チューリングその1

kotosys2005-10-24



ジョン・フォン・ノイマンクロード・シャノンと並び、現代のコンピュータ科学の父とも呼ぶべき存在が、このチューリングという男。世界で始めて、システムとして実用化されたコンピュータを作ったのが、このチューリングのチームだった。


アラン・マシスン・チューリング(Alan Mathison Turing,1912〜1954)
イギリスの数学者。現在のコンピュータの論理的原形であるチューリングマシンの考案者。第二次大戦時にはイギリス軍の暗号解読プロジェクトに参加し主導的な役割を果たす。情報工学分野でのノーベル賞といわれるチューリング賞は、彼の名にちなむ。


ごく簡単に略歴を記せば、こうなる。
私は一切数学とは縁が無い生活を送りたいと熱望する文系人間で、彼が生み出したものなどまったく理解できないしょぼい人間であるに過ぎないのだが、彼の履歴を詳しく追っていくと、世の無情さというものや歴史の残酷さというものに押し潰されそうになる。




暗号、というものが世に現れて以降、それをめぐる暗闘や悲喜劇は無数にくり返されてきた。
暗号の歴史をひもとくと、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの記述にまでさかのぼるというから、情報の秘匿の重要性というものは、人類が国家という物を持ち得て以来の物なのだということがわかる。
その暗号の必要性が一気に高まったのは、近代になってからのことだった。
通信技術の発明だ。
最初は有線、つまり電話の類。それから、グリエルモ・マルコーニニコラ・テスラが開発した無線通信技術が登場すると、情報伝達の速度も量も劇的な増加を呈した。
特に無線通信は、事実上世界のどこにいても送受信が可能であるという状況を生み出したが、これは暗号というものの価値をも劇的に引き上げることになった。
なぜなら、無線は、通信も容易だが傍受も容易。敵に簡単に情報を提供できてしまうのだ。
第一次世界大戦の当時までは、暗号は脆弱なものだった。暗号を作る者がどれほど努力しても、新しい暗号技術は、数日の内に破られてしまうような状況が続く。第一次世界大戦の一方の主役であるドイツ帝国は暗号技術についてやや感受性が鈍く、逆に感受性が非常に鋭敏になっていたフランスやイギリスに、手も無く暗号を解読されてしまっている。



その最もいい例が、アメリカが参戦するきっかけになったツィンマーマン電報事件だろう。
1916年、ドイツの外相にツィンマーマンという人物が任命された。当時、大戦はドイツ帝国側に有利に展開し、イギリスやフランスはアメリカに参戦を求めていたが、アメリカはそれを拒んでいた。
アメリカ大統領ウィルソンは理想主義者として知られ、国際連盟の主唱者としても知られている。中立な仲裁者としての役割が世界に平和をもたらすと信じ、実際にそう行動しようとしていた。ツィンマーマンがドイツの新外相に任命されたときも、ドイツとの関係がこれまで以上に良くなるだろうという楽観論を持っていた。大統領だけではなく、アメリカ国民もそう信じていた。
だが、ドイツにはアメリカと友好関係を築いていこうという意思など無く、平和を求める姿勢もありはしなかった。
Uボートによる無制限攻撃によってイギリスにとどめを刺すべく、様々に検討を進める中で、どうしても邪魔なのがアメリカの存在だと考えたドイツ側は、アメリカが参戦できない状況に陥っている間にイギリスを何とかしよう、と考えた。
メキシコに、アメリカ侵攻計画をもちかけたのだ。
理由はあった。テキサス州アリゾナ州ニューメキシコ州などは、新大陸のスペイン植民地全盛時にはメキシコ領だったのだが、アメリカ合衆国成立以降の拡張政策によりどんどんアメリカに吸収されていき、あるいは奪われていった。メキシコにとっては領土奪還闘争になるわけだ。
計略の中では、日本にも役割があった。メキシコ、ドイツがそれぞれ南、東からアメリカ本土を襲うと同時に、日本にも西海岸を襲わせようという戦略だ。電報の時点ではメキシコ大統領から日本に誘いをかけて欲しいという内容で、もし実現していれば、北アメリカ大陸を挟んで大西洋と太平洋をまたにかける史上空前の大戦略といえた。アメリカは自国の防衛が最優先になり、ヨーロッパに援軍などといってはいられなくなっただろう。
1917年の正月も明けた頃、外相ツィンマーマンは、ワシントン駐在のドイツ大使に、メキシコ大統領宛の暗号通信文を送る。ワシントンの大使からメキシコ駐在大使に転送し、メキシコ駐在大使がメキシコ大統領に渡すことになっていた。



この暗号電文が、イギリス軍によって解読されたのである。
当初、イギリス軍の情報部は、解読した内容を利用することができなかった。内容が非常に重要なものだったから、これをネタにアメリカを大戦に引っ張り出すことは可能と思われたが、暗号が解読されてしまったのだとドイツ軍に知られてしまうのはまずい。わざわざ、もっと難しい暗号を使えと教えてやるようなものであり、それは大戦の戦略をよりドイツ優位にしてしまう可能性をはらんでいた。
1917年2月1日、ドイツは無制限海戦を開始する。民間船だろうが、それがアメリカ船籍の船だろうが、敵国イギリスやフランスに利する船は一切合切沈める、という無差別攻撃である。
翌日、ウィルソン大統領は閣議を開いて対応を検討するが、「これでようやくアメリカを引きずり出せる」というイギリスの期待や、「いよいよメキシコを引っ張り出しての対アメリカ戦か」と身構えるドイツの注視をくつがえし、3日の議会で、ウィルソンは「中立を保ち、仲裁者としての役割を果たすべきだ」とする姿勢を表明した。
ウィルソンは、正義というものが本質的な戦争目的になるという概念を、初めて近代世界に突きつけた大統領である。それまでのパワーポリティクスやバランス・オブ・パワーを否定し、地政学的な戦争を拒否し、それまでヨーロッパで歯牙にもかけられていなかった正義の闘争という概念を、圧倒的な国力で敷衍させるべく奮闘した大統領だった。
アメリカの不干渉主義は当時有名で、ヨーロッパの愚劣な闘争で国民の血を流すなどもってのほかという世論があったことも無視はできない。もちろん、好戦的な論調もあったにしても、だ。



イギリス軍は、このアメリカの意外な態度に、解読した電文を使うことを決断する。
だが、そのままアメリカに伝えたのでは、ドイツに暗号が解読されていることを教えてしまう結果になる。
そこでイギリス軍は一計を案じた。
電報は、ドイツ外相からアメリカ駐在大使へ、アメリカ駐在大使からメキシコ駐在大使へ、メキシコ駐在大使からメキシコ大統領へ、という流れで伝えられることになっている。この最後の段階で、つまり大使からメキシコ大統領への段階では、暗号化はされていないはずだ。されていたらメキシコ大統領が読めない。その、暗号化されていない電文をスパイが盗んだのだ、という事実を作ってしまえば、ドイツ側は暗号が破られてしまったことに気付かないのではないか。
なにしろ、電報が存在していることはわかっているのだし、それがどう流れてきたか、どう流れていったかもわかっているのだから、あるかどうかもわからない情報をあてどもなく探すことに比べれば、スパイとしても実に仕事がやりやすかったはずだ。スパイはメキシコの通信局から一通の電文を見つけ出し、本国に送った。
こうしてツィンマーマン電報は「発見」され、イギリス外相の手に渡った。4日後にはアメリカ大統領ウィルソンも目にし、新聞にも発表された。
イギリス政府のでっち上げではないのかという観測もあった。対ドイツ戦にアメリカを引きずり込むための情報戦略ではないのか、という疑惑だ。
それも、当のツィンマーマンが記者会見であっさりと「事実である」と認めたために消えた。ドイツ側でもその電文がどうして流出したのかを調査し、電文の内容がメキシコ大統領宛に修正されたものであったことから、どうやらスパイによって暗号化されていない電文が盗まれたらしい、という結果を出していたようだ。もう少し言い逃れしても良さそうなものだとは思うが。



アメリカは、ドイツが自国の腹に長刀を突き立てようとしていた事実を知る。
ルシタニア号事件という、アメリカ商船がUボートに撃沈される事件が起きて以来、ドイツに対し反感を募らせていた世論もあり、ヨーロッパ戦線への参加をウィルソン大統領が表明するのに、時間はかからなかった。
第一次世界大戦は重要な局面の変化を迎え、翌1918年、ドイツ帝国の瓦解によって戦争は終結する。
世界は平和を取り戻すかに見えたが、時代はより深刻な闘争の時代へと転がり落ちていった。



ここに、「エニグマ暗号機」が登場する。
のちに、史上最も有名になる暗号機だが、その登場は1918年、シェルビウスというドイツ人が発明した。
無線技術の進歩は、軍部だけではなく、ビジネスの世界においても暗号を必要とする時代を作る、と信じた彼は、技術力を生かして苦心の末に「エニグマ(謎)」と名付けた暗号機を完成させた。
最初、まったく売れなかった。
ビジネス界は、エニグマの恐ろしい値段に尻込みして目をそらしたし、軍部は大戦での敗北から立ち直っておらず、また自分たちの暗号が連合軍にすっかり解読されてしまっていたことすら知らないでいたからだ。
しかし、1923年に、イギリス軍がドイツ軍の暗号を解読していたことを発表すると、発明家シェルビウスにも運がめぐってくる。ドイツ軍は、自分のカードをすべて敵に晒して賭けをしていたことを知り、暗号技術の重要性に目覚めたからだ。
ドイツ軍はシェルビウスの暗号機の改良版を制式導入する。
1926年ごろには、ドイツ軍はエニグマ暗号機によって、諸外国の暗号解読当局などがどう頑張っても解けない暗号電文を交わすようになっていた。



ドイツが復活して最も困るのは、周辺弱国。とくにポーランドだった。ポーランドは、ドイツ暗号当局の身内が裏切って流出させたエニグマの情報を手に入れると、これが解けなければ国家が滅びるという悲壮な覚悟で解読にとりかかった。
そこに現れた天才がマリアン・レイェフスキという青年で、彼は自らの統計学の知識と天才のみが持つ直感とを駆使し、開発者シェルビウスが「絶対に解読は不可能」と断言したエニグマ暗号を、ついに解読することに成功する。
だが、1939年には、エニグマ暗号機に強力な改造が施され、その解読も不可能になってしまった。
レイェフスキは、エニグマ暗号にも解き方があるのだということを証明して見せた。それは偉大な功績だったが、残念ながら人間の力には限界もあるのだということをも証明してしまう結果になった。
レイェフスキの解読方式は間違ったものでは無かったが、そのために必要な計算をする資源が無かった。もう、人間の手に負える代物ではなくなっていたのである。



ナチスが実権を握ったドイツは、1939年の9月、ポーランドに対する電撃作戦を発動する。ポーランドは一瞬にして消滅、ドイツに屈した。電撃作戦の要となったのは改良型エニグマ暗号機。この存在のおかげで、ドイツ軍は一切情報を漏らすことなく、まさに電撃的に作戦行動を行うことが可能になっていた。
ポーランドは電撃作戦開始前に、この技術をせめてドイツの敵国に渡そうとして、フランスとイギリスに送る。
当時だれも解けず、また誰も本気で解こうとはしていなかったエニグマ暗号が解かれていたことを知り、対ドイツの連合国側は驚愕する。
驚いてばかりもいられないから、イギリス政府は緊急に数学者を中心とする暗号解読チームを結成することにした。ブレッチレー・パークという場所にある邸宅を使用したことから、「ブレッチレー」と呼ばれることになるチームだ。



当初は上手くいっていた。ポーランドから運ばれたエニグマ暗号機のレプリカを研究したり、レイェフスキが開発した手法をより大規模に再現することで解読に結びつけたり、その努力に見合う成果を得られていた。
暗号解読者たちは、進化し続けるエニグマに対抗し、自分たちも進化していった。ボンブ(爆弾)と呼ばれるレイェフスキ考案の機械を大量に導入したり、その改良を続けたり、エニグマを使うドイツ人たちのクセや習慣を逆手に取った弱点を発見したりして、エニグマの進化に対応していった。



いつしかその中心にたち、エニグマ暗号を白日の下に暴き出し、さらに「コロッサス Colossus」という名の、世界初のコンピュータを作り上げたのが、アラン・チューリングという青年だった。




この項を書くに当たって、参考にした本を上げておく。以前にも紹介した本が含まれる。そんなに読書家ではないので。

暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで

暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで

外交〈上〉

外交〈上〉

クリプトノミコン〈1〉チューリング (ハヤカワ文庫SF)

クリプトノミコン〈1〉チューリング (ハヤカワ文庫SF)


「クリプトノミコン」はSF兼歴史兼冒険小説といった風味の全4巻に及ぶ長編小説だが、第二次世界大戦下の情報戦の様子や暗号解読の流れを丹念にたどっていて、その面でもなかなか面白い。主人公格に架空の人物ローレンスを据え、彼を狂言回しとして使いながら、チューリングらブレッチレーの人々を活写している。
小説そのものもとても面白いので、興味があればぜひ読んでみて欲しい。ただし、相当長いので、それなりの時間と精神の余裕がある時に。


一応、今回を含めて5回くらいになる予定。
いつもの事ながら、ウィキペディアなどの記述をタブブラウザ上に並べて書いている。もう少し大きなディスプレイを買わないと、ちょっと使いにくい気もしてくる。