ティベリウスその2

ローマの将校のレリーフ




ロードス島隠棲以前の彼は、帝国北方の防衛体制確立のため、ドナウ川以南の領域、現在のブルガリアやセルヴィア・モンテネグロのあたりを平定するべく軍団を率いていた。
ロードスから帰還した彼を待っていた戦場は対ゲルマン戦線だった。



カエサルガリア(現在のフランス)征服以来、ローマの北の国境はライン河となっていたが、アウグストゥスはそれをさらに北のエルベ河に押し上げる戦略を発案し、実行に移していた。その戦略を現地司令官として担当していたのはティベリウスの弟、生前のドゥルーススだったが、彼は陣没した。
それ以降の10年間、北方戦線はほぼほったらかしの状態だった。
ドゥルーススライン河の奥深くエルベ河に到達するところまで行き、ゲルマン人の諸部族を蹴散らす勢いだったのだが、ティベリウスの復帰当時、ローマ軍はライン河の防衛線まで後退していた。
ティベリウスの任務は、再度のライン河の奥への侵攻と、エルベ河防衛線の確立である。老帝アウグストゥスの、悲願ともいっていい大戦略の実現だった。



ライン河防衛線に姿を見せたティベリウスを待っていたのは、兵士たちの歓呼だった。ベテラン兵士たちは、ティベリウスドゥルーススの兄弟の配下で各地を戦った経験のある者が多い。彼らは、ティベリウスの才幹と実績を熟知していた。
ゲルマニアの戦線で、ティベリウスは復帰早々華々しい戦果を上げる。当時無敵とされたローマ軍団の強さは健在で、また、ティベリウスとその幕僚たちの戦略戦術もゲルマン人を圧倒していた。
その幕僚の中には、ドゥルーススの息子ゲルマニクスがいた。まだこの時点では一戦線を担当してはいないが、後に彼の存在が不必要に彼を苦しめることになる。
ゲルマニアの制圧が進む中、彼が以前制圧したドナウ南岸地域で大規模な反乱が起きる。ティベリウスゲルマニアでの軍事行動を切り上げ、その討伐に向かう。そこでも彼は着実に任務をこなしていき、征服後ローマ化が進むドナウ川南岸地域の部族を丹念に叩いていった。



ちなみに、前項で取り上げた、離婚同然の妻リヴィアの追放劇は、このさなかに起きる。彼は戦場にいたおかげでとばっちりを受けずに済んだともいえるし、仮に首都にいたとしても知ったことではなかったかもしれない。



ドナウ南岸の制圧を終えた彼に待っていたのは、再びゲルマニアでの戦争だった。今回は、彼がドナウ以南に向かった後に起きた大敗北のため、再びライン河からやり直しという最悪の展開を迎えていた。
この大敗北は、ティベリウスのあとにゲルマニア戦役の総帥となった司令官の不明と、ゲルマン部族の長アルミニウスのだまし討ちとで起きた悲劇だった。アウグストゥスはこの惨事に悲嘆し、動揺した。
衆目の一致するところ、この偉大な皇帝には、たった一つ軍事の才能が欠けていた。
それは、皇帝として致命的ではない。適切な助言ができる者がいればいい話だからだ。だがこの時のアウグストゥスには、右腕アグリッパが病没し、ティベリウスも自分の立場を考えたら何も言えるものではないから、軍事に関して助言できるものがいなかった。
アウグストゥスは明確な方針も打ち出せないままにゲルマニアの戦いをだらだらと続ける愚を冒す。
ティベリウスは、ローマ軍を破っておきながら内紛に明け暮れるゲルマニアの諸部族をライン河の向こうに眺めながら、ときに領内に侵攻してくる部族を追い出したり、ローマ軍の健在を示す程度の攻撃をかけるという生活になる。その間に、甥のゲルマニクスを一人前に育て上げていく。
ゲルマニクスは、父ドゥルーススに似て快活で、兵士たちからも大いに人気を集めるようになっていった。



まもなく、ティベリウスはローマに呼び戻される。後任はゲルマニクスである。ティベリウスはロードスから帰国した折に既に後継者として必要な権限を与えられていたが、ここでローマ全軍の指揮権も与えられ、共治皇帝としての立場を固める。
そして次の年、皇帝アウグストゥスは76歳で人生を終える。
それはティベリウスが次の皇帝として立つことを意味していた。
皇帝に就任したティベリウスは、その治世の前半を、ローマの防衛体制確立に費やす。
まず、戦場の現実を知る彼は、アウグストゥスが冒した唯一の失敗とされるゲルマニア戦役を終わらせる。そのゲルマニアの司令官だった甥ゲルマニクスを東方属州に派遣し、対パルティア(現在のイラン周辺を中心に西アジアを支配していた帝国)の任務に就けることで東方の安定を図った。同時にドナウ南岸の覇権も確立し、帝国の安全維持はここに確立されていく。



だがここで彼と彼の家族を不幸にする出来事が起こる。
東方の司令官として派遣したゲルマニクスが死んだのだ。
死因は、ほぼ間違いなくマラリアだろうといわれる。その昔、アレクサンドロス大王も、同じように東方での戦いの中でその病に倒れた。
しかし、そうとは考えない人々がいた。ティベリウスがお目付け役として派遣したピソという人物が、ティベリウスの指示によりゲルマニクスを暗殺した、というのだ。ピソには、ゲルマニクスとその妻などに対する私怨もあったという。
ゲルマニクスは生前に人気があった。そして、若くして死んだことにより、彼は伝説となった。
暗殺の指示を出した、と決め付けられたティベリウスは、一気に悪役扱いである。
もっとも、当時はそう考えられていたかどうか。ゲルマニクス暗殺に始まるとされるティベリウスの悪徳、それを徹底的に胸が悪くなるほど描いていたのは、皇帝を激しく貶めることに心血を注いだタキトゥスやスウェトニウスである。あまり鵜呑みにすると真実を見誤るだろう。



同時代で彼を攻撃したのは、ゲルマニクスの未亡人アグリッピーナ
彼女はアウグストゥスの直系の孫であり、その血でしか自らの存在を支えられない女性だったと思われる。
ティベリウスは前述の通り、アウグストゥスの血を引いていない。
血を引いていない、という時点で、アグリッピーナにとってティベリウスは正当な理由なくして帝位に就いた、簒奪者にしか映らなかった。
ティベリウスアグリッピーナの対立は、やがてティベリウスを孤独に追いやっていく。
なにしろ系図が複雑だから一度整理しなければ説明もできないのだが、アグリッピーナは、ティベリウスの甥ゲルマニクスの妻であり、ティベリウスが最愛の妻を捨ててまで再婚させられたユリアの連れ子である。一応、ティベリウスにとっては義理の娘に当たるわけだが、どちらもその意識を持っていたかどうか。
彼女の母ユリアはアウグストゥスの娘だから、彼女はアウグストゥスの実の孫に当たる。



ゲルマニクスは死の時点で既にティベリウスにより、さらに間接的にはアウグストゥスの遺言により次期皇帝として認められていたから、長生きしていれば、妻であるアグリッピーナはいずれ皇后としてローマ世界のファーストレディになっていたはずだ。
それでなくとも、アウグストゥスの血を引くものとして誇り高く生きてきただろうアグリッピーナは、アウグストゥスの血がローマを支配することに何の疑問も持ってはいなかった。
彼女に、ローマ世界の平和や安定などというものに対する意識があっただろうか。
彼女についての記述をいくつか読んだが、そんな意識はかけらも無いように見える。血筋にこだわり、それだけを正当性と認め、市民も異議無く認めた初代皇帝の後継者をののしり続ける女。
そういう人間を、内向的で真面目一徹、個人の感情より国益を優先すべきと考える仕事人間ティベリウスが、まともに相手をできるはずもない。したくないからしなかったというより、できなかったと考えたほうが近い気がする。
ゲルマニクスの方の母、アントニアは、嫁がなにを言おうが、ティベリウスゲルマニクスを殺させたとは考えなかったようだ。亡き夫ドゥルーススとその兄ティベリウスの仲の良さをつぶさに見ていたこともあっただろうし、彼女はアグリッピーナのように血筋だけが正義と考えるタイプではなかったからでもあるだろう。
そして後世も、母アントニアの態度を信用し、アグリッピーナの血への執着をこき下ろしている。



いずれにしろ、アグリッピーナティベリウスを非難し続けた。
だけでなく、身の回りに貴族社会の女たちを取り巻きとしてはべらせ、その口を使ってティベリウス批判をローマ中に広めようとした。
女には人気が無かったティベリウスだから、陰口を叩かれるのはある意味得意技である。現代の企業を考えてみればいい。どんなに男性社員から支持を受けていても、女性社員に嫌われると本当に居場所がなくなってつらいものだ。
ティベリウスは耐える。これも皇帝の仕事のうち、と考えていたのか、若き日のヴィプサーニアやドゥルーススとの別れ以来昂じていた孤独癖の殻の中に閉じこもり始めていたのか。
彼は政務にはげみ、着々と帝政ローマの基盤を固めていった。