塩野七生


なんだかんだいって、私の西洋史への目は、結局は塩野七生によって養われたようなものだ。
以前から何度も彼女については触れているから、改めて書くのも今さらという気がしないでもないのだが、まあこの際だから書いてしまおう。


ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず

ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず


塩野七生といえば、代表作はこの「ローマ人の物語」シリーズになるだろう。現在も発刊中であり、価格の高さにもかかわらず、出れば必ずベストセラーランキングに顔を出す。
当たり前の話だが、塩野七生は神ではなく、また資料解析のまとめとしてのみ物を書くような学者でもない。記述には彼女の主観が入っているし、そのことは批難するに値しない。小説、ともいいがたい著作だが、塩野七生地中海世界への愛と、そこに生きた男たちへの憧れとが、強い物語性を著作に与えている。



そういう本が出ると、その本の書き手が捉えた歴史を、歴史そのままとして受け取る人間がたくさん出てきてしまうのが常で、日本史で同じような弊害を生んだ司馬遼太郎とともに、ある意味罪作りな作家であるともいえる。
もちろん、同時代を生きた人々が書き残した一次資料から最新の研究論文まで、資料の山を読みこんだ上で描かれるローマの通史は、専門書として充分に通用する質の高さを誇る。
問題は、同じ資料から読みこまれた歴史であっても、書き手が違えば描かれ方も違うということだ。カエサルの描き方一つにしても、他の書き手と塩野とを比較すると、これが同一人物かと疑いたくなるほどに人物像が違ってくる。
塩野は、唯物史観の洗礼を受けていないということも、大きな原因のひとつかもしれない。彼女は左派史観というものにまるで興味がないようで、未だに歴史著作の世界に多い左派史観の輩とは、歴史に対する姿勢というものが異なっている。といって、社会システムなどを軽視することもなく、バランスの良い著作になっている。
この本を読んだあと、せめてローマ史について書かれた本の二つ三つは読んだ上で「ローマの歴史はねえ」と語って欲しいものだが、そうではない人が結構多い。
なにもギボンの「ローマ帝国衰亡史」全巻*1を読めとか、そういう無茶は言わない。たとえば、モンタネッリというジャーナリストが書いた入門編ローマ通史の傑作「ローマの歴史」など、一冊で読める本だってある。
せめてそれらを読んで、塩野ローマ史との違いを把握した上で、自分なりのローマ史像を思い描いてから物をいって欲しい、などと生意気なことを考えてみたりもする。
「日本史が好きですぅ」などと口にするから話してみれば、新撰組にしか興味がない、しかも持てる知識はすべてまんがからという筋金入りの腐女子だったというつまらない経験をすると、特にそういう気分にさせられる。
好きならもう少し勉強しようよ。歴史に限った話じゃなく。


ローマの歴史 (中公文庫)

ローマの歴史 (中公文庫)

参考までに。


さて、塩野七生の著作で、一番のお勧めは、というと、「ローマ人の物語」ではなかったりする。
なにしろこのシリーズ、量が半端ではない。しかもまだ完結していないと来ているから、実はあまりお勧めしたくないのだ。
チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」「海の都の物語」「男たちへ」など、話題になったり賞を受けたりした本はたくさんあるが、どれかひとつ上げてみろといわれたら、私はこれを推す。


わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)


どこかで彼女自身が書いていたことだが、塩野はマキアヴェッリという思想家に多大な影響を受けている。
その男を描くことで、中世からルネサンス、近世へと時代を重ねて行くフィレンツェやイタリアをも描いている。仕事に生き、それを奪われた失意の中で、現代人にも読み継がれるような偉大な政治論を完成させた一官吏の姿を、塩野は愛情すら感じられる筆で見事に描き出している。
以前、このブログでもマキアヴェッリについて書いた。あの時は、マキアヴェッリ自身の著作を読んでのことだった。
私が彼の著作に興味を持ったのも、正直に告白してしまえば、塩野があるエッセイで彼のことに触れていたからだ。それからこの「わが友」を読み、その上で「君主論」を扱った本を読んだ。確か、講談社学術文庫の、日本人歴史学者が書いた解説本だったと思う。
その本は、とにかく注が多い上に解説がくどく、さして面白いとは思えなかったという記憶がある。著者が文章のプロではないからしかたがないのかもしれないが。
塩野は決して美文の使い手ではなく、もっといえば時に読みにくさを感じさせるような部分も無いではないという作家なのだが、学者よりは文章もこなれているし、なにより、歴史の解説をしている部分ですら映像を感じさせるほどの展開力がある。
かなりの映画好きでも知られている塩野だからこそなのかもしれない。
その筆で描かれるマキアヴェッリの像は、しかつめらしい哲学者的な官僚などという従来のイメージを見事にぶち壊し、まるで近所に住んでいる親しみやすいがどこか背中の大きいおじさんのような、少年よりも社会に出て挫折を味わったばかりの青年が惹かれてしまうような、そんな男として読者に姿を見せている。


塩野七生は、そもそもルネサンス期のイタリアが専門。
ローマ史は、地中海の歴史を扱った小説を書くためには、どうしても知らずには済ませられない基礎の基礎という部分で、ルネサンス著作群を描きながらも、いつかはローマを書かなければいけない、と常々思っていたという。
現代ヨーロッパ諸国においても、ローマ史というのは歴史の基礎。彼らの文明はここに端を発すると、彼ら自身が思っている。
それほどのものに日本人の小説家が挑もうというのだから、大した度胸だと言わざるを得ないが、小説家としての彼女の本分はやはりルネサンス期周辺の時代の歴史を描いた著作にこそある、と私は思っている。
地中海三部作、といわれる、「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」などは、一作がそれほど長い小説ではないから、塩野入門編として手ごろともいえる。
だが、私は「わが友」を推したい。
書いた当時は実際にフィレンツェに住んでいたという塩野が、イタリアの花とも呼ばれる美しいその都市への愛情もこめて描き出すルネサンスの物語。ただ華麗なだけではなく、人間の業と、それを笑い飛ばす人の強さというものまで感じさせる、見事な小説だと思うからだ。

*1:かなり厚い文庫本で全10巻ある。これを全部読めた人は、自慢していいと思う。私は7巻くらいで力尽きた。