ティベリウスその3

カプリ島の風景




本題に入る前に。
ティベリウスは、弟ドゥルーススを嫌っていたという説がある。私はその説に与しない。



その1の中でも書いたことだが、私には、ドゥルーススの存在あってこそティベリウスが奮闘できた時期が、確かに存在したと思える。
兄弟の仲がそううまく行くはずはないという考え方もあるかもしれないが、内気な長男、しかも名門貴族の跡取りときたら、そう心の中をさらせる友達など作れはしないものだ。そうなると、自然、兄弟にどうしても目がいくことになる。
内向的な長男坊が心を何で支えるか。たいてい、プライドと、人間関係の中に生じる一瞬の愉悦。
ティベリウスの場合、母の薫陶のよろしきを得て頭脳の優秀さでは知られていたようで、体も大きく頑健だったという。これは、血筋以上に男にとってのプライドにつながる。どんな名家に生まれようが、所詮腕力と知力がなければ男としての価値など誰も認めてくれない、ということを、男は嫌でも学ばされるからだ。逆に腕力と知力があれば、プライドは自然に身につく。
また、ティベリウスのような「若年寄り」呼ばわりされるタイプは、弟が社会に出ようとする時、必要以上に世話を焼きたがるのではないだろうか。ティベリウスドゥルーススはほぼ同時に社会に出ねばならなかったが、年の功で、ティベリウスの方が余裕があったはずだ。なにくれとなく世話を焼きたがる兄を弟が嫌うことがあったかどうかはわからないが、ティベリウスにとっては、弟の心配をする、そのこと自体が、自分の抱える諸問題を冷静に見据えるための道具として必要だったように思える。
自分の問題しか抱えていない状態より、他人の心配までしなければならない状態のほうが、かえって周囲が見えたりするものだからだ。
兵士たちを率いて戦う司令官は、常に判断を求められる存在。そんな中で、ごく近しいもの、この場合は弟が、離れた場所にいるとはいえ同じ立場で奮闘していると聞けば、自分の能力にある程度自信がありさえすれば、嫉妬に駆られるより先に、励まされるだろう。ティベリウスにとってドゥルーススは、そういう意味で心の支えであったように思う。



彼の死がティベリウスにもたらした衝撃は、じわじわと効いてくる性質のものであったような気がする。
ティベリウスが後にロードス島に隠棲した、あるいは責務を放逐して逃げ出したのも、内向的で責任感の強い人間が、精神的な逃げ場と寄る辺を失って視野狭窄に陥った上での、やむを得ない行動だったと思える。潰れるより、逃げることを選んだように感じる。



本題に戻る。
皇帝となってからのティベリウスは、アウグストゥスが発案したゲルマニア併呑の夢を人知れず廃棄し、経済や組織体制の修正を加え、行政の長として着々と為すべきを為していた。
その一方で、やはりたまるものはたまっていたらしい。



内には亡き甥ゲルマニクスの妻アグリッピーナ
彼女の執拗さは日を追うごとに増していっただろう。感情で動いている人間は、それが満たされない限りエスカレートしていくものだし、満たされれば再び満たされるまでさらにエスカレートしていく。際限が無い。
また、母リヴィアの存在も、彼には鬱陶しかったのではないか。
何度も引き合いに出すようだが、塩野七生はリヴィアの存在について、ティベリウスがどう考えていたかをあまり書かない。それは彼女が母親であり、息子の心情というものを計りかねる部分があるからかもしれないが、いい年になり皇帝にまでなっても、まだ息子の行動にいちいち口を出したがるような母親に対し、息子が好感情を持つとは思えないのだが。憎むところまでは行かないまでも、うんざりはしていただろう。



そして外には元老院をはじめとする無理解な人々。
ティベリウス個人を理解しない人々に対し、ティベリウスは何の不満も持ちはしなかっただろう。
大の大人が、「誰もボクのことをわかってくれない」などとは考えないものだ。もし考えている大人がいたら、よほど疲れているか、被害妄想に取り付かれているか、精神が体の成長にまるで追いついていないかのいずれかだ。
ここでいう無理解とは、政治というものに対する無理解。
そもそもなぜローマは帝政に至らなければならなかったのか。
ローマの帝政が、オリエントの絶対的な王政や、後世の専制のようにはならず、なぜ元老や市民の承認を必要とする中途半端な一人支配の形になっているのか。
ティベリウスは皇帝という立場にありながら、矛盾するようだが、スキピオ・アフリカヌス*1の時代の元老院を理想として思い描いていたのではないか。元老たちが高い意識と誇りを胸に国家の統治にあたった時代、その理想があったから、理想と現実の違いに絶望したのではないか。
そう考えないと、彼の次の行動が私には理解できない。



内に外に、色々とたまっていたらしい彼は、ある日、ぶらりと首都を出る。
それ以前から周到に手配はしていたらしいが、大掛かりなことは一切せずに首都を離れたのは間違いないらしい。でなければ市民が騒いでいたはずだ。
彼は、ローマから地理的にはそう離れていないカプリ島に赴き、そして、そこに居ついた。
世にいう「カプリ島隠棲」である。



彼の悪名が高くなっていく、つまり評判が悪くなっていくのは、ここからだ。スウェトニウスの筆もここの描写あたりからゴシップ方面全開になるし、タキトゥスなどもカプリ隠棲をティベリウス最大の政治的失策とみる。
以前のロードス島隠棲と何が違うかというと、ティベリウスは、皇帝という立場を捨てたわけでも、責任を放逐したわけでもなかった。
彼は自身の才能をフルに生かし、首都に居ずにして帝国全域の統治ができるだけの官僚システムを育成し構築していた。
もともと軍隊で頭角を現した人だ。そして軍隊は究極の官僚組織であり、それは今も昔も変わらない。当時世界最高の軍隊のシステム構築に手腕を発揮した人間が、行政システムの構築において無能であるはずがない。
だから、彼のカプリ島隠棲により、帝国の運営が滞るようなことは無かった。かえってローマと違い人為的な雑音が無い分、すっきりと仕事ができる、などとティベリウスは考えていたかもしれない。



しかし、皇帝がいなくなったローマでは、大騒ぎになった。なにしろ自分たちの支配者が、自分たちを見捨てたのだから。
形はどうあれ、また理由はどうあれ、戦争でもないのにローマ以外の土地に居を定めたら、それはローマを見捨てるという行動に見られて当然だ。いくらカプリ島からでも充分仕事は可能だといっても、姿があるのと無いのとでは大違いである。
ティベリウスについてのゴシップ……というより、人格攻撃は、この見捨てられたというローマの人々の感情が生み出したものではないだろうか。スウェトニウス描くところの、陰険でおぞましい快楽に身を堕した狂気の老人、というイメージは、本人がいない所でする悪口は容易にエスカレートしてしまうという、まあ、誰もが経験するだろう人間性についての一つのサンプルに過ぎない。
要は、皇帝がいないということから生まれた際限のない悪口大会、そのログといったところ。
だと、勝手に私はイメージしている。
全てが根も葉もない荒唐無稽のでっちあげだ、とまでいう気はないが、スウェトニウスの記述を鵜呑みにするのは、私には難しい。



ではティベリウスに、悪口を言われても仕方がない面が無かったかというと、そうでもない。言われて当然なことをいくつか、ティベリウスはしている。
その最初が、母リヴィアの死を迎えたときの態度だった。
彼は葬儀にも出なかったという。
世知に長けざるを得なかった彼は、葬式というものが遺族にとってどんなに大変なものであるか、熟知していたはずだ。カプリに引きこもることでどうにか心の平静を保っていたティベリウスが、わざわざ余計な精神的負担を背負い込むためにローマに戻る必要を感じなくても当然だし、行政を彼とともに監督していた側近官僚たちも、日々各地から送られてくる判断の求めに応じなければならない為政者に対し、母の葬儀に出るべきだとはわざわざ進言しなかっただろう。
だがこれは政治的にも失策だろう。リヴィアはティベリウスの母であるという以上に、アウグストゥスの妻だった女性だ。古い表現だが、ローマの国母といっていい存在。
その葬儀に、長男である彼が参加しないというのは、当時のローマの人々にとってはちょっと考えにくいほどのことだったのではないか。現代でさえ、それをやれば親戚中はおろか知人連中にまで何を言われるかわかったものではないのだから。



次が、側近セイアヌスの行状。
セイアヌスは、近衛軍団の軍団長。ローマの近衛軍団は、他の軍団とは違い、首都ローマの治安維持や防衛を主任務とする。その任務には当然、警察的な仕事も含まれる。セイアヌスはその方面に能力を発揮した人物だった。
彼は、アグリッピーナとその周辺の人々に対する捜査を進めていく。
皇帝ティベリウスにとって最大の政敵は、衆目の一致するところ、もはやゲルマニクス神話を旗印にする彼女たちであることは、明らかだったからだ。その手法は秘密警察の手法にも似て陰険で執拗なものだった。
そういう人間が好かれるはずもないのだが、セイアヌスは一向に気にも留めなかっただろう。彼が気にするのはこの世でただ一人、主君ティベリウスのみだったはずだ。



母リヴィアが亡くなった途端、ティベリウスアグリッピーナとその息子たちを中心とするゲルマニクス派の一掃に着手する。
時期的なものを言えば、これはリヴィアが亡くなった頃合を見計らってというより、その当時起きたゲルマン人の蜂起に端を発していると見るべきだろう。ゲルマニア征服を不要なものと見ていたティベリウスは、先帝アウグストゥスの遺志に反してまで、北方国境のライン河確定を進めたのだが、そうは思わずに、生前のゲルマニクスをそのままゲルマニア征服に従事させていれば、いまごろゲルマン人に脅かされずに済んでいたはずだと考える者は多かった。
ティベリウスアグリッピーナゲルマニクス派一掃は、そのように考える人々、あるいはライン軍団をはじめとする軍部の叛乱を未然に阻止する狙いがあった。その手足となって働いたのが、セイアヌスだった。
そのセイアヌスの報告と、提出された証拠に基づき、ティベリウスゲルマニクス一派を壊滅させる。
ただ、彼はこの壊滅作戦で、一人として殺させてはいない。後の皇帝たちと違うのはこの部分だ。狂気の皇帝として知られるカリグラやネロは平気で身内を殺したが、彼は最小限の犠牲しか出していない。あるいは、殺せばゲルマニクス神話がますます重みを増し、今後手がつけられなくなるという計算が働いたのかもしれないし、だとすれば、ティベリウスの感覚は決して狂気に冒された人間のものではなかったと考えられる。
もっとも、アグリッピーナたちはその後しばらくして全員が死んでいる。病死であったり、自殺であったりしたが、ティベリウスはその死に対し、止めようという努力はなんらしなかったようだ。消極的な刑死、と言えば言えなくもない。彼の絶望の深さが垣間見える。



その次にティベリウスが行ったのは、セイアヌスの粛清。
ゲルマニクスの母で、リヴィアもアグリッピーナもいなくなったこの時点で皇帝一家の代表者という感があったアントニアが、皇帝暗殺計画の情報をティベリウスに送ったのが直接のきっかけだった、という説もあるようだが、そうではないだろう。用意が周到すぎる。
彼は、巧妙にセイアヌス包囲網を作り上げると、セイアヌスの不安感を煽り立てたり、逆に自分の後継者にするかのような雰囲気を匂わせたりして、この側近を動揺させた。そして、不安に駆られたセイアヌスが自派の取りまとめにかかったとき、ティベリウスの剛刀が振り下ろされた。
ローマの実質的支配者であり、近衛軍団を使ってクーデターでも起こせば直ちに皇帝を打倒できるとまで思われていた大立者セイアヌスは、あっさりと失脚し処刑された。
彼の評判が最悪になるのはここからだ。
ティベリウスは、この事件があってもローマに戻らず、カプリ島にこもった。
そして、彼の恐怖政治が始まる。

*1:ハンニバルと戦い勝利した、ポエニ戦争当時の英雄。