を利用して権威の代理人たる教会も生き延びてきた。
 教会自身が権力を握ることもあったが、それは教会の首座に座る教皇が世俗の権力を握ったということであり、別に権威が権力を伴った結果というわけではない。複雑な政治状況を利用して、権威の象徴を握る教皇が、世俗の力を持ったというだけのこと。権威の源泉は神であり、教皇はその代理人であるに過ぎないのだから、権威そのものが権力を握ったというわけではない。
 神は決して権力を持たない。
 なぜなら、それが形而上の存在だからだ。
 理念的なもの、形を持たないもの、という意味である形而上の存在である神は、現象世界に具現化される形而下の存在である権力を握る事は出来ない。それは、心だけではどうあがいてものづくりは出来ないというのと同じ程度に真実だ。
 教皇をトップとするカトリック教会は、あくまで形而上の存在たる神とその宗教を護持する存在であって、そのものが形而上的存在というわけではない。当たり前だ。神職も現実世界の物質からできている人間なら、教会は石と木でできている。
 教会が権力を握る事は、権威と権力とが結びつく危険なこととして、当時権力を握っていた王侯貴族たちに警戒されていたが、真の意味で権威と権力が結びつく事は決してなかった。
 権力を手にした教皇やその側近たちは、例外なく腐敗し、堕落した。原因はいくつもあるが、結局のところ、権力とは現実を見つめることであり、神とその存在の意味を追求する神学とは真逆の立場にある。形而下の問題である権力と、究極の形而上的存在である神とを同時に追求することなど不可能だったということだ。
 結果、権力の方に指向した場合は堕落し、権威の方に指向した場合は権力を失っていった。
 神とは、この世にあまねく存在する。人間がどうあろうと、神はただそこに存在し続ける。権力のように、人間が存在するから存在しているというものでは無い。その根本的な相違がある限り、神の権威と現実の権力とが融和できるはずがなかった。
 神の代理人であるカトリック教会に出来た事は、自分たちの食い扶持を得るための権力遊び程度のものだった。その遊びが十字軍という、歴史上稀に見る陰惨で愚劣な戦争を起こすことになったりしたが、その戦争が教会の権力を強大にするという事はなかった。あったとしてもごく一時的なもの。
 だが、権威は決して損なわれなかった。
 なぜなら、神が擁する権威は、絶対だからだ。
 絶対というフィクション、その根本原理が神の存在である。
 人が神という存在を信じる限りは、神の権威は常に最大最強。教会がその護持者である限り、教会の権威が失われる事はなかった*2



 日本には、このような激しい「絶対」が根付く事はなかった。
 大江健三郎ではないが、日本人の思想や宗教はつねに曖昧さを持ち、けっして絶対という部分にまで到達する事はなかった。それに近付いたといえる存在はあったにしても、それが国民のコンセンサスとして根付く事はなかった。
 その理由を追求する頭も根性も私には無いが、そのような絶対の権威が存在しない日本で、では何が最高の権威として息づいていたか。
 天皇家、ではない。右翼じゃあるまいし、そんな事を言い出す気はさらさら無い。
 それは、自然そのものだ。
 アニミズム*3という外来語を出すまでもなく、日本人は、自然に対し常に畏敬の念を抱き続けてきた。
 台風や地震など、元来天災が多い国だから、自然に対し恐れを抱いていたのだ、と説く学者がいたが、私は逆だと思う。
 日本の自然は人間に限りなく優しい。
 砂漠があるわけでも氷河があるわけでも無い。人間が金属を加工する燃料とするために木を切り続けたあげく、森という森が失われて慌てて植林に走ったというヨーロッパと違い、日本では、鉄の生産のために山を丸裸にしても、30年も放っておけばまた深い雑木林が山肌を覆ってしまう*4
 冷害もあれば日照りもあり、それが原因となって大飢饉が起きたことも少なくない。その度に地獄絵図が繰り広げられたが、それは米という外来の植物が多数の人間を養っていたために起きたこと。本質的に亜熱帯性の植物である米に依存しなくても生きていける程度の人口規模なら、物生りのよい日本の国土は、採集生活者にとっての天国である。
 その時代から続く日本の信仰は、自然そのものに対してのものだった。
 古神道では、林間の何気ない清浄(もちろん人間にとっての、だが)に神意を感じ、それを信仰の対象とした。滝に神意を感じ、巨木に神意を感じた。清冽な沢筋を尊び、無垢な木肌を尊んだ。
 そこから生まれた宗教は、自然科学の無い時代の科学である呪術と結び、人々の信仰を集めた。
 天皇家は、その信仰の元締めのような立場にあった。
 天皇家の権威の淵源はそこにある。
 上代の日本で、天皇家は確かに権力者だった。だが、いつからか天皇家アニミズムから発する権威を象徴する存在となった。権威と権力のどちらが先に生まれたかはわからないが、記紀に描かれる神話や伝説は、天皇を権威的な存在にした。
 天皇家という具体的な存在を日本人の祖として認識することで、日本人は抽象的な概念としての同一感を得た。自然そのものを信仰する神道というものが、あくまで具象である天皇家と結びついたことで、日本人は抽象的に自然との一体感を得ることができた。
 自分たちは自然から生まれ自然に帰る者であるという観念は、自然を信仰する神道の元締めである天皇に対する素朴な敬慕心に変化しえた。
 天皇家は自然そのものを信仰の対象とする神道、そのものであるというフィクションが、天皇家に日本人に対する強い権威性を産み、その権威が天皇家を永らえさせた。



 はっきりと意識してはいなくても、天皇家の血筋を絶やすという事は、少なくとも戦前までの日本の権力者たちにとって、想像の外にあった。
 それは、天皇家が長く長く続いてきた家だからではないし、天皇家の権威がどうしても権力に必要だったからでも無い。
 絶対という考え方がどうしても馴染まない日本という国の中で、相対性そのものである自然と一体化してきた神道の象徴である天皇家が、まさに日本という国土をも象徴していたからだ。
 日本人が日本人であるという自己同一性を得ようとする時、絶対性を奉じるわけにはいかない。自然を祭神としてきた日本人にとって、初めに絶対という概念を受け入れなければ一歩も前に進まない一神教イデオロギーは、馴染めるものではない。
 概念を前提にして物を考えるという習慣は日本にはごく少ない。あくまで相対性が日本人の歴史を貫いてきた。その日本人にとって、天皇家というものは相対性の象徴であり、だからこそ、天皇家は生き抜いてこられた。
 絶対性というフィクションを持たなかったから、天皇家は歴史を動かすほどの権威性を持てなかったが、それを持たなかったからこそ権力はかえってその権威を消滅させることが出来なかった。する必要もなかったし、する気にもならなかった。
 天皇家を消滅させる事は、日本人の自然への尊崇そのものを否定することですらあった。仏教を導入し、神道を古臭い田舎宗教としてしまってからも、日本人にはいわば自然の象徴である天皇家への尊敬心を捨て去る事はできなかった。
 そのことを忘れ、相対性の宗教であったはずの神道を根底からくつがえし、絶対性を捏造した戦前の権力機構は、国民にも、また周辺諸国の人々にも多大な出血を強要した末に滅び去った。
 国家神道というものは、とくに天皇家を絶対性の象徴に仕立て上げた愚挙というものは、日本の歴史や日本人の心性を侮辱し足蹴にする、日本史上の恥部といっていい。
 それを道具に戦略無き戦いに身を投じ国家を焼き尽くした日露戦争以降の権力者たちは、それをしたという時点で日本人ではないとすら私は思っている。
 そのような連中に対し、彼らは日本の誇りを守ろうとしたといって弁護してみたり、自虐史観を捨て戦前の権力者たちの事跡を再評価すべきなどと勘違いした発言をくり返す人間を、私は好きになれない。皇国史観を基にした天皇家を奉じると言っている人間たちは、何か考え違いをしているか、自己賛美のための口実を求めているに過ぎない。



 私自身は信仰の無い人間だが、自分でも不思議なことに、皇室に対する敬意というものが存在する。
 その正体がなんなのか、と少し考えた時に、こんなことを頭に浮かべた、という話だ。

*1:宗教はまた別の話。

*2:それがある程度失われたのは、神の権威を個人レベルで追及すべきと説いたプロテスタントの出現以降。その意味で、プロテスタントは権威の細分化を招き、個人レベルの権威と尊厳というフランス革命以後の民主主義への流れをすら導いた。

*3:自然の事物に霊威を認め、その霊威をもって信仰の対象とする宗教。

*4:もちろん、産業革命の洗礼を受けた文明が肥大化のあまり地球規模で環境を変えてしまった現代以前の話。