疑問

なぜか知らないが、このところ、時事ネタも萌えネタも扱わない、しかもぷっつりと電池切れのように平気でひと月くらいは停止するこのブログに、来客が増えているようだ。
ちょっと前に「地下鉄で〜」という2ちゃんねるスレのまとめサイトをリンクしたことがあったが、あの時以上の来客がここ何日か続いている。あの時は、「さすが2ちゃんねる」と思ったくらいで、増加そのものには疑問も抱かなかったのだが、今回はちょっと首をかしげている。
などといっても、せいぜい一日に100カウント程度の話だから、他のブログと比べてもささやかな話ではある。



こういった文章のみのブログでは、アクセスを増やすのに手っ取り早い手段がいくつかある。
まずは政治。
最近でいえば、某国総理大臣が某神社に詣でた問題など。←キーワード検索に引っかかるのが嫌だからあえてぼかして書く。
右派、左派と色分けができる話題について書くと、それも結構問題をばっさりと自身の主張に沿って切り捨てると、ものすごい勢いでカウンタが回ることになったりする。たいていは論戦を吹っかけるような内容のコメントやトラックバックとその反論の応酬で、中には勝手にその場を借りて他人と論戦を始めてしまうケースも見られる。
行き過ぎた政治姿勢は右も左も一緒になってしまう、と言うと問題発言になるのかもしれないが、極右と極左がやることは一緒である。だいたい、共産主義全体主義、結果としてどこがどう違ってくるのか、簡潔かつ明解に説明してくれる人間にも本にも出会ったことがない。
ということを考えている私にとって、自派の主張を正義のごとく振りかざし、他者を罵倒することに血道を挙げる、時代遅れの「主義者」は鬱陶しくてたまらない。イデオローグとデマゴーグで世界が動くと信じているのか、それとも動かない世界を憎みきっているのか。もちろん、ネットですらごく少数だから、難儀せずに済んでいるが。
また、イデオロギー闘争云々はともかくとして、他者の意見を一時的にでも受け入れるのが困難で、たとえブログという場であっても、それを目にしてしまった瞬間に論難せずにはいられないという感じでコメントやトラックバックをする、という人も、私には鬱陶しく感じられる。
ああ、そういう意見もあるんだね、という態度がなぜできないのか、またそういった意見があることも考慮して自分の考えをさらに進化させていくという作業がなぜできないのか、と疑問に思う。よそのブログでそのような場面をたまに見かけると、コメントする人間が、意図的かそうでないかはともかくとして、そのブログの論点からはだいぶズレた方向に石を投げ、しかもその言葉遣いは良く言っても失礼、という程度の低い論争に陥ってしまっていることがままある。



私が時事的な話を書くのが嫌になったのはそのせいも多少はある。
私は自分が中道だと思っているが、相手の感じ方次第で、あるいは問題によって、右とも左とも取れるというのが中道の難しさだ。政治的に中道というのは最も成立しがたいという原則は、なにも国会や選挙の場においてのみ通用するものでは無い。



たとえば私は前述の某神社に某国総理が参拝することに反対する立場だが、別にその神社が嫌いではない。また、他国がその行為を批難することに関して、いちいち気にするなど馬鹿馬鹿しいと考えている。仮にそれでこじれる国際関係なら、いっそこじれさせた方がいいとすら思っているが、だからといって首相という立場にあるものが軽々しく国際問題を起こす必要性も認めない。
たとえば憲法改正問題については、私は賛成の立場である。改正すること自体を否定していたら、憲法は死ぬ。時代の要請に合わせて手直しして行く必要性があるなら、国民で議論して変えていけばいい。内容についての問題はまた別の課題であって、改正すること自体に反対する人々の考え方は、私には理解できない。別に批難しようとも思わないが。人それぞれの人生であり考え方である。
たとえば某出版社が出している教科書について、とやかく言う気もない。書いてあることに賛同する気はさらさらないが、出版差し止めなどは言語道断である。左派文化人や自称平和主義者たちが、言論弾圧的なことを平気で口走るのは今に始まったことではないにしても、それを教材として現場で取り上げるか否かを討論するならともかく、出版そのものを差し止めようとするなど、民主主義者の名折れとしかいいようがない。といって、その教科書を書いた人間を好きになることは永遠にできないが。
たとえば過去の植民地支配に対し、当時の植民地の生活水準の向上に多大な貢献をしたのだからむしろ感謝されるべきだ、などという意見には与しないし、アジアを欧米列強の植民地支配から解放する聖戦だったとして太平洋戦争を美化する言動には一切賛同しない。当時の軍部や政治指導層の行動の一体どこに、そんな利他的な思想があったというのか。お題目だけならヒトラーの方がよっぽど立派だった。といって、ではお詫びや賠償に奔走すべきと考えているかと問われれば、それも否定する。過去のことと現在のこととは、連続していることとはいえ、次元は異なる。詳説する気はないが、国家は国民の福祉を第一に考えて行動すべきであり、他国の福祉を国民の福祉に優先するがごとき行動はゆるされない。



こういった姿勢でいると、右からも左からも敵扱いされ、ひどい目にあう。もしくは完全に黙殺される。
そういったことに振り回されるのは現実世界だけで充分で、あえてこのブログでそんな目にあおうとは思わない。
だから、これからもあまり触れないでいようと思っている。



アクセス増やしの手段として常態化しているのが、ブログの特徴でもあるコメントやトラックバックの多用だろう。他所のブログにトラックバックを飛ばして回ったり、気が利いていようがいまいがコメントをつけまくっていれば、間違いなくアクセス数は増える。
アクセス数の増加を目的としてそのような行動に出るブログ主に対する反感も、最近は高まっているようだが、私自身はあまりそういったことにも興味がない。あるアメリカ在住の方のブログを二回ほど引用したりはしたが、同じ事を積極的にして行こうとはまったく思わない。
引用されたりトラックバックされたりしても、特段苦情を申し立てたこともないし、コメントを書いてくださる方がいても、その方がブログを持っていたとして、わざわざ見に行こうとは思わない。見てくれ、といわれれば見るし、興味があればその後もチェックしたりするかもしれないが。



私はたまに2ちゃんねるニュース速報VIP板、いわゆる「VIP」を見て笑ったりするのだが、ここで話題に上がるようなネタを取り上げるのもひとつの手だ。それは萌えネタであったり、痛い現象を取り上げたネタだったり、メディアの馬鹿なネタだったりする。とても人に紹介できた物ではなく、2チャンネルの中でもかなり底辺を行く(もちろんわかっていて、それを生ぬるく笑い飛ばせる人のみが生きていける板)ところなのだが、こういう板を取り上げたり、そういうネタを取り上げたりするのもひとつのアクセス増加の手段ではある。
だがさすがにそれはしない。
私にはそれをするだけの素養もないし、そうまでしてアクセス数を上げる気も無ければ、自虐に徹するネタ人間たらんという高々とした理想主義も持ってはいない。




それにしても、なぜこのところアクセスが増えたのだろうか。
ガンダムがいけなかったのだろうか。マリみてやローマの話題もアクセスにつながっている気配はある。
別にアクセスが増えて困るということはない。増えたといってもどうせたかが知れている訳だし。ただ、なにぶん慣れていないから多少戸惑いはある。
まあ、放っておけばじきにまた減るだろうから、気にするまでもないことかもしれない。
どうせ、読む人がいようがいまいが、書く内容が変わるわけでもない。



このところ、書くネタもないんだ……なんでだろう……それが最大の疑問か……