ロシアの南下政策

ロシアの南下政策の目的って、何だったんですか???出来るだけ詳しく教えて下さい!!

最大の目的は不凍港の確保。
飛行機輸送の無い時代、貿易するにしろ資源開発をするにしろ、港が無いことにはどうしようもありませんでした。
ロシアは北国ですから、厳冬期には海の出入り口が氷に閉ざされてしまう、という港ばかりでした。
これでは西のヨーロッパ諸国にいつまでたっても追いつけないので、冬に凍りつかない港を手に入れることは、ロシアの悲願でした。
また、人工希薄な大地を国土とする国は、領土拡張欲が肥大化する傾向があります。
西部開拓時代のアメリカなどはその好例ですし、南下政策華やかな頃のロシアもその典型です。
極東地域に限定していえば、毛皮が珍重される獣を取るためにシベリアを領土に組み入れたロシアは、その拡張欲の赴くままに拡大を続け、オホーツク海にぶつかると、その南にある不凍港が欲しくてたまらなくなりました。
目をつけたのが関東州、現在の大連や旅順がある地域や、その先にある朝鮮半島でした。
不凍港を手に入れるという目的のため、シベリア鉄道を開通させたり、清国政府をだましたり脅したり、最終的には日露戦争を起こしたり、えげつないことを平気でやっていましたが、これは他の列強もやっていたことなので、ロシアが特にひどいということではありません。

ロシアが極東に進出した理由は、本文中にもあるとおり、毛皮だった。
嘘のようだが、別に領土が欲しくてわざわざシベリアを征服したわけではない。
地下資源の重要性が現代ほど高くなかった帝政ロシアの時代、ロシアが西欧に自慢できる資源とは、毛皮が最大のものだった。
ヨーロッパ大陸では入手困難なラッコや黒貂(くろてん)などの毛皮は、シベリアの針葉樹林地帯やそのさらに奥のオホーツク海沿岸部などに多数生息している。入手困難で毛皮としての質も高いとなれば人気が出るのは当然で、帝政ロシアの貴重な外貨獲得手段だった。
毛皮を獲るためにはるばる遠征に出たのは、コザックと呼ばれる人々。ロシア人とも、そうでないともいわれる人々で、元は逃亡農民であるといわれたり、中央アジア遊牧民と南部スラブ民族との混血であるともいわれる。どちらもそうなのだろう。
草原地帯に住む彼らは騎乗に巧みで、また冒険心も強かった。農奴制の闇に覆われたロシアの農民たちと比べれば、たいていの国の人間は冒険心豊かに映るだろうが、彼らの場合は本物だった。
コザックたちは帝政ロシアの傭兵としてシベリア奥地をどんどん進み、森の恵である獣を獲っては本国に送り、同時に、自分たちが歩んできた大地をも皇帝に献上した。
当時に限らず、昔から、シベリアには土地所有の概念や国家の概念を持つ民族は暮らしていない。古代シベリアには鉄器を使う高度な文明が栄えていたことが立証されているが、彼らも国家の概念を持っていたかどうか。氏族や部族による支配が限界だったのではないか。
そういう土地柄だから、要は、「ここはおいらの土地だ」と剣でも突き立て、「だから皇帝に献上したら皇帝の土地だ」とうそぶけば、まわりにその意味を理解して怒り出す人間がいるわけでもないし、ヨーロッパ諸国はシベリアなど暗黒の世界としか思ってはいないから、侵略だなどと騒ぎ立てることはない。獲り得である。
未開の大地を獲得していったという点では、アフリカ大陸やアメリカ大陸を征服していった西欧諸国と似ているが、暑熱や風土病に侵される危険性との戦いや、剽悍な先住部族との血みどろの抗争劇を強いられたそれらに比べ、シベリアは永久凍土かそれに近い寒帯の地域だから、風土病も少なければ先住部族の抵抗もごく少ない。
その代わり、原料となる物を奪っておきつつ製品を売りつける、という西欧的帝国主義経済が成立するような所でもなければ、人々が憧れを持つような気候風土だったりするわけでも無いから、魅力はいたって少ない。
帝政ロシアが、シベリア征服によって領土的には凄まじい勢いでの拡大を続ける中で、これを大ロシアの勝利だ、と大騒ぎする空気がロシア人の中にあったかというと、甚だ疑問だ。
シベリア全土と、たとえば地中海の大きく美しい一港を取り替えないかと取引を持ちかけられたら、あるいはそれに応じたかもしれない。
現代とは時代背景が違うとはいえ、ロシア極東地域の価値というものは、その程度のものだった。
不凍港を極東で手に入れたい、あるいは中国や朝鮮半島での利権を手にしたい、そういった欲がロシアを突き動かすようになるのは、シベリア征服事業が概ね終わってからのことで、シベリア征服事業に関する限り、ロシア伝統の南下政策とはちょっと切り離して考えた方がいい。