ティベリウスその1

アウグストゥス



ティベリウスは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが熱愛の末手に入れた人妻リヴィアの、連れ子だった。



実の父はクラウディウス・ネロの名を持つスーパー名門貴族。妻と子供(ティベリウスと弟ドゥルースス)を時の権力者であるアウグストゥスに譲った、その理由はもちろん明らかではないが、カエサル暗殺以降、激動の時代の中に翻弄されてきた名門貴族は、息子たちの成長を見ることなく、程なく病没している。
ローマ史にこれでもかとばかりに登場する超名門の血を受け継ぎ、史上初の世界帝国の支配者となったアウグストゥスを義父としたティベリウスは、弟とともに母リヴィアの手により最高の教育を受けて育つ。
ドゥルーススは快活で愛想もいい自信家だったが、彼のほうは内気でやや神経質だったらしい。後年の彼もその気配が濃厚だ。義父にして皇帝のアウグストゥスティベリウスと似たような性格だったためか、自分とは異なる快活なドゥルーススをかわいがった。兄としては弟に嫉妬してもよさそうなものだが、彼はそんな弟を愛し、成長して後、軍司令官としてともに戦場に立つようになっても見事な連携を見せていたという。
その弟は、若くして戦場に斃れている。ゲルマン人との戦いの中で重傷を負い、別の部隊を率いていたティベリウスが駆けつけたときには虫の息だったという。兄弟仲の良さで知られていた彼らだが、ティベリウスはその棺がローマまで運ばれて行く途中で戦線に戻った。ゲルマン戦線はまだ途上であり、ローマまで送り届けている余裕は無かったからだ。



彼の人間を伝えるエピソードとして有名なのは、最初の妻ヴィプサニアと、後妻ユリアとの関係だろうか。
ヴィプサニアとは、当時の貴族のことだからもちろん恋愛結婚ではなく、家柄重視の結婚だったが、二人の仲は傍から見ても睦まじいものだった。子供も産まれ、幸せな日々が続くものと思われた矢先に、夫婦に別離が訪れる。
義父アウグストゥスの命令で、ティベリウスは、義理の妹に当たるユリアをめとることになったのだ。
ティベリウスはこの命令を黙って受ける。ヴィプサニアと別れ、ユリアを迎える。だが気持ちの切り替えはそううまく行くものではなく、後日、ローマ市内で偶然彼女の姿を見つけた彼は、目に涙を浮かべたままじっとその後姿を追い続けていたという。
そうまで愛していた妻と別れてまで、後妻としなければならなかったユリアというのは、父皇帝の右腕アグリッパの妻として、皇帝の孫息子を二人生んでいた女である。アウグストゥスの思いは、彼ら夫婦が男児を産むことだっただろう。偉大なるローマの初代皇帝は、とにかく自分の血が残ることに執着した。
しかし、この夫婦、最初の頃はともかく、どうにも合わなかったようだ。合わないなら合わないなりにどうにかごまかせばいいものを、世間にはごまんといるそんな夫婦の形が、ティベリウスにはがまんできなかったらしい。二人の間に生まれた男児がすぐに死ぬと、夫婦は寝室を分けた。 また彼は、母リヴィアとの関係もうまくいっていなかったようだ。



塩野七生ローマ人の物語の中で、息子ティベリウスと夫アウグストゥスの間で苦労するリヴィアを同情的に描いているが、イタリア人作家モンタネッリは、「ローマの歴史」という著書の中で「アウグストゥスにとっては模範的良妻だったとしてもティベリウスには恐るべき母であって、息子の幸福よりも息子の栄光を望んでいたのである。」と記している。私はこちらのほうを採りたい*1

ローマの歴史 (中公文庫)

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さらに、彼は、義父アウグストゥスの政治姿勢については全面的に賛同していたものの、自らの血に固執する姿勢や、ゲルマン戦線での意見の対立などが彼を苦しめた。
最愛の弟であり、また精神的な支えでもあったドゥルーススの死が彼に与えたダメージは、多分この時になっていよいよ重くなっていたに違いない。生真面目で内省的な彼は、簡単に人に心を開くことが無かった。何でも話せる相手はそうはおらず、その相手であっただろう弟の存在は彼にとって救いですらあったはずだ。
その弟を戦争で失い、家庭のストレスに晒された彼は、ついに全てを投げ出してしまう。
気候の穏やかさで「薔薇の咲く島」の異名で知られ、ギリシア哲学の一大主要地だったロードス島に、一介の農夫として生きるべく隠棲してしまったのである。36歳のときだった。



ティベリウスロードス島隠棲について、諸説ある。
まず、アウグストゥスらに対するあてつけというもの。あるいは、家庭の不和に堪えかねて逃げ出したというもの。皇帝の跡継ぎと目されていたユリアの息子二人への嫉妬というもの。ティベリウスに同情的過ぎる人々は、東地中海地方の統治体制構築のため、隠棲とカモフラージュしながら実は裏で周到に総督たちを操っていたという説を主張していたりする。
私にはどれもあまりしっくり来ない。理由はひとつ二つではないだろうし、皮相な事実は原因のかけらでしかないはずだからだ。
ティベリウスは、寡黙で内向的で、責任感が強く誇り高い男だとされている。そんな男が全てを打ち捨ててロードス島に隠棲したということ自体が、そうとう精神的に「きていた」ことを示しているのではないか。
精神病理について詳しくもなんともないからその分析は避けるが、家庭も仕事も捨てて風光明媚な土地に住処を求めたティベリウスの孤独は、相当根が深いものだったろうと思う。軍団司令官としても、男同士としても信頼し気を置くことも無く話せた弟の死が、彼にとってはかなりの打撃だったのではないか。ローマ有数の名家の男子として生きていく中で、彼にとっての弟は、兄弟であるという以上に、特に成人して以降は、親友だったのだろう。



一方でアウグストゥスは激怒した。それはそうだろう。
アウグストゥスも、強烈なまでの責任感の持ち主だった。だからそこそ、天性の政治センスを活かしきり、パクス・ロマーナの構築に成功できた。
その彼にとり、義理の息子が全てを投げ出して隠棲したという行動は、責任を投げ出した裏切り行為だった。国運を賭けた対ゲルマン戦線に司令官として送り出すほどその才能を買っていたティベリウスに裏切られた、という皇帝の想いは、容易になだめることもできないほどだっただろう。
確かにその意味においては、母リヴィアも苦労したはずだ。息子の栄光を望む彼女にとって、夫をなだめすかして息子の安全を確保することは、神聖なまでの義務だったはずだ。



ティベリウスは生真面目すぎたのだろうと思う。
彼は、真摯に人と向き合いすぎた。
真摯に向き合えば何事も解決する、などという理想論が大嘘であることは、いつの時代でも変わらない。人間関係は、それが近くなればなるほど、ただ真摯に向き合うだけではどうにもならなくなるものだ。妥協やある種の悟りが無ければ、まずやっていけるものではない。そしてティベリウスにはそれができなかった。
謹厳実直、有能廉潔を絵に描いたような、そんなティベリウスを、部下の兵士たちは深く信頼し慕っていたという。兵士は、自分の命を預ける相手のことを実によく観察しているものだ。彼が人間的にどうであれ、自分たち兵士を無駄死にさせず、かつ兵士たちの家族である本国の市民たちをより平和に生かしてくれる司令官であることを、兵士たちは直感的に悟り、信頼していた。
しかし、その信頼感は、家族には何の関係もない話だ。
たとえは卑近だが、会社で部下や同僚からどんなに尊敬されていても、家庭ではまるでしっくりこずに白眼視されている婿養子の姿……そりゃ何もかも捨てたくなるわなあ、と同情したくなる光景だ。



その後、妻のユリアは不貞の罪で追放の憂き目にあう。ローマの道徳的退廃に目くじらを立てていたアウグストゥスが、実の娘が不貞を働いたことに怒り狂ってそうしたのだが、事実上の離婚関係にあったティベリウスは特に反応もしなかったようだ。冷たいというより、彼にとってはどうでもよかったのかもしれない。
それよりも、ユリアが前夫アグリッパとの間にもうけた二人の男児が相次いで死んだことのほうが、彼には大きな事件だった。なにしろ、おかげでアウグストゥスには後継者がいなくなってしまったのだ。
これは帝国の一大事だった。



今でこそ、世襲制は悪のようにいわれるが、時代背景というものを無視して評価を下すのは禁物だ。カエサルが独裁者となったのも、アウグストゥスがそれをデリケートに制度化したのも、それが当時のローマに必要だったからだ。
そして帝政は後継者を必要とし、後継者には正当性が必要とされた。
古代に限らず、後継者の正当性はなによりも血である。なぜなら、血によりブレーン集団やスタッフまで相続されることが、統治の継続性につながるからだ。いちいち世代交代のたびに統治体制まで変わっていたら、世の中は混乱するばかりである。
制度としての共和制が崩壊したからこそ望まれ、生まれた帝政という制度に、ローマ市民は一定の満足を感じていた。である以上、その後継者たるべき者は、アウグストゥスの施策を引き継ぐ正当性というものを持っていなければならない。それが血だった。



その血が絶たれた。
アウグストゥスにとり、頼みの綱はもはやティベリウスだった。
アウグストゥスの息子はもはや、血はつながっていないとはいえ、ティベリウスただ一人だった。ティベリウスの才能については疑念を抱かない皇帝は、彼をローマに呼び戻す。
7年間のロードス隠棲を経て、ティベリウスはローマ復帰を決める。
彼はなぜ帰る気のなったのか。
それについてはもちろん想像するしかないのだが、理由のひとつは、彼の生来の責任感ではなかったかと思う。
確かに一度は全てを捨てた彼だが、それは、彼がいなくてもローマは立ち行くだろうという見通しがあったからだろう。アウグストゥスには後継者が二人いて、まだ若いとはいえ、高度な教育と上に立つものとしての訓練を受けている。アウグストゥスが作り上げた行政組織は見事に帝国の政治をさばいている。ゲルマン戦線は当座の安定を示していたし、皇帝がしくじらなければそう簡単に穴が開くこともない状況だった。
ところが、皇帝の後継者は二人とも死んだ。後継者がいなければ、アウグストゥスが死病に冒されでもしたら、帝国の運営はたちまち滞る。下手をすれば帝国の瓦解だ。ローマ全軍の最高司令官でもある皇帝の存在が無くなれば、ゲルマン戦線のローマ軍団は統合性を失う。それは戦線の崩壊を示し、さらに蛮族の侵入を誘発するだろう。
状況は、明らかにティベリウスの存在を必要としていた。 ティベリウスには当然このことが見えていたはずだ。そして、ローマの市民にも、そのことはわかりきっていた。
彼はローマに帰還し、アウグストゥスと和解し、そして次期皇帝として必要な全ての地位と権限を得る。ローマ市民はそれを当然のこととして受け止めた。
軍団司令官としての彼の戦略能力はすでに証明されていたし、ゲルマン戦線は急を告げつつあった。ティベリウスは、ローマの救世主とならなければならなかった。

*1:塩野自身が一人の母親であるためか、やや母親というものに対し、良い母と悪い母の両極端に評価が分かれがちな気がする。