オリガ・モリソヴナの反語法

しばらく更新を停止している間、なにもしていなかったわけではない。
プライベートのことを書いてもしかたがないからそれは省くが、このブログのための勉強もしていた。一応。
主に、次に書くべき人物の絞込みと、その勉強。二人にまで絞り込んだはいいが、どちらも少々相手が悪いようで、悪戦苦闘している。
一人は幕末維新期の人物で、一人は鎌倉初期の人物なのだが、どちらもあまり人気があるとは言いがたく、幕末維新期の人物については資料があまりにも多すぎ、鎌倉初期の人物については逆に資料があまりにも少なすぎ、どう書くかという問題も含めて、無い頭を悩ませている。



人気がある人物を書くのは、非常に難しい。なぜなら、私が調べたり考えたりするようなことはすでに大勢の人が書いてしまっていて、何ら新味がない。書く私自身にとってもだ。つまり、モティベーションが湧かない。
人気が無くとも、自分が好きな人間を書くのなら楽しい作業なのだが、今回は選んだ人間が悪い気がする。別に研究者でも著述家でもないのだから気楽に書けばいいのだが、好きな人物のことを気楽に書けるくらいなら、わざわざブログで衆目に晒すようなマネはしていない。
その人物のことを、書くために勉強し、書きながら考え、書き終わったときに何がしかの感慨を味わいたいがために書いているのだから、手抜きをして気楽に書くというのは自分の書くという行為を、ただの愚痴や法螺と同レベルに堕してしまうことになる。
さらにそれを、ろくに読者などいないとはいえ、不特定多数に読まれるような形で掲げる以上、自分が感じた感慨や感動のようなものを少しでも多く伝えたい、と思うのは当然だ。そうでなければ、ブログなどに掲載するものではない。



この二人については近いうちに必ず書くが、分量がどの程度になるか、まだ見当が付かない。鎌倉の人物についてはそれほど長く書く気はないが、幕末維新期の人物については、今までの歴史上の人物たちとは比較にならないほど書くかもしれないし、あるいはざっと触れておしまいにしてしまうかもしれない。
いずれにせよ、書くのは私の好きな人物たちだから、その人生をたどりながら書く作業は、様々な感情をこめたものになるだろう。
まあ、所詮素人の閑話である。本人もさほど出来は期待はしていないから、いずれその内容が更新されるようになったら、「やっと始めたか」と鼻で笑っていただければ幸い、というところ。




悪い癖で、また前置き、あるいは言い訳が長くなったが、ブログのための読書ばかりしていたかというとそうでもなく、全く関係無い何冊かの本ともめぐり合っている。
そのうちの一冊が今日のタイトル。


オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)


作者の米原万里に対する思い入れは、決して濃い方ではない。氏の著作も2冊しか読んでいないし、熱心な読者とはいいがたい。
だが、読んだ2冊とも強烈な印象を残している。私が書店でこの本を見かけ、手に取ったのも、その印象が鮮烈だったからだ。



私はあまりテレビを見ない人間で、氏が同時通訳者として、あるいはコメンテーターとして、画面の中で言葉を発している姿を見た記憶がない。どこかで見かけてはいるのかもしれないが(いや、間違いなく見ていたはず)、少なくともテレビでの氏は私の印象に残る存在では無かったのだろう。
私が氏を知ったのは、エッセイ「不実な美女か貞淑な醜女か」という文庫本を書店で見かけたのがきっかけだった。仕事中の時間つぶしに立ち寄った新宿の書店で、この意味ありげなタイトルに釣られて手にとり、中身を少々確認すると、そのままレジに向かったことを覚えている。
営業先からの帰社途中の電車内で読み、帰宅してから続きを一気に読みきり、しばらく余韻の中で呆然としてしまった。
間を置かずに、「魔女の1ダース」というエッセイ集も同様の経緯で購入し、やはり同様の経緯で読了。


不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)

魔女の1ダース―正義と常識に冷や水を浴びせる13章 (新潮文庫)



米原万里は、ロシア語通訳であり、通訳経験を通じて得たさまざまなことどもを文章にものするエッセイストであり、ノンフィクションでも小説でも高く評価される作家でもある。
経歴については毎度おなじみ Wikipedia (米原万里) に詳しいのでそちらを参照して欲しい……といいたいところだが、私なりにまとめてみたい。もちろん、わざわざリンクを貼るくらいだから、そちらの方がわかりやすいだろうなあ、という自覚くらいはある。



先に断っておくが、私は最も敬愛する作家である司馬遼太郎であっても、どうにも全面的には賛同しかねるというタイプの人間だから、氏の書くことすべてに賛同する気は毛頭ない。氏のものの見方は非常に面白いし、参考にもなるが、すべてを肯う気はさらさら無い。
政治信条の違いをもって、あるいは思想的な違いをもって相手を全否定したり全肯定したりする人間を愚者としか思えない人間だということは、折りに触れてしつこく書いておく。
ことにブログが普及してから、偏狭なものの見方をして自らの正義を振りかざす輩の氾濫に辟易しているからだ。



氏は1960年に、日本共産党代表としてチェコ・スロバキアの首都プラハに赴任した父に伴われ、一家で共産圏の中欧に移り住んでいる。9歳の時の話で、滞在は14歳まで続いた。
当時の世界を見てみると、ヨーロッパ旧列強のアフリカ植民地で独立への動きが高まり、後に「アフリカの年」と呼ばれることになるのが1960年という年だった。世界史の年表を開いてみると、カメルーントーゴ、マリ、ソマリアマダガスカルコンゴ、ベニン、ニジェールブルキナファソ、コートジヴォワール、チャド、中央アフリカセネガルガボン、ナイジェリアなどが次々に独立を果たしている。
これらアフリカ諸国の独立は、凄惨な内戦の開始という暗黒面をも含んでいるが、その内戦を陰で煽り立て、あるいは自らの代理戦争の場としたのが、資本主義対共産主義、あるいは西と東の対立という、冷戦の構造だった。
1953年のソ連の絶対的独裁者スターリンの死により、冷戦は一時的に雪解けムードを迎えつつあったが、その揺り戻しのように危機の時代が到来したのが1960年をはさむ数年間のことだった。
ベルリンの壁」が築かれたり、第三次世界大戦の勃発かと世界を震撼させた「キューバ危機」が起きたのも、この数年の出来事だった。
日本では新安保条約をめぐって国内に混乱が続いた時期であり、学生運動が最も盛り上がった時期でもある。



その時期に日本を離れた氏は、プラハにあるソ連直営の学校、ソヴィエト学校に編入する。
ソヴィエト学校というのは、ソ連外務省が設置した教育的植民地のようなもので、ソ連以外の国々の共産党幹部の子弟を教育する専門施設だった。共産圏版インターナショナルスクールとでもいうべき存在だが、教師陣はほぼすべてソ連本国から派遣され、その内容も20人程度の少人数学級で緻密に行われる。授業はすべて現地のチェコ語ではなくロシア語で行われる。
氏は否応なしにロシア語を学ばざるを得なくなるのだが、最初の半年はどうにもつらかったらしい。言葉がわからず、その場にいること自体が苦痛で、疎外感の中で苦しんだという。
だが、じきに慣れてくると、氏は最も多感な時期を過ごすことになったソヴィエト学校の中で、様々なものに触れ、友人を作り、世界情勢に振り回される多くの国々の生の人間を見、語り合い、独特の感覚を身に付けていく。
また、氏のネイティヴはどうしようもなく日本語なのだが、これがかえって後の通訳生活には益している、とどこかで書いている。
余談になるが、マザータングが定着しないうちに外国語を覚えさせようとして、肝心な言語感覚というものがまるで育たないまま成長するような子供を培養しようとする、自称国際派の親たちにぜひ聞かせたい言葉である。



プラハでの生活が終わり、帰国したのが1964年。
冷戦は膠着状態に陥り、翌年にはアメリカにとっての最大級のトラウマになるベトナム戦争が勃発。軍事費の膨張で米ソが疲弊して行く中、大戦の敗戦国であるドイツと日本は経済的な躍進を遂げつつあった。
ソ連と袂を分けた中国では文化大革命が始まり、アメリカ国内では公民権法が成立する中でベトナムへの介入の動きを強め、ソ連ではフルシチョフの失脚とブレジネフの登極、共産圏諸国への締め付けの強化など、時代の緊張はまだ上限が見えない状況下にあった。
日本はどうか。
帰国した氏にとり、日本は全く異質の国に映っただろう。
1964年といえば、東京オリンピックが開催された年なのだ。
戦後復興の象徴的なイベントとして、また首都圏開発の一大目標として機能したこのオリンピックの開催は、能天気なほどの狂騒と苛烈なまでの経済成長を背景に、日本国中を飲み込んで盛り上げられた。
東海道新幹線が開業し、羽田空港が開業したのもこの年。名神高速が全線開通したり、首都高の整備がほぼ完了するのもこの年のことで、日本は高度経済成長の真っ只中にあった。神武景気岩戸景気と続いた経済成長は、オリンピック景気からいざなぎ景気へと続き、様々な矛盾を産み、社会をきしませながらも、やがて日本を世界第二位の経済大国へと押し上げて行く。
そんな中、氏が帰国して一番ショックを受けたのは教育制度だったそうで、とにかく画一化され個性を潰すことに特化した教育と、論述問題など一切無い詰め込み教育に、薄気味悪さを感じるとともに、どうにもなじめずに苦悶したという。
たしかに、共通点を探すことが喜びだった世界から、相違点を見つけて周章狼狽する世界に放り出されて、戸惑いを感じない方がおかしい。他人と違うのは当たり前という価値観を受け入れると、日本の他者と違うことに強い不安を感じる価値観には違和感しか持てないだろう。
明治維新以来の「太政官体質」は、太平洋戦争の敗戦によっても消えず、あるいはバブル後の現在に至るまで社会を硬直させていると感じられるが、その最たる象徴が学歴社会というものだろう。単純に学歴が勝敗を決めることを指す言葉ではなく、論述問題を解く、あるいは子供の自主性を尊重するという概念をすっ飛ばした、官の(お上の)お導きに最もよく従う者が勝ち抜けるという奇妙な教育体制のことだ。
日本では、考える子供ではなく、成績がいい子供が尊ばれる。自分の考えを持つのは大人になってからでよく、子供の内は勉強さえできていればいい。そういう教育で育った人間が、大人になってから考える力を、あるいは自分の言葉を使えるようになるだけの地力を得られるのかどうか、はなはだしく疑問であることは、ずいぶん前から多くの人々が感じ続けている疑問だが、未だにそういった面を根本から考え直した教育体制というものは日本には根付いていない。
中学生の米原万里は、自分で考えて結論を出すのが当然という文化の中で初等教育を受け、さらに語学という巨大な壁を自力で乗り越えてきた人間だから、日本の教育が肌に合わなかったことはむしろ氏にとっての勲章だろう。



その後東京外大から東大大学院へ進み、ロシア語とロシア文学を学んでいる。
大学院を終了すると、主に通訳の仕事に就く。
氏がよくいうのは、「通訳と翻訳は違う」ということ。
通訳に求められるのは、とっさに適当な表現を探り出す瞬発力と機転。翻訳に求められるのは、正確な訳を偏執的なまでに積み上げていく粘着力。
自分には翻訳家の粘着性は無い、と考えた氏は、通訳稼業を天職として活躍を始める。
通訳という仕事は、その内容によっては、それまで存在自体知らなかったような業界の専門用語に精通する必要性に迫られたり、一言でも誤訳すれば戦争にもなりかねないような場面に遭遇したりする、きわめて知的な職業である。馬鹿に務まる事ではないし、我が強いだけの夜郎自大な人間に務まることでもない。
そのあたりの機微については、もちろん氏のエッセイを読むのが一番。私がわざわざ解説するまでもない。
通訳としての体験、経験、聞きつけた話や知り得たエピソードなどを、氏は言語感覚に鋭い通訳ならではの筆致で面白おかしく書き付ける。
ただ面白いだけではなく、相対的な視点を持たざるを得ない履歴を持つ、あるいは職業を持つ人間としての警抜なものの見方は、一種独特である。人によっては目からうろこが数百枚は落ちるはずだ。
そもそも、少女の時代を共産圏の国家で過ごし、ロシア語に長けた人間というものが、日本にどれだけいるだろうか。それだけでも、氏の書くものの貴重さは計り知れないはずだ。
報道からは決して見えてこない姿というものは、確かに存在する。それは、俯瞰的な視点からだけでは決して肌で知る感覚的なものはつかめない、という真理に通ずる。
だから、書店には多くのルポルタージュが並び、エッセイが並んでいるのだが、ことロシアというものに関し、あるいは通訳という稼業に関し、米原万里ほど巧みな書き手はそう多くないだろう。もちろん、氏の本を読めばすべてがわかる、などというものではないが。



「オリガ・モリソヴナの反語法」は、氏の初めての小説。
主人公は日本人通訳の女性で、明らかに氏本人をモデルとしている。
舞台は、ソ連邦崩壊から1年ほどが経ったモスクワ、主人公がプラハのソヴィエト学校に学んでいた1960年代初頭の学校生活、スターリンの粛清の嵐が吹き荒れた時代とに分けられ、主人公が旧友や証言者たちとともにオリガ・モリソヴナという女性についての謎を解き明かしつつ、共産主義の淵源とされたロシアの現実を浮き彫りにしていく。
執拗なまでの筆致、というものではないから、人名にさえ辟易しなければ、のめりこんで一気に読んでいける内容。
一方でそれが小説としての可能性を矯(た)めてしまっている憾(うら)みもないわけではないが。個人的にはもう少し丹念な描き方をしてもらいたかった気もする。軍閥の時代、対日戦から文化大革命の時代までの中国を描いた「ワイルド・スワン」のように、とまでは言わないが*1
それはともかく、なかなか日本人が触れる機会が少ない「スターリンの粛清」や共産圏内部の人々の生き様などが描かれた小説で、それだけでも読む価値はある。
難しいことを考えながら読まなくとも、強烈な個性を発揮するオリガ・モリソヴナと、彼女にまつわる人々の姿を追いつつページをめくっていると、満足の内に時間が過ぎてしまっていることは保証する。
つまり、面白い。



たとえばホロコーストについては、割と日本人も知識がある。これは、大戦後の西側社会に生き残りがたくさんいて、ナチスの大罪を声高に叫び続けた結果といえる。
同じことが、日本でいえば原爆や空襲の被害や大陸・南方での加虐行為などについてもいえる。真偽云々は措いても、語られている量が半端ではないから、知識は耳目を無理に閉じでもしない限りは集積されていく。
だが、スターリンの粛清についてはどうだろう。
アウシュビッツ」や「ホロコースト」は知っていても、「ラーゲリ」という言葉を知らない日本人は多いだろう。私もその一人だ。
ラーゲリとは、ロシアでいう強制収容所のこと。ソ連では、共産主義を守るためと称し、少なく見積もっても2千万人が「粛清」されるという、想像を絶した行為が行われた。その象徴がこのラーゲリで、規模からいえばアウシュビッツ並みに知られていても良さそうなものだが、それが意外なほど知られていないのは、語る者がいないからだ。あるいは、語る者がいても、それを紹介する者がいないからだろう。
日本人は特にそうなのだろうが、隣国であるにもかかわらず、ロシアの大地についての理解が非常に乏しい。それは、言葉の壁という巨大な問題がそびえているからで、その壁の厚さは英語やフランス語の比ではないようだ。
西欧諸国に比べ後進地域であるという考え方があることも関係しているだろう。日本人は、文明的にであれ文化的にであれ、経済的に美味しい部分を感じなければ、後進国に対し恐ろしいほど無関心になれる。それは当たり前の現実なのかもしれないが、ロシアは間違いなく大国であり、しかも隣国である。自分ももちろん含めた話だが、こうまで無関心でいられることに、多少疑問を感じてもいいのではないか。
「オリガ」は、そのような無関心さに冷水を浴びせるに充分な小説だ。
共産主義国家崩壊後のロシアや東欧に生きる人々が、どのような過去を引きずって今を過ごしているのか。
知識として持たなくとも、一度でいい、小説という形で触れておいて、決して損はない。



同じようなことを以前、私に感じさせた漫画がある。
氏の著作の中でも紹介されていたらしいのだが、ちょっと私には記憶が無い。最後にそれも掲げておく。
中途半端な反戦小説や隣国の排斥論を読むより、よほど心を揺さぶる。しかも、日本人にとっては決して他人事ではないのだという程度のごく基本的な想像力があれば、戦慄すら覚えるはずだ。
ついでに文中触れた本も掲げておく。大躍進政策から文化大革命、その終末にいたる叙述は、高校生の私を震え上がらせた。紅衛兵の記述などは、年代的に重なる部分もあっただけに、感情を持て余してしまった記憶がある。

石の花(1)侵攻編 (講談社漫画文庫)

石の花(1)侵攻編 (講談社漫画文庫)

ワイルド・スワン〈上〉 (講談社文庫)

ワイルド・スワン〈上〉 (講談社文庫)

*1:まあ、こちらはノンフィクションだから、比べる方が間違っているのかもしれないが。