銀河英雄伝説

田中芳樹、という小説家の本を、以前は好きで結構読んでいた。今は読んでいないのかというと、読んでいない。
理由は簡単で、彼の筆が異常に遅くて、読むものがないからだ。また、彼の創作力もこのところはっきりと衰えている。あまり新作が出ても読む気がしないのが現実。



とはいえ、過去に読んだものの中には秀作も多い。
「マヴァール年代記」、「七都市物語」、「紅塵」などは、今もふと読み返したくなる秀作。
そういった秀作群の中でも、私が特に何度も読み返しては楽しんだのが「銀河英雄伝説」、略称「銀英伝」だ。
彼の初期長編シリーズだが、これが彼の最高傑作だとするファンが少なくない。


銀河英雄伝説 (トクマ・ノベルズ)

銀河英雄伝説 (トクマ・ノベルズ)



わりと有名なシリーズで、かなり壮大なアニメ化もしているから、今さら私が内容を紹介する必要もない気がする。
一応軽く触れておくと、未来の銀河系で起こる宇宙戦争史。異星人や超科学文明間の抗争というより、歴史時代から現在に至るまで変わらない人の営みをベースに、君主制と共和制の国家が、互いの存亡をかけて戦うというもの。
銀河帝国自由惑星同盟の二つの陣営に分裂した銀河系は、百年にわたる戦争状態にあった。どちらの国もそれぞれの理由で疲弊し、事実上の第三国であるフェザーン自治領を挟んでの戦いは膠着状態に陥っていた。そんな中、両陣営に現れた二人の天才。
銀河帝国にはラインハルト・フォン・ローエングラム。金髪の美青年であり、姉が皇帝の寵妃である彼は、若くして戦場での武勲と皇帝の威光を背景に急激にのし上がる。彼は戦争の天才であり、そして姉を奪った皇帝と社会悪である貴族制とを激しく憎む、苛烈なまでの野心の持ち主だった。
自由惑星同盟にはヤン・ウェンリー。成り行きから軍人になり、本人が嫌がっているにもかかわらず、戦場においては戦功数知れず、不敗の若き名将として同盟のヒーローになってしまう。紅茶と酒と歴史を愛し、民主政治の理念を愛する彼は、ラインハルトに劣らぬ戦争の天才だった。
物語は二人を軸にして、周囲の人々を丹念に描き、群像物語としての一面を見せつつ、壮大な政治抗争史としても、また天才たちの一代記としても楽しめる内容になっている。



SFとして読むのは、少々厳しい。
舞台をSF的な部分に求めたというだけの話で、SFとしてはかなり見劣りがする。大規模な宇宙艦隊戦や要塞戦などが幾度となく描かれるが、兵器の設定などは陳腐といってもいい。
だが、そのことが物語の質を貶めることにはつながっていない。この物語は、はっきりと、人間というものに焦点が絞られているからだ。
英伝が描こうとしているのは、未来社会でも驚愕のテクノロジーでもなく、宇宙の広大無辺さでもなく、人間と、人間が営む社会、それらが積み重ねてきた時間が生んだ歴史、そういったものだ。それ以外のものは主題にはなりえず、物語の舞台を整えるためのほんの小道具としてしか使われてはいない。
日本人作家が書いたSF作品の中にも、海外SFに負けない「SFらしいSF」がある。ハードなSFが読みたいが、海外作家の翻訳物はちと読みにくい、という人であれば、銀英伝よりそちらを選んだ方がいい。
SFを読みたい、というより、キャラクターで読ませる小説を読みたい、あるいは歴史物が好きで、ちょっとライトな小説を読みたいな、などと思っている人がいたら、お勧めといえる。


実際の歴史物を読むのに比べて、銀英伝ははっきりと歴史としての意識があるにもかかわらず読みやすいのは、もちろん著者の筆力ということもあるが、もうひとつ、陣営の数が限られているということも大きな要因になっている。
それは、書く側に立ってみるとよくわかる。
先日、私は4回に分けて鉄血宰相ビスマルクについて書いた。
その時に私を悩ませたのは、「どこまで書くか」という問題だ。
関係国だけでも、ドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、デンマーク、イタリア、スペインなど多数に渡るし、ドイツ統一以前のプロイセンやその他諸邦についても書く余地がある。アルザス・ロレーヌ地方の問題やポーランドの問題など、他にも書こうと思えばいくらでも書けた。
だが、そんなことをしても、読者が混乱するだけだし、私自身も混乱する。プロとして書いているならともかく、ビスマルクという人物が好きだということの説明をしているだけなのだから、必要最低限のことを書けば良い。
歴史物というのはえてしてそういった問題をはらんでいて、それが垣根の高さにもなっている。
英伝では、その要素を極限まで絞り込んだ舞台設定をすることで、つまり銀河帝国自由惑星同盟の二大国にフェザーン自治領を加えた三陣営に絞り込んだ舞台を設定したことで、その煩雑さを避け、わりあい簡潔に物語を進めて行くことに成功している。



また、名前なども、銀河帝国側はドイツ系の言葉で、自由惑星同盟側はその他の言語で、と使い分けることで差別化し、わかりやすくしている。
日本人は漢字を使わない名前を読むのに多少訓練が必要なようで、私の父なども海外の小説を読むのは苦痛だと話していたことがあった。銀英伝でもすべての名前がカタカナだが、日本人が日本人に分かりやすい語感の名前を適度にばらけて配置してい書いているおかげで、読みにくいということはない。文章自体が翻訳調ではなく、非常にリズム良く書かれていることも、読みやすさの原因だろう。



ファンの中には、「これを読んで歴史というものが理解できるようになりました」とか「歴史の授業なんかより銀英伝を読んでいたほうが歴史の勉強になる」などと書く者もいるが、これはちょっと安直すぎる。歴史の面白さを知るのは別に構わないが、これが歴史そのものだと思われては、思いこんだ人間の頭の程度を疑ってしまいかねない。
これはフィクションだし、理想化されすぎている部分もあれば、あえて踏み込まなかった領域もある。人物描写には少々欲が抜けきって理想化されている部分が散見されるし、経済の領域にはほとんど踏み込んでいない。
英伝はどう考えたってフィクションだし、その主題は歴史の本質を抽出して描くことよりも、人間描写にあるはずだ。歴史そのものを描きたかったら、史実に題材を得た小説を書けばいい話だし、実際に著者はそういったものも書いている。この作品を「歴史物」として扱う浅慮は、それをした人間の底の浅さが割れてしまうから、やめたほうがいい。



これは、銀河を舞台に繰り広げられる男たちの群像劇をロマンとして描いた、人間活劇である。
あえて「男たち」と書いたのは、残念ながら著者には女は書けない、と思っているからだ。本人も割りとあっさり認めているが、銀英伝ははっきりと男の物語。女性キャラ自体が少ないし、またそのキャラクターたちも男たちに比べて類型的で、はっきりいってしまえばつまらない女ばかりだ。
などというと女性キャラたちのファンに叱られそうだが、少なくとも凄みを感じさせる女性キャラはいないし、男尊女卑的価値観が存在するという設定から考えればしかたがないのかもしれないが、劇中の存在感も乏しい感じがする。
また、これまた著者本人があっさり認めている通り、彼は性描写というものがまったくできない。キスシーンひとつまともに書けないというのでは困ったものだが、それゆえの面白みというものもあるから、一概に否定できるものでは無い。ただ、そのために犠牲になっている人間描写の深みというものも、多少は存在するのではないか。



どのキャラが一番好きかと問われると、少し困る。その時々で違うからだ。
高校時代、最初に読んだときは、ヤン・ウェンリーが好きだった。
次に読んだときには、「帝国の双璧」ミッターマイヤーとロイエンタールがお気に入りだったし、少し時間が経つと「イゼルローン組」の年長者グループ、キャゼルヌやシェーンコップが好きだったりした。
もちろんラインハルトは一番ではないにしても好きなキャラであり続けているし、他にも何人も好きなキャラはいる。
今、と限定すると、好きというより、妙に気になってしまうのがオーベルシュタインだろうか。ビスマルクなどという人間を書いた後だからかもしれないし、マキアヴェッリとその思想が好きだからかもしれない。ローマ皇帝ティベリウスや維新期の元勲大久保利通が好き、などという性格も、オーベルシュタインが気になる原因だろう。
彼は物語の中で、トップとはいわないまでも、それに近い順位にいる高度な嫌われ者である。作中、誰もがその実力は認めながらも、決して好感は抱かない人物として描かれている。
なにしろラインハルトの腹心として、また銀河帝国再興の立役者として、最終巻の最後まで活躍し続ける人物だけに、ファンの中では一定の評価がなされているが、一番好きです、という評価は未だ見たことがない。性格的にパロディに使いやすいおかげで、その分野では人気キャラになっているらしいが。
アニメ化された際、塩沢兼人という、亡くなった今でも熱心なファンには事欠かない声優が声を当てていたせいか、その面での人気もあるようだ。わたしもアニメで見たときには、この人以外の適役はいないのではないかと思った口だ。



ちなみに、まだWindowsが3.1だった時代に、DOS版のゲームをやったことがあった。戦略ゲームとしては難易度が低かったのか、やすやすとクリアして調子に乗っていたのだが、数年後にwin98版のゲームをした時、あまりの進化ぶりに恐れをなし、結局慣れるまでもなく挫折してしまったのは、私の黒歴史である。